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糸井 |
学生のときの自分と、
仕事するようになってからの自分の大きな違いって、
さっきのカツカレーの話とか、
先輩のボーナスの話に象徴されるように、
獲物を手にできるっていうことなんですよね。 |
しりあがり |
ああ、そうですね。 |
糸井 |
それは、ぼくが釣りをはじめたときに
感じた喜びと同じなんですよ。
その、自分の力で魚を釣り上げたときに
オトナになったようなうれしさがあったんです。 |
しりあがり |
なるほど。 |
糸井 |
オレが獲ったんだ! って言える喜び。
その誇らしさ、うれしさ。
その快感ってほんとに大きいから、
釣ったあとに平気でリリースできるんですよ。
だって、獲った喜びはもう味わったから。
社会に出て、はじめて自分で
お金を稼いだときのうれしさって
それと同じことだと思うんです。 |
しりあがり |
そう思いますね。
だから、なんていうか、
働いて自分でお金を稼いではじめて
自分自身の経営権を手に入れたという感じ。
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糸井 |
あーーー、なるほど。 |
しりあがり |
それまでの自分って、
なにか自分のことなのに、
自分の下っ端として生きてるような感じなんだけど、
働きだしてからは、
自分が自分の社長、みたいな。
どう稼ごうと、なにに使おうと、なにに投資しようと
自分の勝手じゃないですか。
だから、ぼくが就職したときに感じたうれしさって、
「せいせいした」っていう感覚に近かったんです。 |
糸井 |
なるほど、なるほど。
思えば、子どもって、
自分で決裁ができないという以前に、
自分の力が及んで思うがままになるっていうことを
禁じられているんですよね。
お母さんとか、社会とかに。 |
しりあがり |
そうですね。 |
糸井 |
それが自己決裁できるようになるという喜び。
と同時に、決裁する怖さもあるんでしょうね。
ぼくのなかにも、若いころに
「働きたくないなぁ」という思いはありましたけど、
それは、自己決裁することが
ちょっと怖かったんじゃないかと
いま、思いました。 |
しりあがり |
それは、いまでも、どっかにありますよ、ぼくは。 |
糸井 |
ああ、そうですか。 |
しりあがり |
ええ。永遠になくならないかもしれない(笑)。
いまだって、なにかに責任転嫁できないだろうかって
つねに考えていますね。 |
糸井 |
もう、できないでしょう(笑)。
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しりあがり |
だけど考えちゃうんです。
いや、でも、ほんとに、
随分、考えますよ。いまでも。 |
糸井 |
いまだに問いかけているんですね。
それはそれで、すごいですよ。 |
しりあがり |
いえいえ、そんな(笑)。 |
糸井 |
なんていうんだろう、
自問自答する量が多いんですね、しりあがりさんは。
その、自分が自分に応答する量が、きっと、
あのシュールな漫画の世界になっているんだね。
つまり、あそこに吐き出されているんだろうな。 |
しりあがり |
そうなんですかね。 |
糸井 |
でも、自問自答することってほんとに大切なことで、
けっきょく、この「就職論」にしても、
「何が大切か」という話にしても、
自分で自分に真剣に問いかけることだと思うんです。
つまり、みんなが考えているような、
つまんないことをうろうろ考えるっていうのが
いちばん毒なんですよ。
仮に、社会に出て働いたら、
当たり前に自分だけの問題にぶつかりますよ。
それは、人の借り物のような悩みを
なんとなくぐだぐだ考えるよりよっぽどいい。 |
しりあがり |
そうですね。だからぼくは、
就職について悩んでいる人がいると、
「働きゃいいのに」ってふつうに思っちゃうんです。 |
糸井 |
それと同じ意味で、吉本隆明さんは、
「引きこもれ」って言ってるんです。
どういうことかというと、
「自分だけの悩みをちゃんと見つめろ」
ということなんです。
しりあがりさんの「働きゃいいのに」も、
吉本さんの「引きこもれ」も、
自問自答っていうものの重要さについて
同じことを言ってると思うんです。 |
しりあがり |
いまって、いろんなメディアが
ことばで悩みをまとめてしまうんですよね。
「時代の悩み」とか「これからの課題」とかって。 |
糸井 |
それに引きずられちゃうのがいちばん困るんです。 |
しりあがり |
それを考えはじめたって、わかんないですよね。
それより自分の目の前にあることをなんとかしなきゃ。 |
糸井 |
そうそうそう。
要するに、余計な幻想に取り巻かれて、
ぐるぐる目を回しちゃうっていうのは
もったいないのひと言なんですよ。 |
しりあがり |
だから、まずは、自分のことを。 |
糸井 |
うん。そこに座って考えるといいよ、みたいなね。 |
しりあがり |
そうですね。
(しりあがり寿さんとのお話は今回で終わりです。
お読みいただき、ありがとうございました) |