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糸井 |
お話を聞いていると、
原さんって、
問題点をひとつひとつ解決しながらやってきた、
という感じがするんです。
たとえば、もともと貧乏な考古学者で(笑)、
はじめから「お金持ち」だったわけじゃない。
ようするに「資金をつくる」ところから、
はじめているわけですよね。 |
原 |
そうですね、うん。 |
糸井 |
生まれながらのお金持ちが
慈善活動のために
会社をつくったりしてるんじゃない。
あることをやろうと決断したら、
ぜんぶ解決していきますよね、ご自身で。 |
原 |
わたしには、
国や国連が出すような資金はないですから。 |
糸井 |
ええ。 |
原 |
だから、合理的なやりかたを考えるわけです。 |
糸井 |
そうみたいですね。 |
原 |
まったく資金のないときには、
100万円のプロジェクトさえ、できない。
でも、まだ目に見えない大きな目標と、
いまの自分ができることとのあいだに、階段を‥‥。
目に見えない階段を、つくってきたんですよ。 |
糸井 |
一歩ずつ、一歩ずつ。 |
原 |
だれにだって、1歩めなら、かならず登れる。
で、1歩めを登れたら、
きっと2歩めを踏み出せるでしょう。
だから、やろうと決断したら、
途中でやめたことは、いちどもないんです。
ぜんぶやるんです、かならず。 |
糸井 |
ちょっと、考古学をやっていたころの‥‥
「年収が60万円」だったのころのお話を
聞かせてもらえませんか?
そのころのいろんな経験が、
いまの原さんという人に
けっこう影響していると思うんですよね。 |
原 |
25歳から27歳くらいのとき、
南米のエルサルバドルで、考古学をやってたんです。
考古学の研究をしていたとはいっても、
実態は、いまでいう「フリーター」ですから。
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糸井 |
そのときには、「世界で働くんだ」みたいな
自分の将来のイメージは‥‥? |
原 |
まったくありませんでした。
わたしはただ、
マヤ文明とかインディオの移動経路に
興味があっただけで。 |
糸井 |
だから、そこへ行ってみたと。 |
原 |
収入なんてぜんぜんなかったけれど、
もう、楽しくてね。
したいことができるわけだから。
もっとも、
お店もなにもないところですから、
お金を使う必要もなかったんですが(笑)。 |
糸井 |
なるほど(笑)。 |
原 |
まぁ、バナナとかね、そこらへんに
いっぱい実ってるわけですよ、ようするに。 |
糸井 |
リアルな話だなぁ(笑)。 |
原 |
蛇に噛まれないようにするとか、
サソリに刺されないようにするとか、
日本に住んでいるときとは
またちがった注意力は要りますけどね(笑)。 |
糸井 |
でも、その考古学者のたまごから、
どういった経緯で
ベンチャーキャピタリストになろうと? |
原 |
自分で遺跡の発掘をしたいと
思うようになったんですよ。
考古学の研究を
わたし個人でやってるときは、
お金なんてたいして要りませんけど、
発掘を指揮するとなると、話が別。
そこで、どうやったら稼げるかというのを
考えるようになって‥‥。 |
糸井 |
資金が必要だったわけですね。 |
原 |
ええ、そうなんです。
で、そういうときって、たいがいみんな、
文部科学省に助成金を出してもらおうとか、
そういう発想をするんですよ。 |
糸井 |
それこそ助成金を得るための
「演説の練習」が要りますよね。 |
原 |
でもね、わたしは、
自分で商売をして、お金をつくろうと。
そのためには、
帳簿が読めなきゃならないんじゃないか? |
糸井 |
バナナを食べながら考えてたわけですね、
そういうプランを(笑)。 |
原 |
そう、そう(笑)。
それで、
スタンフォードのビジネススクールに‥‥。 |
糸井 |
入っちゃったんですか? |
原 |
そうそう、いったんね。 |
糸井 |
あっさり言いましたけどね、いま。
急に勉強してスタンフォードって、
すごいモチベーションだなぁ‥‥。 |