ジブリの仕事のやりかた。
宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。


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 日本人だからできること。

 
(※『ハイジ』や、『母をたずねて三千里』をはじめ、
  高畑勲さんの演出作品や、スタジオジブリ作品は、
  その多くが、欧州のテレビで人気を博しています。
  
  ジブリ作品のなかでは、『千と千尋の神隠し』と
  『もののけ姫』が、全米公開で話題になりました)

ほぼ日 高畑さんは、テレビシリーズや
アニメ映画の演出をやるようになって以後、
さきほどおっしゃっていた
「作品ごとに、一歩でも前進する」
という方法を、
どのように伸ばしていったのですか?
高畑 「一歩前進」ということにも、
いろいろな側面が、あります。
『アルプスの少女ハイジ』を、
はじめて一年通してテレビでやる、
ということは、非常に新鮮だったんです。

それから
『母をたずねて三千里』
『赤毛のアン』と続けたわけですが、
そのたびに新しい
表現上のテーマを見出すことができたんです。

だから、そこまではよかったのですが、
そのあと、さらにまたそのシリーズに
参加してほしいと言われたり、
あるいは別のところから、いわゆる
「児童文学をアニメにした企画」
を持ってきていただいたときには、どうしても、
おことわりをせざるをえませんでした。

そのシリーズもやっていれば、
さらに一歩前進できたのかもしれないけど、
「その前進は、もう自分にとっては、
 あまり意味がないのではないか?」
ということなのです。

あるいは、『火垂るの墓』のあとには、
作家やそのまわりの方が
「今度はこの小説で
 アニメーション映画を作らないか?」
という話を持ってきてくださったりする。

ところが、たとえ
それで一歩前進するとしても、
同じような傾向の作品を
続けて作ろうというつもりはないんですね。

アニメーションという職業は、
新しい表現上のテーマで
立ち向かえるものをやっていないと、
あんまりおもしろい仕事では
ないような気がしますから。
できれば、違うことに挑んでみたい。

偶然も重なったのですが、
『赤毛のアン』が終わったあと、
『じゃりン子チエ』以降には、
ぼくはすべて
「日本もの」の映画を作ってきました。
そうしたかったのには、
やはり理由があるのです。

ヨーロッパの名作をアニメ化した
テレビシリーズのときには、
ほんとうにがんばって作ったし、
自分たちも好きだし、
その努力は評価もされたのだけれども、
それにもかかわらず、
いつも非常に居心地が悪かったんです。

そのひとつは、
「ヨーロッパを舞台にして、
 見かけはきちんと欧米的にしているのに、
 かんじんの登場人物が
 日本語を使っている」

……ということでした。

日本語で表現すると、
顔も動作もどうしても
日本人としての表現になってしまいます。
そうしないとおかしいですし。

特に『赤毛のアン』のように、
おしゃべりが好きな主人公を
表現するときには
強く意識せざるをえないのですが、
西洋語でしゃべる
人物の表情を作ることと、
日本語で話す
人物の表情や動作を作ることとでは、
本来まったく
違うことをしなければいけません。

はじめから、
日本の視聴者に向けてのものだから、
外国語で作品を作るということは
ありえないし、原作の味わいを
原文で伝えることが、
最初から不可能な状態で
やっているということは、いかに
誠実に作品を作っていたとしても、
非常に居心地が悪いんですね。

それからもうひとつは
「外国に取材に行き、
 文化人類学的に日常生活の細部を調べてまで、
 こんなに一生懸命、洋ものをやっているのに、
 なぜ、日本を扱う作品を
 やらしてもらえないのか?」

ということでした。

日本のことだって、なんにも知らないし、
ちゃんと調べてつくれば
おもしろいにきまっているのに。
どうして西洋の原作をもとにした作品ばかりを
つくらなければならないのか?

