原丈人さんと初対面。 考古学から『21世紀の国富論』へ。ベンチャーキャピタリストの原丈人さんと 糸井重里が会いました。 最初、コンテンツにしようなんて 考えてなかったのですが そのときの話が、とにかくおもしろかったのでした。 考古学者のたまごから 世界が舞台のベンチャーキャピタリストへ。 一歩一歩、「現場」をたしかめながら歩んできた 原さんの「これまで」と「これから」。 そこにつらぬかれている「怒り」と「希望」。  ぜひどうぞ、というおすすめの気持ちで おとどけしたいと思います。 ぜんぶで10回、まるごと吸いこんでください。 あなたなら、どんな感想を持つでしょう。


第6回 年収60万円の考古学者が、スタンフォード
糸井 お話を聞いていると、
原さんって、
問題点をひとつひとつ解決しながらやってきた、
という感じがするんです。

たとえば、もともと貧乏な考古学者で(笑)、
はじめから「お金持ち」だったわけじゃない。

ようするに「資金をつくる」ところから、
はじめているわけですよね。
そうですね、うん。
糸井 生まれながらのお金持ちが
慈善活動のために
会社をつくったりしてるんじゃない。

あることをやろうと決断したら、
ぜんぶ解決していきますよね、ご自身で。
わたしには、
国や国連が出すような資金はないですから。
糸井 ええ。
だから、合理的なやりかたを考えるわけです。
糸井 そうみたいですね。
まったく資金のないときには、
100万円のプロジェクトさえ、できない。

でも、まだ目に見えない大きな目標と、
いまの自分ができることとのあいだに、階段を‥‥。

目に見えない階段を、つくってきたんですよ。
糸井 一歩ずつ、一歩ずつ。
だれにだって、1歩めなら、かならず登れる。
で、1歩めを登れたら、
きっと2歩めを踏み出せるでしょう。

だから、やろうと決断したら、
途中でやめたことは、いちどもないんです。

ぜんぶやるんです、かならず。
糸井 ちょっと、考古学をやっていたころの‥‥
「年収が60万円」だったのころのお話を
聞かせてもらえませんか?

そのころのいろんな経験が、
いまの原さんという人に
けっこう影響していると思うんですよね。
25歳から27歳くらいのとき、
南米のエルサルバドルで、考古学をやってたんです。

考古学の研究をしていたとはいっても、
実態は、いまでいう「フリーター」ですから。


糸井 そのときには、「世界で働くんだ」みたいな
自分の将来のイメージは‥‥?
まったくありませんでした。

わたしはただ、
マヤ文明とかインディオの移動経路に
興味があっただけで。
糸井 だから、そこへ行ってみたと。
収入なんてぜんぜんなかったけれど、
もう、楽しくてね。
したいことができるわけだから。

もっとも、
お店もなにもないところですから、
お金を使う必要もなかったんですが(笑)。
糸井 なるほど(笑)。
まぁ、バナナとかね、そこらへんに
いっぱい実ってるわけですよ、ようするに。
糸井 リアルな話だなぁ(笑)。
蛇に噛まれないようにするとか、
サソリに刺されないようにするとか、
日本に住んでいるときとは
またちがった注意力は要りますけどね(笑)。
糸井 でも、その考古学者のたまごから、
どういった経緯で
ベンチャーキャピタリストになろうと?
自分で遺跡の発掘をしたいと
思うようになったんですよ。

考古学の研究を
わたし個人でやってるときは、
お金なんてたいして要りませんけど、
発掘を指揮するとなると、話が別。

そこで、どうやったら稼げるかというのを
考えるようになって‥‥。
糸井 資金が必要だったわけですね。
ええ、そうなんです。

で、そういうときって、たいがいみんな、
文部科学省に助成金を出してもらおうとか、
そういう発想をするんですよ。
糸井 それこそ助成金を得るための
「演説の練習」が要りますよね。
でもね、わたしは、
自分で商売をして、お金をつくろうと。

そのためには、
帳簿が読めなきゃならないんじゃないか?
糸井 バナナを食べながら考えてたわけですね、
そういうプランを(笑)。
そう、そう(笑)。
それで、
スタンフォードのビジネススクールに‥‥。
糸井 入っちゃったんですか?
そうそう、いったんね。
糸井 あっさり言いましたけどね、いま。

急に勉強してスタンフォードって、
すごいモチベーションだなぁ‥‥。

2007-11-27-TUE

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN