糸井 |
いろいろ思い返すと、伊丹さんって、
「これだけやれば
オレを雇った意味があるだろう?」
‥‥ってところまで
徹底的につきつめるじゃないですか、仕事を。 |
浦谷 |
そうそう、そうだね。 |
糸井 |
たとえば、伊丹さんと、
ドキュメンタリーを撮りに行くとしますよね。
で、そのとき、
「このままじゃ、おもしろくないよな」とか、
「想定していたものとちがった」とか
七転八倒して、
「じゃあ結局、何がしたいの?」って聞かれたら、
「自分の好奇心を満たすこと」と、
「お客さんへサービス」だったと思うんです。
伊丹さんが、やりたかったことの核って。
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浦谷 |
そうだね。 |
糸井 |
お金をもらって雇われた以上の何かを、
全力で返そう‥‥
みたいなところを、感じるんですよ。
それは、
つくり手のとしての「すごみ」ですよね。 |
浦谷 |
ああ‥‥。 |
糸井 |
つまり、どんなに成功したとしても
伊丹さんのこころには
つねに「貧乏人」が住んでたというか‥‥。 |
浦谷 |
うん、うん。 |
糸井 |
そういう言いかたもヘンですけどね。
なにか「ありがとうございます」って感じが
するんです、伊丹さんの仕事からは。 |
浦谷 |
なるほどね。 |
糸井 |
浦谷さんは、そこで絞られたんだもんなぁ。 |
浦谷 |
さっきも言ったけど、ぼく、
1971年にテレビマンユニオンに入ってるの。
で、いま思うと、
60年代の後半から75年ぐらいまでの間しか
成立しないような
テレビ製作の現場が、あったなあって思う。 |
糸井 |
そうですか。 |
浦谷 |
それは、ウチの会社の理念とも重なってくるけど、
伊丹さん的なやりかたでもあったと思うんだ。
つまり、ひとりひとり、
自立したクリエイターが集まって、一斉に走る。
お互いにお互いを信用して。
それだけで成り立っちゃうような、そういう現場。
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糸井 |
うん、うん。 |
浦谷 |
ぼくは、そういう時代にしかできなかったことを
ずいぶん、教えてもらったなと思いますね。 |
糸井 |
ほー‥‥。 |
浦谷 |
だから、さっき話した
「お前のあたまだけで理解できててもダメ。
見方の入り口をきちんと付けなきゃ
見ている人には、伝わらない」っていうのは
もう、身体で覚えさせてもらったよね。 |
糸井 |
そうなんでしょうね。 |
浦谷 |
ぼくが『タンポポ』のメイキングをやったあと、
若き日の周防くん(映画監督・周防正行さん)がさ、
『マルサの女』のメイキングをつくったんだ。
「マルサの女をマルサする」ってやつ。 |
糸井 |
ええ、ええ。 |
浦谷 |
で、かつてぼくが伊丹さんに絞られたように、
こんどは、周防くんが絞られたの。
「入り口をつけなきゃダメだ!」って。
‥‥伊丹さんとぼくに(笑)。 |
糸井 |
ははー‥‥。 |
浦谷 |
その、伊丹流ドキュメンタリーの手法って
「テレビ的」なやりかたですから、
たしかに、
映画人の周防くんには、わかってなかった。 |
糸井 |
そうですか。 |
浦谷 |
だってさ、ぼくと伊丹さんは
すごく肯定的、良い意味で「テレビ的」という言葉を
使って話すんだけど、
周防くんたち映画人にとっては、真逆の意味だから。 |
糸井 |
文化がちがったんですね。 |
浦谷 |
とにかく、なんかのインタビューでね、
周防くんが語ってるんだよね。
伊丹さんとぼくに、
いかに修行させられたかについて(笑)。
周防 |
(中略)終わって編集して見せたら、
全否定されたわけ。
‥‥伊丹さんとプロデューサーの浦谷さんに。 |
周防 |
浦谷さんていうテレビの人とやって、
"テレビ的である”っていうのはどういうことか、
教えてもらったんです。