そのことが、
すごく疑問になっていったんです。

ぼくは、世代のせいもあって
「西洋かぶれ」ですし、
「西洋というのはやはり、
 非常に学ぶことの多い
 おもしろい、大きな相手だ」
と、今でも思っています。

ぼくは戦後すぐの世代で、
終戦のときには小学校四年生でした。
占領軍の統治下で、日本のことなんて
まったく教えられなかったし、
もともと、明治以降の日本の学校教育は、
西洋のほうを向いて、その考えばかりを
中心にしてきたことはまちがいないんです。
植民地主義もふくめてね。

日本特有のものを
そこにむりやりくっつけて、
あの戦争に突入していったんです。

でも、なにも知らなかったぼくが
あとになって勉強したかぎりでは、
挙国一致・大政翼賛という
集団的「全員一致主義」以外、あの当時の
神秘化された「日本的なるものの伝統」は、
どうもじっさいの日本の伝統とは、まるで
ちがうんじゃないか、とわかってきたんです。

文化だって、禅だ能だ幽玄だなどと、
西洋人をけむにまくには
もってこいのものを称揚したけれど、
それらは例外的なスゴイ文化で、
日本の一般文化とはかなりかけはなれています。

絵巻みたいなものこそ、いかにも日本人的な
「日本の文化のおもしろさ」だと思います。
いまぼくはそれを人に知らせたいし、
そのおもしろさを積極的に世界に知らせても
いいのではないだろうか、と……。

日本のかなりの人が、
日本のことより西洋のことのほうが
詳しいんじゃないでしょうか。

ぼくが日本の文化がおもしろいと言うのは、
今の政治家が叫んでいる、
いわゆる「愛国心」とは、
まるで違うことだと思うんです。

国家へみんなを集中させようとする
愛国心には大反対ですが、
日本列島に住んでいた人間が
何を考え何をやってきたのかを知ることは、
自分たちのルーツを
自覚することにもつながるから
おもしろいと思っているわけです。

日本文化のおもしろさや
すぐれた点を知ると、
おそらく放っておいても
日本を愛するようになるはずです。

破壊されてゴミためのようになってしまった
日本から脱出して、美しいヨーロッパを
ファンタジーのように味わいに
旅行に出かける、などというのではなくて、ね。

いま「愛国心」だ、「改憲だ」と言っている
威勢のいい連中は、ぼくより若い人が多いです。
あの戦争をほとんど知らない世代です。
これがこわい。

ぼくより上の世代では、保守的な人でも
慎重な人が多かったような気がします。
戦前の日本も、
結局は、明治以降の西洋崇拝が
やたら高まりすぎた結果、
突然、西洋崇拝者が
国粋主義者になってしまったという、
コンプレックスの裏返しですから。
それと、似ているような感じがします。

このことについては、最近、
加藤周一さんにお話をうかがって
「なるほど」と思いました。
それはどういう話かと言うと……

「日本の集団主義は、
 今、薄れてるように見えるけど、
 ところがそうではないのではないか」
ということなのです。

加藤周一さんは
「集団主義の危険性は何かというと、
 集団に超越する価値を
 持たないということだ」

と言っているんです。

この場合の
「集団に超越する価値」というのは、
たとえば
キリスト教の場合だったら「神」です。
そこからものを照らすわけだから、
キリスト教世界では、ある集団が
まちがったことをしていても
「神の視点から見ればまちがいだ」
と言えるかもしれません。

あるいは
「人間の判断だから、
 まちがいかどうかは、
 最終的にはわからない。
 だからとりあえず
 多数決での多数意見にしたがう」が、
「もしまちがいだったことがわかれば、
 少数だった意見にゆずってみよう」
というのが民主主義ですね。

ところが、日本では、
昔の寄り合いが
全員一致主義だったように、
少数意見は排除したくなる傾向があります。

そして全員一致的に
決める集団しかなかったとしたら、
その集団のまちがいをただす機会が
なくなって、ズルズルいってしまう……
それが戦前なんですね。

このインタビューで
お話しすることではないのかもしれないけど、
やっぱりぼくは、憲法第九条というのは
必要だという考えを持っているのです。

それはつまり、
あの憲法第九条というものこそが
「戦後の日本が持った、
 集団に超越する唯一の価値」
だと思うからです。

もちろん、超越する価値があっても
その弊害もあるし、神様がいても
なかなか神様の思うどおりにいかないで、
世界ではいつもたいへんなことが
起きているわけですし、
日本でも第九条の平和主義という
すばらしい価値は、ずいぶんゆらいでいます。

でも、あれがあるおかげで、
どこまでもズルズルいかないで済むという
歯止めにはなると思うんです。
そのことだけは、はっきりしている。
あの条文から照らしてみたら
「……これはやっぱり、いくらなんでも
 いきすぎているんじゃないか?」
とか、そういうことを
考えることができますから。

