ザ・グレート・フリー 自由業、着地点は不明です。



第4回 社会の風当たりに比べりゃ、親なんて。

天久 看守の仕事をやりながら描きためた
漫画の原稿を持って
出版社を何軒か回りました。
そして、ある出版社で、
「漫画を多めに入れた本を
 新しく創刊するから、
 じゃ、新人としてデビューするか!」
と決まったので、
神戸に戻り、辞表を叩きつけまして。

辞表。漫画形式の(笑)。
天久 4コマで(笑)。
で、向こうも、
「おまえはそっちのほうがいい」と。
── 看守の上司も、
薄々は感じていらっしゃったんですね。
まあまあ、そうだろうなあ(笑)。
天久 そうやって「がんばれよ」という感じで
送り出していただいて、
そこからは、ぼちぼち食えてはいってますね。
まあ、拾い食いとかをしながら。

── ‥‥‥‥それが、
おいくつぐらいのときだったんですか?
天久 20歳くらいのとき。
── 上京されるきっかけは、
その出版社のお仕事1本で?
天久 うん(笑)。
連載だったんで「いけるかな」と
思ったんですけど、
その雑誌自体が半年ぐらいで
廃刊になっちゃって、
そこからは、ゴミあさり(笑)。
網の上の雑誌を取ったり、
おもにそういう「出版関係」で暮らしていました。
一同 (笑)
── メシの種が、出版関係(笑)。
この4人のなかでは、
天久さんがいちばん、明確に目的を持って
行動した感じがありますね。
天久さん、1回就職して、
それを辞めたんだもん。
天久 本当にやりたかったのは看守ですけどね、
やりたい道をあきらめて、ここに。
浜野 ああ、そうなんですね(笑)。

泣く泣く。
板尾 看守さんって登り詰めたらどこに行くんですか。
天久 所長。
板尾 所長ですか。すごいなあ。
天久 所長は、戦中派とかのお年寄りの人が多くて、
すごい人格者が多かったです。
すごく優しくしてくれました。
── そこをあきらめて、漫画の道へ。
天久 うん。きっと、極端なところを選んだほうが
自分がわかるんじゃないかな、と思います。
── では、つづいての質問にいきたいと思います。
グレート・フリーは
親や親類からの風当たりが強そうに
思えるのですが、いかがでしょうか?
(ジファンク)
板尾 親類からか。
親類だったらいいじゃん、って感じがします。
社会的に風当たりが
強いのに比べれば。

板尾 まあ、そうですね。
天久 うん、そうですね。
板尾 つまり、親類の風当たりというのは、
「よかれと思っての風当たり」でしょ?
心配してくれてるってことでしょ?
そうそう。
「大丈夫か、おまえ、そんなとこで」
「おまえみたいなもんが」
ということでしょう?
親や親類は、
「おまえがそんなだったら、俺たち恥ずかしいよ」
ってわけじゃないんです。
── 先を心配なさってのことだと。
天久 うん。
板尾 家が代々何々で、とか、
そんなんやったら別ですけどね。
うん。「家族全員医者なのに」とかね(笑)、
だったら問題になるかもしれないけど。
板尾 ふつうは大丈夫でしょう。
浜野 ‥‥でも、
みなさん、ご活躍されてますけど、
僕ぐらいのレベルの人は
かなりいると思うんです。
いま、葬式とか親類のイベントがあるときには、
「CD出してるんじゃん、すごいじゃん」
みたいなことは言われるんですけど、
この先どうなるのか、
ちょっと心配なところですね。
あの、そんなに別に
風当たりっていうほどじゃないんですけど。
天久 そうですね。
僕も心配はされます。
白い目で見られたりはしないですけど、
でも、田舎に帰るときは、
念のため掲載誌を持って帰ります。

── そういう努力も要りますね。
天久 うん。けっこう応援してくれますよ、
やっぱ、なったらなったでね。
浜野 そうですか。
天久 うん。

(明日につづきます!)

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2007-05-07-MON

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