要するにね、
テレビって面白いことがあったときに、
それをいきなり見せちゃだめなんですよ。
(中略)
ここ見せたいっていう面白いことがあったら、
先に言えって。
「いいですか、
山崎努さんがこんなことをしますよ。
とても面白いですよ。
いいですか、見てください」って見せる。
それで「ね、面白かったでしょ」って念を押す。
これがテレビだって言われて。 |
|
ーーー武藤起一著『映画愛』(大栄出版)p172-173 |
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糸井 |
周防さんは、伊丹さんのご指名だったんですか? |
浦谷 |
ぼくが『タンポポ』のメイキングをやった直後、
TBSで『世界ふしぎ発見!』がはじまって。 |
糸井 |
ああ、浦谷さんがプロデューサーやってた‥‥。 |
浦谷 |
だから、ぼくが『マルサの女』の撮影現場に
行けなくなっちゃったのが、そもそもで。 |
糸井 |
なるほど、なるほど。 |
浦谷 |
じゃあ、誰に頼んだらいいだろうって、
伊丹さんとぼくで、考えたんです。 |
糸井 |
へぇ。 |
浦谷 |
「おまえが来れないなら、誰がいい?」って。
そのときは
「じゃ、次までに考えときますか」って言って
わかれたんです。
で、次に会ったときに
「周防くんは、どうでしょう?」って訊いたら
伊丹さんも「そう思ってた」って。 |
糸井 |
一致したんだ。 |
浦谷 |
当時の周防くんは、「小津安二郎」の方法論で
ポルノ映画(『変態家族 兄貴の嫁さん』)を
撮ってたりしてさ、
あの発想はいいよなーって、ふたりで一致して。 |
糸井 |
なるほど。 |
浦谷 |
まぁ、そんなわけで
周防くんがやることになったんだけど‥‥。
彼のつくった『マルサの女』のメイキングを
テレビマンユニオンの編集室で観ながら、
伊丹さんと、ああでもない、こうでもないって
いろいろと、ダメ出しが出まして(笑)。 |
糸井 |
ええ、ええ。 |
浦谷 |
でね、いまでもよーく覚えてるんだけど、
1カ所、伊丹さんにもぼくにも
まったくおもしろいと思えない部分があったの。
「こんなの、ふつうカットだよな」って。
で、周防くんにね、その場面に
どういう意図があるのか、説明してもらった。 |
糸井 |
ほう。 |
浦谷 |
そしたら周防くんがね、
実況中継をはじめたんですよ、その映像の。
で、そのようすをしばらく眺めてたら、
周防くんが
何をおもしろがってたかがわかったの。 |
糸井 |
はい、はい。 |
浦谷 |
具体的にいうと、映画を撮影するときって
クレーンなんかを上下させたり、
スタッフが、動き回ったりするでしょう?
それを実況中継してるんです、周防くんが。
「さあ、いま、俳優のだれそれが
こっちへ走りましたっ!
それを受けて、カメラはこっちへ移動!」
みたいなことを、ナレーションしはじめたの。
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糸井 |
スポーツ中継に近い感じ? |
浦谷 |
そうそう、それが、おもしろかったんです。
つまり、そこでようやく、
「この映像は、
こうやっておもしろがればいいのか」ってことが、
ぼくら見ている側にわかったんです。 |
糸井 |
ああ、伊丹さんの「入り口」の話だ。 |
浦谷 |
なんだ、おもしろいじゃん‥‥って。
それだったら、オッケーだよなって。 |
糸井 |
つまり、その伊丹さんの「入り口」論は、
その後の周防監督にとっても、
すごく重要なものになってるわけですね。 |
浦谷 |
うん。そういう修行を、
こんどは、周防くんが積むことになったの。 |
糸井 |
結果、ずいぶん育っちゃったわけですね(笑)。
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<つづきます> |