原丈人さんと初対面。 考古学から『21世紀の国富論』へ。ベンチャーキャピタリストの原丈人さんと 糸井重里が会いました。 最初、コンテンツにしようなんて 考えてなかったのですが そのときの話が、とにかくおもしろかったのでした。 考古学者のたまごから 世界が舞台のベンチャーキャピタリストへ。 一歩一歩、「現場」をたしかめながら歩んできた 原さんの「これまで」と「これから」。 そこにつらぬかれている「怒り」と「希望」。  ぜひどうぞ、というおすすめの気持ちで おとどけしたいと思います。 ぜんぶで10回、まるごと吸いこんでください。 あなたなら、どんな感想を持つでしょう。


第8回 わたしが使ってるのは「腹」なんです。
糸井 ベンチャーキャピタル以外の選択肢は、
なかったんですか?

つまり、原さんは
若者たちが「大金持ち」になっていくのを
横で見ていたわけじゃないですか。
ふつうの企業をつくっても、
ひとつのことしかできないからね。
糸井 ああ‥‥そうか、そうか。
社会のしくみをつくっているのは、「システム」。

ひとつのことだけをやってたんでは、
ものごとを動かすシステムは構成できない。

でも、そのシステムの構成要素を
ひとつひとつ、同時に見ていける立場というのが、
ベンチャーキャピタルだったんですよ。
糸井 それも、どこか考古学的ですよね。
だって、
全体を見ているわけじゃないですか。
なにかの会社で大成功したら、
有名になれたり、
大金持ちになれたりするのかもしれないけれど、
ひとつのことしかできない職業には、
あんまり、興味がないんですよ。
糸井 ‥‥おもしろいなぁ。
糸井さんがいちばん最初に言われた、
エリートとその他大勢のあいだに、
ひどい格差のない社会。
糸井 ええ。
そういう社会のしくみを実現するのも
ひとつの「システム」を考えることじゃないですか。
糸井 そして、あたまで考えたら、
かならず実行に移してきたんですね。
そう、あたまで考えたあとは‥‥
「腹の底からやりたい」と思ってるかどうか。
これです。

あたまなんかはね、適当に使ってりゃ‥‥っていうのも
乱暴な話ですが(笑)、
わたしが使ってるのは「腹」なんですよ。
糸井 その「腹」は、どうやってできたんですか?
それもやっぱりね、
考古学をやってるときでしょう。

当時の中米では、内戦なんかもあって、
いかに自分で自分の命を守るか‥‥。

絶体絶命だっていう危機は
もう、なんどもありましたから。
糸井 そういう経験を経て「腹が据わった」と。
だからね、バングラデシュの現場にも
日本の若い人を送り込んであげたいんですよ。
糸井 じゃあ、エルサルバドルが変えたんですね、
原さんを。
そうかもしれません。

今、いろいろな仕事をやっていますが、
そういう意味で、私の原点は、
エルサルバドルで、自分とは違った価値観で
生きている人たちに出会ったことと、
彼らの現実を見たところにあるんです。

‥‥でね、エルサルバドルって国も
バングラデシュ並みに貧しい。

識字率なんかも、すごく低いんです。

だから、学童用品なんかは、
ユニセフやユネスコが持ってくる。
糸井 うん。
食料については、「FAO」という国連の機関が。
糸井 はい。
で、医薬品なんかは「WHO」、
つまり世界保健機構が援助している。
糸井 なるほど。
‥‥と、聞いていたのにもかかわらず、
まったく、だれもやって来ない。

糸井 え?
エルサルバドルの首都にある
国連開発計画の代表事務所に行っても、
みんな、無関心なんです。
糸井 はぁ‥‥。
で、国連はなにやってるんだ、と。

もしも、なにか動かない理由があって、
なんらかの修正をすれば
動くようになるのかと思って、国連に入るんです。
糸井 だれが?
わたし。
糸井 また、入っちゃったんですか!?
ええ、スタンフォードの学生のとき、
「UNフェロー」といういう
ある種の上級外務公務員みたいな試験があって、
それを受けて、国連に入ったんです。

糸井 はぁ‥‥こんどは「そっち」だったんですね。
で、入ってみたら、
国連がいかにダメな機関かっていうことが
はっきり、わかった。

こんなとこにいたら、
わたしまでダメになると思って、
また、スタンフォードに戻ったんです。
糸井 おもしろいなぁ‥‥現場を「たしかめる」ために
実際に行ってみるっていうやりかたが
まったくもって「穴掘り」じゃないですか。

言葉は、わるいかもしれないけど。
そうそう、たしかめるために入る。
試験に受かりさえすりゃあね、入れるわけだから。
糸井 ぜんぶ、見てやろうって‥‥。
やってることが、考古学そのものですね。

2007-11-29-THU

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN