糸井 |
油絵は、そうしたら
よりゆっくりであろうが速かろうが、
ご自分のリズムというのを、
ろくろ以上に制約するものがないから。 |
細川 |
そうですね。水墨は一発勝負で、
やり直しがきかない世界ですから、
これは本当に難しいと思いますけど、
油絵は何回でも塗り直しがききますからね。
その点は楽といえば楽なんですけど。
でも、まだ私は油絵は始めたばかりで、
1年とちょっとしか経ってないんで、
あまりモノをいう資格はないですが。
まだ50枚ぐらいしか描いてないですから。 |
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糸井 |
それでも50枚にもなってるんですか。 |
細川 |
はい。
まだ焼き物で言うと、
ろくろを速く回してる段階なんですよ。 |
糸井 |
まだ技を身につけたいですよね。 |
細川 |
そうなんです。
どういうキャンバスを使って、
どういうタッチでというのが
まだよくわからないんですね。
ですからまだいろんなことを
トライしてる段階で。
本当に一つ二つ、
まぁまぁよくできたかなと
いうのがありますけども、
必ずしもまだそんなに
満足のいくものがなくて。 |
糸井 |
絵のほうは、何を描くかということが
焼き物と違ってもう一つ要求されますけど、
それは素直に出るものなんですか。 |
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細川 |
今まではわりに出てきました。
でもなんていうのか、
私はただヨーロッパへ行って、
いい教会があったからそれを描いてみたい、
とかって、そういう感じには
あまりならないんですね。
セザンヌも描いてる、
モネも描いてる、
そういう景色を描きたいかって言うと、
そこへ行ってもそんな気には
あまりならないですね。
それを描いて何かを訴えるという気が
あまりしないもんですから。
今わりに多いのはやっぱり
仏の世界に通じるようなものですね。
水墨画の世界を油で描くといった。
今度たまたま今
メゾンエルメスで展覧会をしてるんですけど、
そこに出しているものも殆ど
仏の世界に通じるようなものを
出してるんです。
例えば花でも蓮の花とか、
十一面観音の横顔とか
そういう仏画的なものがほとんどです。 |
糸井 |
それは白隠とかを
毎日のように見てきたことは
影響がありますかね。 |
細川 |
ええ、それもあるかもしれません。
セザンヌのサント・ヴィクトワール山
みたいなものを描いてみても、
それはちょっとあちらの人には
なかなか太刀打ちできないだろうと
いうこともありますし。
それから何を訴えようとするのかというのが、
その前にまず沸いてこないものですから。
何か訴えられるようなものということで、
モチーフを選ぶとすると、
中宮寺の仏の顔をちょっと描いてみるとか、
正倉院の仁王さんを描いてみるかとか、
そういうことになってきて。
モチーフの選び方が
もう少し日本的と言いますか、
そういうものをとくに選んで描いています。 |
糸井 |
そこでも間接話法ですね。
一旦仏に仮託してというか。
いつでもご自分を消すほうに、消すほうに(笑)。
それをつくづく感じますね。
書もおやりになってますよね。 |
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細川 |
やっているというか、書の場合は
必要に迫られてやってることが多いんです。
あちこちのお料理屋さんとか、
旅館とかそんなところからも、
なんか書いてほしいというお話が
あったりするものですから。 |
糸井 |
書には何年もやろうかな
というようなかたちで
取り組んだっていうことはないんですか。 |
細川 |
ええ。書は知事をしてますときに、
やっぱりいろいろ頼まれるんですよね。
なんとか小学校とか、なんとか橋とか、
なんとかトンネルなんていうのもありましたが。
書と言えないような、
ペンキを塗ったほうが早いというようなものも
けっこうあったんですけども、
それでも、けっこう量が多いものですから、
筆慣れだけは多少したということでしょうか。 |
糸井 |
お習いになったんですか。 |
細川 |
はい、それからずっと習ってます。まだ今でも。 |
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糸井 |
先生がいらっしゃって。 |
細川 |
はい。熊本におられる、
もう80歳ぐらいの先生ですけど。
その方は仮名のご専門の先生なんですけども、
添削していただきにときどき書いたものを送って、
見ていただいています。
月に一遍ぐらいはやってますかね。 |
糸井 |
続いてらっしゃるんですね。 |
細川 |
ええ。とくに仮名は難しいものですからね。
それを出すと、必ず墨継ぎが悪いと。
ああいう先生達は、例えば和歌なんかだと、
最初から終わりまで墨継ぎなしで
いってしまわれるんですけど、
やっぱり下手くそが書くと、
どうしても墨継ぎが多くなって。
だから今でもしょっちゅう突き返されて。 |
糸井 |
ちゃんとしゃべれてないということですね。
あの至宝展で、僕は一番自分として
うわっと思ったのは、
それぞれの人の書なんです。
優しく見えて強いとか、
かまわない性格だとかみたいなのが
それぞれに面白いなぁ‥‥と。 |
細川 |
そうですね。
ここ(永青文庫)に
