●第1回 はじめまして、アンリさん。
アンリ
ブォン・ジョールノ、糸井さん。
糸井
こんにちは、アンリさん。
アンリさんはふだんは
イタリア語ですか?
アンリ
そうですね、
母国語はぼくがフランス語、
妻が日本語なんですが、
仕事で使っているのはイタリア語で、
妻ともイタリア語で話します。
糸井
そうなんですか。
僕はまったく外国語がだめなんです。
きょうは奥さまの通訳で
日本語で話させてください。
アンリ
もちろんです、大丈夫ですよ。
糸井
よろしくお願いします。
そうか、こういう人が作ってるんだ、
と、あらためて思いました。
あらためて、はじめまして。
アンリ
はじめまして。光栄です。
henri
糸井
僕はアンリさんのことを何も知らないので、
そんなことも知らないの、ということを
質問すると思います。
アンリ
お気になさらずに。
糸井
1つだけ知ってるのは、
アンリさんが、革の仕事に就く前、
プロのサッカー選手だったというお話です。
そのことはアンリさんのつくるものを
使ってる方はみんな、知っていることなんですか?
1947
アンリ
昔からのお客さまは
知っているかもしれませんが、
ふらりといらっしゃるお客さまは、
全然、知らないかもしれないですね。
糸井
僕は何となくそれを知っていて、
サッカーと革製品のあいだに
どうつながりがあるのか、
いつも分からないままに、
ミステリアスで面白かったんです。
アンリ
いちばん最初の革との出会いに
さかのぼりましょうか。
僕が7歳か8歳のときに
父が革のサッカーボールを
プレゼントしてくれたんです。
でも、革のことを仕事にするなんて
まったく考えないままに、
サッカーの選手になりました。
糸井
サッカーの選手として
とても人気のスターだった方が
このお仕事をするきっかけは
なんだったのでしょう。
何度も聞かれているようなことを聞いて
もうしわけないと思いますが。
アンリ
大丈夫ですよ、全然。
僕がサッカーをやっていた、
いちばんピークの時代は、
僕が20歳ぐらいのときで、
ちょうど60年代後半から70年代前半にかけての
ヒッピーの時代でした。
そのとき、僕は一所懸命サッカーをやって
成功してはいたんだけれども、
いつも自分の頭の中に
満たされない何かがあったんです。
ヒッピーの時代の考え方に対して、
サッカーの世界というのは
とてもとても視野が狭かった。
僕は自由を愛していましたから、
そのサッカーの中の限られた世界というのに
とても窮屈を感じていたんです。
糸井
はい。
アンリ
あるとき、偶然なんですけども、
サッカー用のバッグが壊れてしまいました。
直しに行った先で、
ロランド・ロッシさんという、
去年、亡くなってしまったんですけれども、
もと馬具職人の方と出会いました。
そのときは彼はスイスの
ミリタリーのバッグですとか、
そういうものを作る
ほんとに小さな工房を持っていて、
そこに修理に出したんです。
そのときちらっと、工房の片隅を見たら、
ミリタリーのバッグって
名札がありますよね、四角い名札。
糸井
はい、はい。
アンリ
それをくりぬいたあとの革があって。
これは何なの? どうするの?
っていうふうに訊いたんです。
そうしたら「意味はないけど取っとくんだ」
っていうふうに言ったんですね。
別に何をやろうとも思わなかったんですけれども、
「じゃあ、それ、僕に貰えない?」って言いました。
家に持ち帰って半年ぐらい、取っておいたんですね。
それがあるとき、ふと偶然、
何か作ってみようと思って、
見よう見まねでベルトを作りました。
糸井
それを、売り物に?
アンリ
ヨーロッパに行かれると町中で
手づくりの細工物をぶらさげて
売り歩いている人がいますよね。
あれを、やったんです。
よく行く、スイスの、とある広場で。
そうしたら友達や、見てくれた人が、
これ、いいね、って言ってくれて。
そこからの始まりなんです。
糸井
全く偶然なんですね。
いま、お話を聞いていて面白かったのは、
スポーツ選手っていうのは人から見ると
自由のシンボルみたいに見えるんですね。
フィールドを自由に走り回って、
アンリ
ええ。
糸井
特にサッカーなんて、そう見えるんです。
それを逆に自由じゃなくて、
自分はもっと自由だって考えてたって。
そのアンリさんの考え方の背景の方に
また興味を持ってしまいました。
寄り道になりますけど、
スポーツ選手は自由じゃなくて
自分はもっと自由だっていう、
その背景について
もうちょっとフィロソフィを、
聞かせていただけますか。
 henri
(つづきます。)
協力:Henry Cuir 青山本店

2008-10-31-FRI
次へ