細川 最近、私はだんだん絵のほうに少しずつ。
というのは、ちょうど今、
焼き物をはじめてから11年になったんですね。
楽でも井戸でも信楽でも、
ほぼなんていうのか、
自分の思ったとおりのイメージに
できるようになってきた。

前は四六時中本当に考えて、
どうしたらもっといい
梅花皮(かいらぎ)が出せるかとか、
黒のもっと深い、漆黒の黒の深さが
マットな感じで出せるかとか、
そんなことばかり考えてたんですね。
そのために本当にいろんな想像力を働かせて、
お料理屋さんへ行っても
そんなことがいつも頭から
離れないでいたんですけど。

例えば黒のマットな感じを出すというときに、
どうしてもはじめの1年半ぐらい失敗ばかりで
出来なかったんですよ。
あるとき箱根のピザ屋さんに行ったんですね。
そしたら、そこのピザはとても美味しくて、
「なんでここのピザはこんなに美味いんですか」
と言って、そこの職人さんに聞いたら、
イタリアと同じような石窯でやってるんだが、
ウチではほかと違って
石の壁が完全に暖まり切るまでは
最初の一枚を入れないんですと言われた。
温度計が470度になったら
すぐ最初の一枚を入れてもダメで、
壁全体が暖まらないとうまく焼けないと。

それでピンと来て、それから必ず
朝5時頃から起きて、
窯が全体に暖まるまで無駄焚きといいますか、
空焚きをやるんですね。
それから最初の茶碗を入れるようにしたんです。
それから上手くいき始めたんですね。
それなんかまったくなんでもないことなんですけど、
いつもそれを考えてたから
そういうヒントをつかむことができた。
糸井 師匠にあたる人は、
そういうものなんだということは
教えないものなんですか。
細川 ええ、教えませんね。
糸井 ご自分ではおやりになってますね、きっと。
細川 いや、それはわかりません。
そこまでやってるかどうか、
ちょっとそれも聞いたことがありませんけど、
窯自体がやっぱり
それぞれに違うもんですから、
温度計も使ってませんし、
まったく経験だけでやるものですから、
人に聞いてもちょっとわからないと思うんです。
糸井 そのピザのお話は
嬉しかったでしょうね。
細川 漆黒の黒を狙ってるんだけど、
茶色にばっかりなっちゃって、
そうならないんですね。
何かいつも心がけてやってると、
ちょっとヒントになるようなことに、
ぶち当たることがある。
そういうときはやっぱり嬉しいですよね。
糸井 情報量を圧倒的に増やして
吸い込んでいくんじゃなくて、
小さな、少ない情報を
大事に組み合わせたりしながら
やっていくという方法なんですね。
本も、少ない本をゆっくり読んだり何度も読んだり、
消化できるものだけ食べるみたいなことって
今といわば逆行してるんですけれども。
細川 そうですね。
本を読むのも遅いんじゃないでしょうか。
あまり早く読もうという気がないんですね。
糸井 お若いときからそういう志向があったんですか。
細川 雑学をたくさん仕入れても
意味がないと
中学時代から思ってました。
消化力がないものだから。
糸井 それは早いですね。
細川 自分で価値があると思ったことしか
やらなかったものですから、
極端にそういう傾向がありましたので、
二次方程式とか因数分解とか、
そういう学校のつまらない勉強は全くしなかった。
ですから中学でも落第させられたりしました。
人物伝や歴史は夢中で読みましたけど。
──やったと言ったって
『三国志』や『信長記』『太閤記』『チャーチル』
『ドゴール』『太平記』を読んだり
という類の話ですけど。
糸井 長い時間みたいなものを惜しまずに
コストとして支払っているというか。
細川 結局、だいたいが不器用なんだと思うんですよ。
器用にあれもやり、
これもやりっていうことじゃなくて、
限られたものの中から
エッセンスだけ抜き出すという
作業の方が向いているということですかね。
楽(らく=楽焼のこと)も例えば、
やることは限られてるんですね。
つくって焼成するまで。
そんな複雑なこともないし、
限られた手順ですから、
一つひとつの工程をじっくり考えながら、
どうしたら長次郎に迫れるか、
光悦に迫れるかということだけ
考えてやってるので。
いろいろものを読んだり、ということは
しませんですね。

黒楽茶碗 銘 おとごぜ 長次郎
安土桃山時代 16世紀、東京永青文庫蔵
糸井 陶器を写すんじゃなくて、
長次郎を自分に写していくということを?
細川 そうですね。
長次郎は、2代目以降の方のものは
同じ黒と言ってもピカピカで
あまり私の好みではない。
常慶(楽常慶)ぐらいまでは
いいものがありますけども。
私が楽茶碗とは言わないで
黒茶碗と言ってるのは、
そういうことなんです。

