糸井
先日ツイッターで、こういう話題があったんです。
コーヒー屋さんの「ドトール」の店頭に
大きなポスターがあって、
いつも、おすすめのメニューが書かれているんです。
そしてそのときはイチゴのケーキの写真があって、
横に、こう書かれてたそうなんです。
『コーヒーとショートケーキ、おいしい。』
‥‥で、それを見た誰かが
「これはなんだ?」と思ったらしいんです。
つまり「これがキャッチコピーかよ」ということで。
それに対してツイッター上でいろんな人が
大笑いしてたわけ。
水野
つまり、わざわざポスターに書いてあるのに、
あまりに当然すぎることを言っていて。
糸井
だけど、ぼくはその話題が盛り上がるのを見て、
「待て待て」と思ったんです。
ポスターに書かれてるのは、
やっぱりプレゼンを通ったコピーだから、
書いたほうも決めたほうも、
あえて選んだに決まってるんです。
下手なそれらしいコピーを書くより、
「そのまますぎる」ほうがお客さんに伝わるから。
だから、みんなが笑ってるのは
実はちょっと違うんだよと書いたんです。
そしたらやっぱり、次のポスターとして、
意図的だったとわかるものが出てきた。
これはぼくには、すごく納得がいくんです。
水野
なるほど。
糸井
そして、伊藤まさこさんと娘さんが
いるところで、その話になったんです。
そしたら17歳ぐらいの伊藤さんの娘が
「それはわかる」と言ったんです。
「だって覚えてるもん。
あのとき食べたくなったもん」って。
水野
ええ。
糸井
つまり、実際にポスターを見るお客さんにとって
「上手そうであるかどうか」なんて、
関係ないんですよね。
上手か下手かは流派の話でしかないんですよ。
その「おいしい。」に近いことは、
ぼく自身も実際にやってきているし。
‥‥と、ここでさっきの話に戻るけど、
カレーにしても、
「サイエンスカレー」であろうと、
「カルチャーカレー」であろうと、
「ノスタルジックカレー」であろうと、
食べる人にとっておいしければ、
それが、いちばんいいわけで。
水野
そうなんですよね。
食べる人がどう感じるか、というのが
やっぱりいちばん大事なんです。
糸井
同じようなことで、もうすこし言うと、
大昔の関西電気保安協会のコマーシャルで、
素人のおじさんたちが登場する
シリーズがあったんです。
たとえばそのひとつは、素人のおじさんが
「電気のピリピリするところはありませんか?」
って聞いて、うちの人が
「ピリピリするところはありません」と言って、
おじさんが
「そうですか。ああよかった」と言うだけのもの。
東京コピーライターズクラブの審査会場に
それが出てきて、みんな
「はあ?」って、笑って落としたんです。
でもぼくが
「いや、これは明らかに何かだから、
選ぶのが自分ひとりでもこれを入れたい」
って言ったら、みんながぼくの顔を立てて
入れてくれて。
結局それ、川崎徹のデビュー作なんですよ。
水野
へええー。
糸井
あと、朝日広告賞の一般公募の審査会場で、
ただ「♪雪の降る夜はたのしいペチカ」
みたいな楽譜があって、
そばにただ「カルピスを飲みながら」って
書かれているものがあったんです。
それも、地味な楽譜とことばだけだから
まったく票が入ってなかったんです。
だけどぼくは「これはすごい」って、
必死になって推したんです。
そしたらみんなが
「なんかそんな気もする」と言いだして
どんどん票が入って、結局トップになったのかな。
それを作ったのは実は
まだクリエーティブ局に行く前、
セールスプロモーション局にいた時代の
佐藤雅彦なんです。
水野
はああー。
糸井
だから、ほんとにすぐれたプレイヤーは、
「いま何が主流か」なんてぶっ飛ばして、
何が言いたいかの部分を、
ものすごく炒めなかったり、
焦がしたりしながら伝えちゃうというか。
水野
‥‥ちょっと話がとびますけど、思ったのが、
糸井さんはやっぱり「ことば」で
ずっとやってきている人だから、
いまの話のようなことが見えたり、
おもしろく感じられたりするわけじゃないですか。
ぼくがカレー屋さんの店主たちと話していて
おもしろいのは、ぼくは自分も作るから、
店主たちと話すときに、
彼らの話がふつうの人よりわかるんですよ。
どこが大変なのかとか、
どこで迷ってるかとか、どこがすごいかとか。
糸井
ここはわざと手を抜く、とかね。
水野
そうそう。そういう理由がわかるから、
何でもなく見えるカレーのなかに、
「ああ、それやってるんだ」の会話が通じるのが、
たのしいわけです。
向こうも「この人はわかってくれる」と思うから、
いろんなことをしゃべってくれる。
ぼくはその部分がたのしくて
いろんなカレー屋さんに行ってるところもあって。
糸井
映画好きの人って、
ストーリーをたのしむほかに、
「ああ、いままで乗り越えられなかった手法だけど、
こうやったんだ。こうすればできるんだ」
みたいなことを見つけて喜びますよね。
水野
そう。10人が感心してるけど、
1人だけはぜんぜん別のところを見て、
「ははあ」って言ってたりみたいな。
そういう部分に惹かれるところはありますね。
糸井
なるほどね。
水野
あと、ぼくの自宅には、
タンドーリチキンとかナンとかを焼く
「タンドール窯」があるんですけど‥‥。
糸井
(笑)。タンドール窯って、
インドにもあまりないらしいじゃない?
