「それは、本当に実弾ですか?」 鳥飼は貴史に言った。 ことばの意味するところが、貴史にはうまくつかめなかった。しかし、その質問が貴史の行動の根源的な部分を脅かしているのだと理解した瞬間、貴史は激しい憤りを感じた。 要するに、それを疑うということは侮辱するということだった。まず、貴史の持つ銃の存在そのものを。そしてその銃の威力を基盤に起こされている貴史の一連の振るまいを。つまりは、いま、この場のすべてを。さかのぼれば、祖父の存在を。 貴史は奥歯を噛みしめた。そして、腹が立つがゆえにひどく冷静に言った。 「それは……どういう意味ですか?」 あまりに腹が立って、貴史のことばは丁寧になった。対する鳥飼のことばはもともと丁寧だから、自然、やり取りはとても紳士的になった。少なくとも、表面的には。 「いえ、ことばのとおりです。それは、実弾なのですか、と」 「おっしゃる意味がわかりませんね」 貴史はその風変わりな銃を握り直し、鳥飼に向けた。3Dプリンタで出力された樹脂でできていて、色も形も銃らしくないが機能には問題がない。 「その銃に充填されている弾丸は、実弾なのですか?」 「この銃を疑ってるのですか?」 「いえ、銃ではありません」 「つまり?」 貴史はいらいらしてきた。鳥飼は最初の質問をくり返す。 「つまり、それは、本当に実弾なのですかと」 「試してみるか」 貴史は右腕を突き出した。銃口がはっきりと目的の場所へ向けられた。鳥飼の眉間だ。ひ、と由希子が離れた席で思わず息を飲んだ。 しかし、鳥飼には身じろぎひとつない。努めて穏やかに、鳥飼は言った。 「私の話を聞いてくれますか」 「どうかな」 「聞いてください」 「あぁ?」 貴史は右腕を伸ばしたまま、一歩前に出た。銃口は眉間に近づく。今度はマリが反射的に小さく叫び、慌てて両手で口を押さえた。 「私の話を、聞いてくれますか?」 もう一度、鳥飼が言った。姿勢にはまったく揺るぎがない。貴史は鳥飼を冷ややかに見つめる。銀縁メガネの下から鳥飼が見つめ返す。 数秒。 鳥飼は許しを得なかったが、タイミングと声の加減が絶妙だった。積まれたジェンガのブロックを下からひとつスッと抜き取るみたいに、鳥飼は話しはじめた。 「私は吹奏楽をやっていました」 貴史はすでに聞いてしまっていた。 「担当する楽器はホルンです。正確にいうと、グレザリアン式のホルンです。みなさん、ご存じないでしょうね、グレザリアン式のホルンは」 鳥飼はあまり首をふらずにそこいる全員に視線を投げた。 「グレザリアン式のホルンはスペインの王朝に伝わる由緒ある楽器です。基本の構造はホルンとまったく変わりませんが、大きさがほんのちょっと小さい……いや、そんなことはいいんです」 鳥飼は腰のあたりで両方の手のひらをほんの少し上に向けた。 「グレザリアン式のホルンがあるように、グレザリアン式のトランペットもあります。トロンボーンもチューバも、同じようにグレザリアン式があり、それらはグレザリアン式の吹奏楽を奏でます。いや、また、話が長くなってしまいそうだ。すみません、要点を言いましょう」 鳥飼は手を腰のあたりに保ったまま、右手の人差し指を軽く立てた。 「グレザリアン式吹奏楽は、非常に繊細な音楽です」 話は一向に要領を得なかったが、そこには続きを聞きたいと感じさせる不思議な魅力があった。 「演奏力はもちろんですが、繊細な音感がないと、演奏することはできません。この繊細さ、厳密さを説明するのは、なかなか難しい。なにしろ、耳がよくないとダメなのです」 話しながら鳥飼はベルトあたりの位置で右手の人差し指を軽く左右に振った。 「私はグレザリアン式吹奏楽を三年かけて身につけ、六年、演奏しました。グレザリアン式吹奏楽をマスターしたから耳がよくなったのか、もともと耳がよかったからグレザリアン式吹奏楽がマスターできたのか、それはよくわかりません。ただ──」 鳥飼はついに右手の人差し指は胸の高さにまで挙げた。 「とにかく、私は耳がいいのです」 あ、と今村は思った。そして、いまは止まっている天井のエアコンを見上げる。中爆発を未然に防ぐため、電源を切って修理している最中だ。 鳥飼が続ける。 「だいたいのことは、音に表れます。音ですべてがわかります。たとえばなにかが問題を抱えていると、どこかにほんの少し、不自然な音が混じるものです。人だってそうじゃないですか? 体調が悪いとき、機嫌がよくないとき、その人の声を聞くだけでわかったりしませんか? それは──」 「もういいよ、その話」 貴史はしびれを切らして遮った。 「すみません、もう終わります」 「あとどのくらいしゃべるんだ」 「1分」 鳥飼は人差し指を突きつけた。そしてまた許しを得ずに続けた。 「グレザリアン式吹奏楽は王朝の音楽です。そしてそれは軍隊とも関係が深い。極めて特徴的なことには、曲によっては鉄砲隊が演奏に加わるということです」 へぇ、と思わずマリはつぶやいてしまい、また慌てて口をつぐんだ。 「とりわけ儀式で演奏される何曲かの楽曲において、鉄砲隊は打楽器のようにアクセントを任されることがあります。むろん、空砲です。演奏される曲の決まった箇所で、数人から成る鉄砲隊が空砲を撃つのです」 つまり、と言いながら、鳥飼は人差し指を貴史のほうへ向けた。 「私は、空砲を、何度も聞いたことがある」 人差し指は銃口を指刺している。 「そしてもちろん、実弾の発砲音も聞いています。両者には明らかな隔たりがある。一般に聞き分けることは難しいでしょう。しかし、グレザリアン式をマスターした者には造作もないことです。実弾が発砲されるとき、音は硬質です。圧縮された空気が、ひとつの方向へ着実に向かう意志のようなものが音に表れます。一方、空砲はそこで空気を震わせることが目的ですから、向かう方向はなく、その場で乾いた破裂音を発します。そう、無理にことばにするなら、実弾が放たれるときには『タ』という音が混ざります。『T』というよりは日本語の『タ』に近い。むろん、この表現は私個人のものです。一方、空砲、祝砲には、アルファベットの『P』の音が混ざります。こちらは逆に日本語の『パ』や『ピ』ではなく『P』の属性を含む」 シャツのこすれる音がして、貴史が銃の狙いを完全に定めた。鳥飼の眉間まで、数十センチ。 鳥飼は結論を述べようとする。 「さっきから、あなたが撃ったときの音を、何度も何度も思い返しているんですがね……」 貴史が無造作に半歩近づく。もう、それがメガネのレンズにくっつきそうだ。鳥飼が最後のひとことを発する。両手はぶらりと腰のあたりに下がっている。 「私には、どうもそれが、空砲に思える」 銃口をにらみかえす鳥飼。額から汗が一筋流れ落ち、鼻筋からメガネの下を通って頬へ流れる。呼応したかのように、貴史の顎にも汗がしたたる。 暑い。 喫茶デュラムセモリナのエアコンは、止まっている。
(続く)