信長のものが59通ほどあって。 |
糸井 |
信長も面白いですね。 |
細川 |
信長、やっぱりいい字ですよね。
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織田信長自筆感状(与一郎宛
安土桃山時代 天正5年(1577年)
東京永青文庫蔵
東京展での展示期間は2010年5月9日で終了。 |
それから秀吉が18通、
家康が17通あるんですね。
秀吉なんかしくじったところは
グチャグチャッと墨で塗って、
そのまま平気で続けて書いてますからね。
やっぱり性格がよく出るんですね。 |
糸井 |
家康はしっかりしてますよね。 |
細川 |
そうですね。
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徳川家康書状(丹後宰相宛)
安土桃山時代 慶長5年(1600年)
東京永青文庫蔵 |
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糸井 |
面白いなぁと思いまして。
絵やら焼き物以上に、瞬間的な癖というか。 |
細川 |
出てくるかもしれませんね。 |
糸井 |
おかげでパンフレットにあった
石川九楊(きゅうよう)先生の講演、
「俺、それ聞きに行きたいわ」と言って、
初めてそういうお話を聞く機会を
つくろうと思ったんです。
細川ガラシャにしても、
柔らかそうに見えて
ものすごく意思の強いところがあって。 |
細川 |
そうですね。やっぱりかなり
激しい感情を持ってる人だったんだろうな、
というのがあの字を見ても、
なんとなく想像できますよね。
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細川ガラシャ消息(細川忠興宛)
安土桃山時代 16世紀
東京国立博物館蔵 |
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糸井 |
人がどう見ようが、この字なんだというか、
表現するものに恥ずかしいだの
なんだのっていうのが一つもないところで
書いてるものですから、
真っ裸みたいに見えますね。
いや、面白かったなぁ‥‥あれは。
それは細川さんも同じで、
おやりになってる
「一から学ぶ」というときに、
こんなの恥ずかしいみたいな
気持ちみたいなものがなく、
素直にダメならダメっていうところの、
人の目を気にしない感じというのが
素晴らしいと思うんですけど。 |
細川 |
そうでしょうか。 |
糸井 |
やっぱり照れちゃうというか、
できてないんだよというときには
「見せられない」となるところを、
「どうぞ、ダメですけど」という
見せ方をなさってるのは。 |
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細川 |
そうですかねえ。
そんなこともあまり
意識したことはないんですけども。 |
糸井 |
それも意識してないですか。 |
細川 |
はい。 |
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糸井 |
例えば僕自身が書にしてもそうですし。
和歌とか俳句というのを
憧れてるのにできないんですよ。
やっぱりそれなりのものをつくらないとなぁ、
という気持ちがあって、
それなりのものに辿り着いてないのに、
とくとくとしてるわけにはいかないというような
半端なプロ根性があるんです。
とくに自分の仕事に関わるところでは、
どうしてもできないんですよね。
細川さんがおやりになってるのは、
スッと習いに行ったときに、
「やってごらん」と言われたら
もう既に恥をかくというとこから始まるのを、
きれいな距離感でずっと平熱で、
先生ともきっとお付き合いに
なってるんだろうなぁって、思うんです。 |
細川 |
いや、それはまぁ‥‥、
焼き物なんかもまったく
ど素人からですから、
そりゃあ、申し訳ないなあと思いながら、
教えていただきましたけども。
俳句とか和歌なんかも、
ときどき旅行した先でつくって、
熊本の安永蕗子先生という
和歌の老大家のところにお送りして
添削していただいたりするんですね。
ときどきですけど。
でもけっこうそれが勉強になりますね。
たまにしかやりませんけども。 |
糸井 |
つまり心を虚しくして、
先生にすっと出せるというだけでも
偉いなぁと思うんですよ。 |
細川 |
いえ。全く恥も外聞もなく。 |
糸井 |
つまりずっと一貫して人がどう思おうが、と? |
細川 |
それはあるかもしれませんね。
習うときには別にうんと年下の人であっても
全然恥ずかしげもなくやってます。 |
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糸井 |
そのとおりだと思うんですけどね‥‥。
勝ち負けとかはないんですね、
そこではまったく。
きっと僕らがぎくしゃくするのは
勝ち負けを感じてるんでしょうね、きっと。 |
細川 |
そうでしょうかね。 |
糸井 |
いや、直したいんですよ。
できることならばそんなものなくって、
ある部分では犬からでも
赤ん坊からでも学べることがあるというのは
心から思ってるんですけど、
こと技巧の加わることになると、
最低限このくらいみたいなことを
思っちゃうんですよね。
これを直さないといけないなぁと思うんですけど。
(つづきます) |