原丈人さんと初対面。 考古学から『21世紀の国富論』へ。ベンチャーキャピタリストの原丈人さんと 糸井重里が会いました。 最初、コンテンツにしようなんて 考えてなかったのですが そのときの話が、とにかくおもしろかったのでした。 考古学者のたまごから 世界が舞台のベンチャーキャピタリストへ。 一歩一歩、「現場」をたしかめながら歩んできた 原さんの「これまで」と「これから」。 そこにつらぬかれている「怒り」と「希望」。  ぜひどうぞ、というおすすめの気持ちで おとどけしたいと思います。 ぜんぶで10回、まるごと吸いこんでください。 あなたなら、どんな感想を持つでしょう。


第5回 いまもむかしも、モノマネか。
いや、でもね、頭にきちゃうんですよ。

アメリカの「二番煎じ」を
やってる人のことを思うと、なんだかね(笑)。
糸井 しかし、原さんの、
そのモチベーションはすごいですね。
まあまあ、私はもうね、アメリカにいて‥‥。
糸井 ずっと、怒ってるんですか?

いやいや、日本のことを
尊敬される国にしたいんです、世界から。

だから、それをじゃまするような人に対しては
頭にきちゃうんですよね(笑)。
糸井 でもね、やっぱり、いちばん根っこにあるのは
「個人の思い」じゃないですか。

バングラデシュの話なんかを聞いていても、
原さんの個性があってこそ、
動いていくプロジェクトだと思うんですよ。
ええ、それは、そうかもしれませんね。
糸井 こんなに怒れる「お金持ちの人」って
いいなぁと、思ったんです。
え? お金持ち?
糸井 いやいや、「お金持ち」というのも
ちょっと、いじわるな言いかたなんですけど‥‥。

つまり、バングラデシュのプロジェクトは
どこかから集めたお金で、動かすわけじゃない。

ご自分で稼いだお金を使って、
もっとも効率のよいと思うやりかたで、
進めているわけじゃないですか。
ええ、そうです。
糸井 同じようなことをやろうとした場合、
資金的な理由やなにかで
自己決裁できる範囲がせまいから、
慣習だとか法律にしたがって、
自分を曲げてでも、いちど「演技」をして‥‥。

そういうやりかたをとりますよね。
ほとんどの人たちが。
まぁ、ふつうにやったら、そうでしょう。
でも、実現するために
何が必要かを考えれば、変わってくる。
糸井 だから、原さんの場合は、
いままで、自力で積み上げてきた資金のプールを
上手に活用なさってるんですね。

そういう意味で「お金持ち」なんですが、
さらにそこで
モチベーションを失わずに、
いまでも「しっかりと怒れる」ところが
すばらしいなぁと思ったんですよ。
‥‥じつはね、
いま、ちょっと怒ったように見えたのは、
思い出したんですよ、急に。
糸井 なにをですか?
2001年の、あの「9・11」の3日前、
つまり「9月8日」って、
じつは、昭和27年に、吉田茂首相が
講和条約の締結のために
サンフランシスコに行った日なんです。

つまり、日本が国際社会に復帰してから
「50周年」にあたる日。

「9・11」のおかげで
話題にもなりませんでしたが。

糸井 ああ、そうなんですか。
その記念式典をやったときに、
わたしは日本人ですけど、アメリカに長いから
あちら側の代表として
共同議長のひとりに任命されたんです。

で、日本からは政治家や財界人が出席した。

そのときにわたしは、
日本の大会社の社長なんかだけでなしに、
世界に誇れる技術を持った
日本の中小企業のリーダーに
来てもらったらいいなぁと思っていたんです。
糸井 ふん、ふん。
あのときの人選を誰がやったかは忘れましたけど、
通産省だったかな、どこか‥‥。

とにかく、結論からいうとね、
出席したのは
大手の電子商取引の会社の社長と、
インターネット証券会社の社長‥‥。
糸井 わかりやすい、というか‥‥。
しまった、と思いましたね。

わたしには
アメリカ人の反応がわかるから。

糸井 つまり‥‥。
案の定、
アメリカ人がなんて言ったかっていうと、
「日本人は、
 いまもむかしも、モノマネか」と。
糸井 ああ‥‥。
悔しいでしょ。

いま、それを思い出していたから、
ちょっと怒ったように見えたんでしょうね(笑)。
糸井 それのお話は、リアリティあるなぁ。

つまり原さんは、その一部始終を
アメリカ側からの視線で、見てたんですね。
そう、そうなんです。

わたしはね、
「こんなのはアメリカにはないぞ、
 すごい!」という技術を持った
中小企業のトップに、来てほしかった。

日本はけっして、
モノマネ屋なんかじゃないんだというところをね、
見せてやりたかったんですよ。

2007-11-26-MON

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN