糸井 今、細川さんが憧れだった暮らしに
入っていかれたという気持ちを、
僕らはいいなぁと思っちゃうんですけど、
それは前から思ってたことだったんで
入っていけた、というふうに
考えればいいんでしょうか。
細川 そうですね。
もう本当にそれは大学になって
すぐぐらいからずっと思ってたことですから。
もっと言えば、高校の終わりぐらいからですかね。
そういう気持ちを持ってましたので。
糸井 例えば作陶なさっていることについても、
やっぱりいい家に育った人は
いいものを見てるから
いいものができるということを
自分も思ってたんですけど、
それに対して反論はございますか。
細川 あります。
それも私が言ってもあまり、
「いや、そんなことないでしょう」と
そう言われるだろうと思うから、
あまり反論したこともないんですが。
糸井 是非お聞きかせください。
細川 祖父も父も
お茶があまり好きじゃなかったんですね。
というのは、当時
益田鈍翁(どんのう)さんとか、
原三渓さんとか、
松永耳庵(じあん)さんとか、
或いは出光さんでも五島さんでも、
それから阪急の小林さんでも、
皆さん財界人で、
お茶にはまっておられたんですね。
お茶から美の世界を見るという、
こういうスタイルですね。
殆ど例外はなかったと思いますけど。

祖父も父もそういう意味で、
世界にこんな美しいものがあるのに
お茶の世界からだけ美を見るということは、
ちょっと嫌だと。
そういうものにとらわれないで
もっとペルシアでもギリシアでも
ヨーロッパの近代のものでも、
中国のものでも見たいという思いがあって、
茶道具はもう蔵の中に入りっぱなしだったんです。
ですから、私は一遍も
お茶碗を見たことがないんですね。
一度も。
私が焼き物を始めてから
2年ぐらい経ってからですかね。
どこかの展覧会に出したときに、
初めて触ったんです。

油滴天目
糸井 面白い。
細川 白隠と仙
毎晩祖父が掛け替えていましたので、
それは見ていましたけども。
それから梅原さんの「紫禁城」とか、
そういうものは見てましたけども、
焼き物はまったく見たことないですね。
だからなんていうのか、
見てたからできるんじゃないかというのは、
それは違うんです。
面白いもんですね。
どうしてできるようになったかと言われると、
私もなんとも返事のしようがないんです。
糸井 いろんな神秘、
血だのなんだのっていうものの
せいにしてしまう言い方は
いくらでもあると思うんですけど、
恐らくご本人はそれに対してきっと
「そういうまとめ方をされるのもなあ‥‥」
という思いがあるんじゃないかなと思って(笑)。
細川 そうですね。
でも、それも敢えて私は
あまり反論もしないんです。
糸井 そうなんですよね。
そのままにしてますよね。
ただ、自分がおつくりになったものについて、
話されてる文章がちょっちょっとあると、
そこではずいぶんこの方は
やっぱりじっと見て研究なさる方だな
ということだけは、はっきりわかるんです。
なんだろうな、
わかってやりたいんだっていう気持ちが
感じられたものですから。
だから「血ですよ」という説明は
きっと本人は嫌だな、と思ってるんだろうと。
つまり殿様ができるんだったら
どこの殿様でもできるわけで。
そうじゃなくて、
僕は一(いち)からやったんだよというのは、
あまり声高に言いたくもないでしょうけど。
細川 そうですね。
まぁ、焼き物でも政治でも
みんな私はたたき上げで
やってるつもりなもんですから、
たくさん宝物があるから云々、
ということとは全然違うんです。
そんなことも私は、
どっちでもいいことだと思ってますけど。
糸井 そうみたいですね。
目が肥えてるという言い方で
だいたい表現されてしまうんですけど、
よく思うんですけど、
有名な料理人って多くが貧乏なんですね。
出身が。
だから食べ物に対する
強い欲望みたいなものがあって、
いいものを食ってこなかったはずの人が
料理人になるわけだから
やっぱり一(いち)からだという
考え方を取りたいなと。
「小さいときから
 美味いものを食ってきた人は
 やっぱりわかるね」というのは、
うーん‥‥。
細川 ちょっと違うかもしれませんね。
糸井 かもしれないなと思うんですね。
細川 焼き物をやられる方、
殆ど陶芸家の人はそうかもしれませんけど、
(名品を)ろくろの前に置いて、
それを見ながら写されるというか、
そういうことをされるんだと思うんですけど、
私は殆ど見たことがないんですね。
長次郎や光悦のものはときどき見ますけども、
本当にときどきですね。
それをぱらぱらっと見て、
もうそれでおしまい。
そのイメージだけでやってるわけなんですけど。

絵でもみんなそうなんですが、
自分なりにパッと見て、
どこを見てるかということなんじゃ
ないのかなと思ってるんですね。
富士山を3人並んで同じところから描いても、
北斎みたいな富士山を描く人もいるし、
梅原さんみたいな富士山を描く人もいるし、
いろんな人がいるんでしょうけど、
結局どこを見てるのかということですよね。
それで違ってくるだけの話なんじゃないのかな
と思ってるんですが。
だから、もっといいところを見るようにして
なにかつくりたいなと思うだけの話で。
糸井 見て、見て、見ても、
答えは見つからないけども、
見る側が変わっていけば変わるという。
細川 そういうことになるんじゃないでしょうかねぇ。
糸井 ご自分でおつくりになるものについては、
とても謙虚に語ってらっしゃいますけど、
ずっとアマチュアだっていう心と、
弟子だみたいな、先生になっていかない、
できたとも思ってないみたいな、
そのあたりがずっと維持できていらっしゃるのは、
これはやっぱり鍛えてきたものなんですか。
人生の中で「俺はやったな!」と
思ったことというのは?
細川 いや、それはありません。
糸井 そこが見事だなと思うんです。
つまりある位置にいる人扱いをされながら
生きてる時代がけっこう長いことあって。
細川 まぁ、あまりたいしたもんじゃ
ないですけども、それは。
糸井 あなたが決めてくださいであったり、
あなたのジャッジが価値を決めますだったり、
そういう場面にいたくなくても
いさせられますし。
今で言えば、ご自分でつくったものについても、
これでよしっていうときは
必ず決断してるはずですよね。
細川 そうですね。
そういうものもこれでほぼ
いいんじゃないかというのは、
いくつかはあるとは思いますけどね。
でも、そういうものはまだ本当に少ないですね。
糸井 これから先、その少ないものは
増えていくって、思われますか?
細川 ええ。少しずつは増えていくと思います。
糸井 それは嬉しいですよね。
(つづきます)


2010-05-25-TUE