糸井 | ちいさいときから、自分自身 「働きたい!」と思っていたわけじゃないんです。 でも、それにしては、いまよく働いてるんですね。 |
金井 | はい(笑)。 |
糸井 | なにせ、小学生のときに 就職する日のことを思って 「泣いた」くらいなんですから。 |
金井 | ああ、いつか働かなきゃならない、と(笑)。 |
糸井 | 学校でさえ、こんなに怒られてるのに、 会社だったらもっと怒られて、 きっと生きていけないんじゃないかと思って、 悲しくなっちゃったんですよね。 その自分が、いま こんなに楽しく働いてるということは、 働くことにたいする「教わりかた」が どこか間違ってたんじゃないか、と思うんですよ。 |
金井 | まず、学生さんのベースに 「働きたくない」というのがあるとしたら、 それはひとつに「不安だから」だと思うんです。 だから、不安なときこそ その裏返しにある「夢」や「希望」を意識してほしい、 というのが、普遍的なメッセージです。 |
糸井 | うん、うん。 |
金井 | ただ一方で、好きなことを 仕事にしないほうがいいと アドバイスする人もいるんですよ。 だから、学生さんなんか、 つい「働くなんてイヤだ」なんて 思ってしまうかもれないですけれど、 テニス好きな人がテニスを楽しむように、 仕事のなかにだって 「おもしろい」という要素があるはず。 もっというと 仕事自体はほとんどおもしろくなかったとしても、 それをやっていく環境のなかで 楽しめる要素が見つかるかもしれない。 その部分については 「あきらめないでほしいな」という 思いを持っています。 |
糸井 | 金井先生ご自身は、どうなんですか? 「働きたい」ですか? |
金井 | 僕にとって、本を読むことは、すごく楽しい。 でも、やっぱり「書く」ときには しんどいと思うことも、しょっちゅうです。 だけど、原稿ができあがったときの 達成感だとか、 今日は「書くこと」に没頭することができた、 という日がたまーにあるから、 続けていけるんだと思ってますね。 |
糸井 | そうですか。 |
金井 | 指揮者の佐渡裕さんによると、 クラシックのコンサートって、 本当に深いレベルで感動するのは 100回に1回ぐらいなんですって。 でも100回に1回の割合でも、 あのときあのホールで、 あの指揮者とソロ、あの日のオケの深い音‥‥という 一生の宝ものになるような演奏を 一度でも味わったら、また次、聴きにいくんだと。 音楽好きな人が集まるコンサートでも 「100回に1回」なんだったら、 仕事の場合には、おもしろいなんてことは、 そうそう、ないのかもしれません。 でもそこで、すべておもしろくないんだ、 なんて思っちゃうのではなくて 仕事のなかに 楽しみを見いだすことをあきらめないでね、 というのが、ひとつのメッセージです。 仕事でも100回に1回、 これは最高だ! という瞬間を味わったら、 楽しいって、言ってしまえるでしょう。 |
糸井 | 働くということについて思うのは、 たぶん、これからは、いままで以上に 「公私混同」して仕事をするべきなんじゃないか、 ということなんです。 つまり、これまでは 自分自身を「公」と「私」に分けて 仕事をしてきたじゃないですか。 でもこれからは、たとえば いち消費者として不満に感じていることを 仕事面にフィードバックさせて モノやサービスを生産していく。 逆に、生産者として ふだん消費者に悩まされていることを 当の消費者の側に立って考えてみたら、どうか。 このあたりを「公私混同」していく、というね。 |
金井 | ええ、それを別の面からいうと 「仕事」と「遊び」とをきっちり分けていた人、 あるいは 「仕事」と「家族」は別ものだと思っていた人は、 「遊び」や「家族」がうまくいってるからこそ、 「仕事」もうまくいってるんだ、 ということに気づかなきゃだめでしょうね。 |
糸井 | つなげて考える、ということですね。 企業の社会的活動を 株主総会でどう説明するか、なんて問題も それに似ていると思います。 たとえば、会社の土地の一部を開放して 緑地を造成し、近隣の住民によろこばれた、と。 だけど、そのことによって 具体的に利益をあげているんですよ、 という説明ができなければ、株主は納得しない。 でも実際には、緑地の造成が 利益に直結するとは限らないですよね。 だから、法人でも個人でも、 「仕事」と「遊び」のあいだに いい意味での「公私混同」というかな、 そんなことが、もっと認められていかないと。 |
金井 | 遊ぶように働き、働くように遊ぶ。 |
糸井 | 自分自身、よくは分かってないんですけど、 うちの会社では、 説得力さえあるなら、ぜんぶOKなんですよ。 たとえば昼間、映画に行ったっていいんです。 |
金井 | それも「公私混同」ということですね。 |
糸井 | そうなんです。 そのときに「あいつ映画なんか行って」なんて 説得力のない場合は、ダメ。 「映画に行ってるよ」と言われて、 「あ、そう」って、ふつうに言われるやつなら それだけのことをしているということだし、 映画に行くということにたいしても ある意味、自信をもって行けるわけです。 |
金井 | 以前、楽器メーカーのヤマハに 和智正忠さんという常務がいらしたんですね。 音楽に触れること、とくにリズムを刻むことが 人間の健康にプラスになる、という研究をしている お医者さんから連絡をうけて、 アメリカまで会いに行った人なんですが、 結局、ヤマハを辞めて学生に戻ったんです。 |
糸井 | ほう‥‥。 |
金井 | で、その連絡をくれたお医者さんといっしょに 論文を書き、それがアメリカの雑誌に載って、 博士号まで取った。 つまり、自分の会社の作ってる商品が 世のなかの役に立ってるということを 示したんですよね。会社を辞めてまでして。 「仕事」を「遊び」のように 楽しめる人でないとできないことが 開発の世界やものづくりの世界にはあって、 そういうのにふれると、本当に感動するんですよ。 |
糸井 | ああ‥‥仕事のために、仕事を辞めた、と。 生きかたとしての「公私混同」ですね。 |
金井 | ええ、本当にすごいと思いました。 その生きかたに、共感します。 それに当たるものが、自分の場合には何だろうか。 そう、考えてほしいですね。 |
糸井 | プロの麻雀打ちというのは 徹夜で麻雀を打っているわけで、 それは大変なことなのかもしれないですけど、 でも、その前に、きっと「楽しみ」がある。 そういった意味でも、 しっかりと「遊び」と「仕事」が混じりあうことが 大事じゃないかな、と思います。 |
金井 | マイケル・ジョーダンが シュートを打ったら「仕事」で、 ギターを弾けば「遊び」。 逆に、エリック・クラプトンが ギターを弾けば「仕事」で、 バスケをしたら、「遊び」になる。 「仕事」と「遊び」の境界線なんて、 「気の持ちよう」みたいなもんですよね。 <続きます> |