長次郎の頃は、
ふいごを使ってないんですね。
ふいご、つまり近代化して
急速に温度を高くするということをやらないで、
本当に地道に炭をくべて
やってるという感じなんですね。
私も長次郎がやったであろうと思われる方式で
やったほうがいいものができるんじゃないかと。
時代が下ると黒ピカになっちゃうのは、
たぶんふいごを使ってるからじゃないかなという、
なんとなくそういう直感を持ったものですから、
はじめからふいごを使わなかったんです。
温度計も勿論使わないで、
昔ながらのやり方に
近いと思うものをやってるんです。
糸井 そういうことは、ご自分の頭の中で、
一人で考えていることですよね。
お弟子さんに入られたときには
何かを学ばれましたか?
細川 辻村(辻村史朗)さんのところでは、
楽はやっておられないので、
あそこではろくろを回すことだけでした。
糸井 ろくろを回すということを覚えに行った?
細川 ええ。
糸井 1年半くらいですか。
細川 ええ。
糸井 なかなか短くないですよね。
細川 そうですね。彼も面白い人で
「アホなおっさん」というのと、
「しつこいおっさん」というのと、
それしか言われませんでしたけど。
糸井 相手の方もまずは
「本当に続くのかいな」って、きっと。
細川 それはそうでしょうね。
糸井 でも、続くんですよね(笑)。
そういう自信はいつもおありになるんですよね。
細川 そうですね。20代から始めたものは、
わりにきちんといまでも続けてるんですね。
細々とでも続けているものが多い。
糸井 ろくろを回すだけ、後はじゃ、
この焼き物、この焼き物というのを
自分で、その人の心を写したいな、
というようなつもりで?
細川 そうですね。その人の心といっても、
志野とか唐津とか、
名前もわからないような人が
たくさんつくっていますから、
結局ものを見て、
それに迫るようなことを
考えるしかないんですけど。

私は辻村さんに
ろくろの基本を教えていただきましたけども、
ろくろを速くひくことを良しとする師匠に対して、
私はろくろを速くひくということは、
あまりいいことだと思ってないもんですから。
その点は、師匠とは違うやり方でやってるんですね。
私はむしろできるだけゆっくり回そうと
思ってるもんですから。
みんな陶芸家の人はちょっと
勘違いしてる‥‥と言うと、
師匠に怒られるかもしれませんが。
糸井 そこは違うぞと。
細川 ええ。そんな一日に300個も茶わんつくって
どうすんのという感じなんですね。
どうして速く回すことを、
私はやらないかと言うと、
速く回せばシンメトリックになるんですね。
それは当たり前の話ですけど、
どうしても丸くならざるを得ない。
ちょっとでもゆがんでたら
遠心力で
ぐじゃぐじゃになってしまいますから。
私は手作り感を出したいと思うものですから、
ろくろを極力ゆっくり回している。
そうすると、いくらか手作り感的なものが
出てくるんですね。
ちょっと人がやることと、
反対のことを考えてやるという、
この場合も多少の反骨心と言いますか。
糸井 たくさんつくるということは、
いわば産業として成り立つ
ということにもなるから、
それに憧れてた時代があったんでしょうね。
きっとね。
細川 面白いものをつくろうと思ったら、
別にそんなろくろで
速く回さなくていいじゃない、
ということなんですよね。
糸井 それは最初におっしゃったけど、
アマチュアとして始めることの
有利と言いますか、
アマチュアだからできるという楽しさですね。
細川 ええ、そうですね。
糸井 息子さんとの話も。
細川 職業としてやるんだと、
息子なんかもずいぶん速く
ろくろを回してますけど。
だからどうしても
丸くなっちゃうんですよ。
糸井 それはそうですね。
野球の選手のイチローは、
同じ仕草をして
バッターボックスに入っている。
もう癖と見られているけど、
一つも変えたくないんだって言う。
順番にこうして、みたいなことが
全部あるというのも、
いわば自分の産業化ですね。
そこで確実性を出していくんだと
思うんですけど。
野球の選手って、
きっとそのほうが
成績が上がるからいいんだと思いますけど、
焼き物をつくるというのは、
そのこととまったく逆のところに
面白みがあるんでしょうね。
細川 そうかもしれませんね。

(つづきます)


2010-05-26-WED