イベント「活きる場所のつくりかた」よりメガさん(Megarini Puspasariさん)のおはなし子供たちのためにできること、世界のためにできること
第3回
奨学金以上に、子どもたちが夢を持てるように。

hoshiZoraでは最初に
「Foster Siblings(弟妹支援)プログラム」を
始めました。どんなことかというと、
たとえば、私が毎月1,000円を送ると、
それでインドネシアの子ども1人を
学校に行かせることができるだけでなく、
子どもたちはいろんなセミナーや
モチベーションを高めるイベントに
参加することができる。
教育も受けられて、モチベーションもアップするという、
そういうプログラムなんです。
そして、ただお金だけじゃなくて、
たとえば、その子どもに手紙を書いて、
「私たちは日本でこういうふうに、
 仕事や、勉強をしている」と伝えることで、
子どもたちにモチベーションを与え、
いろんな世界のことを紹介するという
インタラクションがあるプログラムです。
奨学金以上に、子どもたちが夢を持てるように
サポートをしたいんですね。

hoshiZoraは、APUに在学中、
18人の子どもの支援から始まりました。
教育がよりよい人生の基本である、
ということを信じている人が、
「hoshiZora」の活動に参加しました。
「小さなことが大きな変化をもたらす」とか、
「夢の力」を信じている人が、
国籍に関係なく、
だんだん、だんだん、参加するようになりました。

2006年にAPUを卒業し、大阪で就職をしました。
子どもたちの教育に関心があるので、
公文教育研究会で、4年間、仕事をしました。
仕事も毎日楽しかったんですけれども、
その間に結婚をして、旦那はインドネシアにいるので、
毎月とか2ヶ月に1回とか、インドネシアに帰りながら、
大阪に戻って、という生活をしていました。

在学中に「hoshiZora」を作ったのは私だけじゃなく、
最初のコミュニティには6人のメンバーがいました。
その後、APUから卒業し、
みんなが自分の仕事を持ちながら、
「hoshiZora」の活動を続けたんですけれども、
仕事も忙しく、家族も持つようになって、
ここまで来た活動を「これからどうするか?」
という話が持ち上がりました。
2010年のことです。
やっぱり女性として、家族を持って、
そこのバランスも考えながら頑張らなければ
いけないんじゃないかと。

その時は、80人の子どもをサポートしていました。
みんなで話して、「じゃあ、本気でやろうか」、
「本気でやるなら、インドネシアで」という話が出ました。
一人が「インドネシアに帰る?」という話をして、
私もそろそろインドネシアに帰ろうかなぁと考えました。
そこで2002年から2010年まで、8年間住んだ日本から、
インドネシアに帰国したわけです。

インドネシアの友達からは言われました。
「なんで帰るの?」
「給料も高いし」
「日本のほうがいいんじゃない?」と。
「帰って、何をするの?」と。

けれども、私は4月26日に帰って、
5月2日、1週間もない間に、
インドネシアのジョグジャカルタにオフィスを作りました。
やりたいことは明確です。
本当に椅子もない所から始めて、
どんどんいろんな活動もやって、
今、1,500人の子どもをサポートしています。
この4年間で、80人から1,500人のサポートに
広がっていきました。
楽しいです。
好きなことなので、もう本当に楽しすぎて、
家族も時々、かわいそうというか(笑)。
しょうがないんですけれども、母がいますので、
その母にサポートをしてもらいながら、
「hoshiZora」も頑張っています。

「hoshiZora」は、さっきも言いましたように、
1人の子どもに1人のスポンサーがあるんですけれども、
そこの中で、いろんな活動に参加してもらっています。
たとえば「hoshiZoraフォーラム」は、
1年に2回、子どもたちを集めて、
その子どもたちと同じような背景、
前は貧しかったけれども、
今はもう成功したという方を招待して、
子どもたちに話してもらう。
そういうこともやりながら、
子どもたちは、どんどん、どんどん伸びています。

(つづきます)

2015-08-31-MON