水野
そうそう、そんなにメジャーじゃないんですよ。
ナンは高級料理屋さんで食べるもので、
ふつうのインド人は、
カレーと一緒にチャパティやライスを食べてるから。
タンドールはほんとにお金持ちしか持ってない。
糸井
その窯が、日本の水野さんの家にある。
水野
そうなんです。
自宅にタンドールを入れたのは
たぶん日本人初じゃないかと思うんですけど、
7、8年ぐらい前に導入したんです。
糸井
ええ(笑)。
水野
そのときからぼくはタンドーリチキンを
自分の家で焼くようになったんですが、
それでわかったことがあるんです。
タンドーリチキンって、マリネした鶏肉を
「シーク」と呼ばれる長い串に刺して、
釜の中に立てかけて焼くんですね。
当然、鶏肉が重力で落ちるわけじゃないですか。
だから実は、骨と肉のあいだの
どの部分に串を刺すかがすごく重要で。
ただ刺していくと、スポンスポンと落ちて、
下の炭のところで黒焦げになっちゃう。
糸井
ああ、なるほど。
水野
ぼくは家に窯を導入してはじめて、
タンドーリチキンの串の刺し方の
難しさがわかったんです。
その瞬間、インド料理店の
ガラスのスペースでニコニコしてる、
インド人たちのすごさに気づいて。
糸井
うん。
水野
で、自宅にタンドールを導入してからのぼくは
インド料理屋でタンドーリチキン頼むと、
食べる前に、まず串の穴の場所を探すんです。
そして「この角度でここに入れると落ちないんだ」
って感心してる。
タンドーリチキンが運ばれてきて、
穴の位置で感心するのは、
やっぱりタンドールを持ってる人だけじゃないかなと。
一同
(笑)。
水野
さらに、そのシェフと、
「やっぱりあそこに刺すんですね」みたいな話で
盛り上がれるわけじゃないですか。
糸井
ふつうに見えるものの裏側がわかるのが
たのしいんですよね。
水野
そうなんです。
そういった、なんでもなく見えることの
裏側にあるすごいことに、
ぼくはとても憧れがあるんです。
糸井
そういった、その人たちならではの
すごいことって、
夜の街で働く子たちから、
大学教授から、政治家から、
きっとみんなあるよね。
そしてそういう話は、ぜんぶおもしろい。
水野
そう、みんなあるんですよ。
ただ、それを出す流派と出さない流派が、
また分かれるじゃないですか。
もちろん仕事として
「出しといたほうがお金になるな」という人も
いると思うけれども。
糸井
ことさらに出しすぎる人もいるもんね。
水野
いますね。出すものないのに出す人もいるし。
だけど、やっぱりぼくはどうしても、
そういう自分の工夫をことさらに言わない人々に、
憧れがあるんです。
糸井
水野さんは大きく言うと
「オカルト主義者」だね。
隠されたものを見つめ続けるという。
水野
そうですね。
ぼくは「カレーオカルト主義者」だと思います。
糸井
だけど水野さんはすでにそういうことを、
相当知っちゃってるんじゃない?
水野
相当知ってますけどね。
でも、まだ知らないことがあるわけですよ。
だから、もっともっと知りたいんです。
糸井
そのセリフがやっぱりポイントだよね。
(つづきます)
2016-05-02-MON
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN