※『かないくん』は、ほぼ日ストアのほか、大手ネット書店や全国のほぼ日ブックス取扱店でも販売いたします。
※ ほぼ日ストアでご購入に限り、谷川俊太郎さんのメッセージや松本大洋さんのラフスケッチが掲載された
「かないくん 副読本」(非売品)が購入特典としてついてきます。
私たちは松本大洋さんに、
「連載なさっている漫画『Sunny』の
区切りのいいところで
改めて『かないくん』の絵について
お願いさせてください」
と申し入れました。
大洋さんから返信が来ました。
2012年3月13日のメールより
かないくんの絵をウロウロまさぐってみます。
ラフなどができたら(少し時間はかかりますが)
FAXいたしますので、
また皆様の発案なども織り込んで絵作りしていかれたら、
楽しいかなー、と思います。
大洋
大洋さんはとても「前向き」に
考えてくださっているのかもしれない。
でも、あまり期待しすぎないように待とうと思いました。
そして、私たちは
この本のブックデザインをする人のところへ
打ち合わせに行くことにしました。
それは、祖父江慎さんです。
『言いまつがい』シリーズや
よしもとばななさんの『ベリーショーツ』など
祖父江さんと「ほぼ日」はこれまで何度かいっしょに
本を作らせていただきました。
『かないくん』については、祖父江さんと
制作初期から相談させていただき
作りあげていきたいと思っていたのです。
編集チームの永田とわたくし菅野は
俊太郎さんの原稿を持って
祖父江さんの事務所cozfishを訪れました。
cozfishの鯉沼恵一さんが
担当としてデザインしてくださることになりました。
↑ さっそく俊太郎さんの原稿を声に出して読む祖父江さん。
原稿を読み終えた祖父江さんは、
こうおっしゃいました。
「これ‥‥絵にするのは、そうとう、むずかしいねぇ」
「絵本としては、すごく変わった本になるよね。
だから、装丁は、もしかすると、
絵本らしいものにしたほうがいいかもしれないねぇ~」
↑ 原稿をもとに、本の姿を想像します。
祖父江さんのおっしゃるとおり、絵はとてもむずかしそう。
大洋さんが連載中の『Sunny』の章を描き終えて、
この本を引き受けてくださったとしても
そこからかなり日数がかかるのだろう。
もういちど気持ちに念をおして
祖父江さんの事務所をあとにしました。
そして、9月がやってきました。
約束どおりのタイミングで、
大洋さんからメールが届きました。
2012年9月11日のメールより
"かないくん"ですが、
頂いた原稿と長らくニラめっこしてまいりましたが、
もしも、引き受けさせて頂いた場合、
これは相当な大事業になる事、あらためて認識しました。
(ラフ絵を数パターン切ってみました)
カラー原稿が20枚以上あり、
制作期間も連載中の漫画と並行して行う為、
2年近くかかってしまうのではないか、と想像します。
ほぼ日さんにも谷川さんにも事情がありましょうし、
やはり少し時間がかかり過ぎるなーという
感じだと思います。
お時間あるときに、会えたらと思います。
大洋
そして、大洋さんと
この本についてはじめての
顔をあわせた話し合いをしました。
場所は、レトロな雰囲気の喫茶店でした。
9月とはいえまだとても暑く、
私はレモンスカッシュを注文しましたが、
大洋さんと永田はこのときも、このあとも、
打ち合わせのときはいつも、あきれるほど毎回、
ホットコーヒーでした。
↑ 喫茶店で3人の打ち合わせ。
大洋さんはラフを描いたノートを持ってきていました。
↑ これが、最初のラフノートです。
このとき、大洋さんはもういちど
2年はかかると思う、とおっしゃいました。
私たちは、それでも大洋さんのこの本を見たい、と
お願いしました。
この少し前、大洋さんは、
「ボールのようなことば。」の打ち上げで
糸井重里と話をしていました。
そして、発刊時期さえ許せば
漫画の連載が途切れたときに
作業をまとめて進めることにします、と
決めてくださいました。
喫茶店の打ち合わせから、わずか9日後。
2012年9月27日のメールより
先ほど『かないくん』の叩きを作り終えましたので、
コピーして明日郵送します。
いろいろとお気遣いありがとうございます。
なんとか頑張って、
かっこいい本になる絵を仕上げたいです。
大洋
喫茶店の打ち合わせのあとで作り変えたラフを
すぐに送ってくださったのです。
あとになって変更した箇所ももちろんありますが、
この初期のラフの、70%くらいの構成は
本にいかされることになりました。
俊太郎さんの原稿の『かないくん』が
「もの」として成っていく姿が想像できて
とてもドキドキしました。
2012年10月1日のメールより
送らせて頂いた『かないくん』は
絵も言葉の区切りも、
あくまで最初の叩き台ですから、
今後第二、第三のアイデアなど、
皆様からいただけたら、と思います。
ちなみに、表紙にある作者名を
谷川○○○と表記したのは、
万が一原稿が紛失などした場合の安全策であり、
横着であったり、
お名前を失念したわけではありません。
一度、どこかでなくしてしまったと思ったことがあって、
かなり焦ったので、、、
大洋
たしかに、最初のページには
谷川○○○と書いてあります。
大洋さんは最後まで、ご自身のラフ原稿には
「谷川○○○」や「谷」「松」
というように記入していらっしゃいました。
↑ 万一の紛失のことを考えて注意深い大洋さん。
大洋さんが送ってくださったラフをもって、
祖父江慎さんと打ち合わせをすることにしました。
↑ 事務所に伺った際に、お茶をいれてくださる
祖父江慎さん。
そして──
この、祖父江さんといっしょに全体構成を固め、
大洋さんが最後の下絵を書きはじめるまでの期間に、
たっぷり2か月を要しました。
大洋さんは、3度ほど
根気よくラフを書き直しました。
↑ 考えをまとめて、大洋さんに伝えました。
↑ その頃の、大洋さんとの打ち合わせの帰り道。
いつのまにか季節は冬に。
ラフの修正を終えたあと、絵本の構成が固まり、
大洋さんの下描きはすすみました。
2012年11月13日のメールより
もしかしたら素早く展開する気もします。
が、これだけの量があると
猛烈に苦戦する絵もありそうです。
初めての事なのでナカナカ所要時間を算出できず、
すみません。
大洋
2012年の年末になって、
すべての下絵ができあがりました。
「色をつけるのがまた、大変だと思います。
1枚に1か月くらい、かかると思います」
と大洋さんはおっしゃっていました。
24枚の絵があるとしたら、それは2年。
ここから2年?
いやいや、たとえそうだとしても、待ちます。
俊太郎さんにも、そうお伝えしておきました。
「いいよ、じっくりやってください。
松本大洋さんにまかせます」
というお答えでした。
(つづく)
2014-02-18-TUE
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