もし、
あの第九条をなくしてしまったら、
戦前と同じようになるでしょう。
集団の中に「超越する価値」がない以上、
結局、
「ここまで踏みこんだのだから、
 次はこれだけ
 踏みこんでもいいのではないか……」
とか、
「はじめた以上、被害が出た以上、
 もう相手をやっつけるまでやるしかない」
「なにがなんでも勝ってほしい」
というように、いつのまにか
泥沼へ入って引っ返せなくなったり、
やっぱり日本の場合は
そういうことになりやすいわけです。

……話がそれましたが、
日本を題材にしたいと思ったとたん、
独特のむつかしさにぶちあたるんです。
日本の風景でも生活でも、
じつに「複雑なおもしろさ」があるかわり、
表現しにくい、ということです。

ヨーロッパって、
やはりとらえやすい文化だと思うんです。
建築や絵画の発展だって論理的でとらえやすい。

農業がどういうふうにおこなわれているか、
集落をどう作ってきたか、
みんな非常にシンプルで見えやすいんですね。
アメリカとカナダは
ヨーロッパ人が移民した結果の文化だから、
さらにシンプルに作りあげられているわけです。

具体的に言うと、数百年前の人が、
どんな生活をしていたのかということは、
実によくわかるというような……
たとえば、農業の発達の過程も、
ヨーロッパのことはとてもわかりやすいんです。

「土地が肥えていないものだから、
 土地を三つにわけて、
 それをうまくまわしてゆく
 三圃農業が十一世紀ごろ行われて
 生産性が飛躍的に増大した」とか。

なぜゴチックの聖堂は
あんなに高くそびえて、
ステンドグラスがはめられたのか
というような問題でも、
「アーチを次々と
 組み合わせていくことによって、
 重さをすべて
 柱にかけることができるようになったから、
 壁で支える必要がなくなり、
 ガラスを入れられるし、
 そびえ立つ建築に発展したのだ」
なんて、そういう説明のしかたは、
非常に単純でわかりやすい。

植物なども、氷河期の影響でしょうけど、
日本なんかに比べて種類が少ないんですね。
風景が端正なものになり、整理しやすい。

日本の文化や生活は、もうちょっと
ゴチャゴチャしていて、
捉えることがむずかしいのですが、
たとえば
「ものすごい種類の雑草がおいしげるなかで、
 なんとか工夫をかさね、
 融通をきかせて暮らしてきた」

というようなおもしろさがあるんですね。

その暮らしかたに、
西洋の論理を学んだ時代の
日本人が光を当てれば、
押し寄せてくる複雑さを、
それなりに整理することになる。
そのことは非常におもしろいんです。

つまり、学んだ西洋を、そのまま
日本にもちこもうとするのではなくて、
西洋に学んだ合理主義の精神を生かして、
その合理主義によって眺めてみれば、
古くからの日本で
おこなわれてきたことには
それなりの理由があるだろう、
という整理のしかたなのです。
『柳川堀割物語』というのは
そういうつもりでつくったんです。

里山なんかをみにいくと楽しいですよ。
「よくやってきてるなぁ」と思います。
棚田でも、けっこう
うまくいってるところもあるんですね。

平地の農業よりずっと大変だけど、
それでも営々として
やってらっしゃる方がいるし、
値段が少し高くなるとしても、
それをちゃんと買ってくれる人たちを
見つけることも含めて
「農業を成り立たせる知恵がある」
と発見したり……。

こういうことは、過去が
まだのこっているというのではなくて、
実は、将来に繋がるのではないか、
という気がするんです。
「エネルギー消費が少なくて循環型」
というのが、もともと
日本の暮らし方の基本なんですから。

みんな
「エネルギー供給が、
 今後、どうなるかわからない」
と言っているのだから、
結局はそういった
循環型の生活に活路を見いださないと、
やっていけなくなるでしょう?

……と言っているわりに、
ぼく自身も含めて、みんな、
もちろん平気で冷房をきかせた室内で、
大量エネルギー消費をしているのだけど、
かつての日本のありかたについては、
それでも、ちゃんと
学んでおいたほうがいいと思っています。

そういうものを
ぼくだけでなく、いろんな作り手が
なんとか作品に反映できれば──と思います。
  (つづきます)

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2004-08-06-FRI


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