- 糸井
- ぼくらは「ツリーハウス」ではなく、
そもそも「人に東北に来てほしい」というところから
考えがスタートしていたものですから、
乱暴に見えたところがあったかもしれない。
たとえばミッキーマウスにも来てほしい、とか
思ってたくらいに
人の目が東北から離れないようにしたいということで
いっぱいでした。
100個のツリーハウスを建てることの実現が
100年後になるかわからないけど、
「100個作ります」と言えば、急に
やれるような気がしたんです。
そうでなければふたつみっつ作ったところで
「はい、できましたね」と
おしまいになることも想像つきます。
最初はツリーハウスにはどういう木がいいのか、
ということさえ分かんなかったです。
でも、話すとみんながおもしろがる。 - 小林
- それがツリーハウスの特徴ですよね。
アイコンにも、とってもなりやすい。
ツリーハウスを作ると聞いただけで、
「関われることがあるんだったら手伝いたい」
という人が出てきます。
ぼくのまわりにもサポートスタッフが
何百人もいます。
「ツリーハウス」は人が集まりやすいと思います。
京都府京丹後市 山陰海岸国立公園のツリーハウス
原発を誘致する予定であった山陰海岸国立公園内に、町おこしのシンボルとなるツリーハウスを制作。
海を見下ろす絶景のロケーションに、地域に伝わる龍神伝説をモチーフにしたデザイン。
- 糸井
- 20年も前に
小林さんはこの世界に入っちゃったわけですよね。 - 小林
- そうですね、20年ほど前です。
ぼくは東伊豆の出身だったので、
山と海に囲まれて育ちました。
原風景をたどれば、木の上にもずいぶんいました。
秘密基地のようなものにも携わった経験はあるけど、
それをもとにやったというわけではないと思います。
昔、毎週日曜に放送されていた
『すばらしい世界旅行』という番組や
『驚異の世界』という海外の取材番組がありまして、
ぼくはそれらがとても好きでした。
ほんとうは自然調査のようなことが
やりたかったんでしょうけど、
学生の頃は理科系の勉強が得意ではなかったので、
番組のクルーになればいいんだ、と思い、
日本大学の芸術学部放送学科に進みました。 - 糸井
- なるほど。
- 小林
- でも、就職して担当したのは
旅番組ではなく、スポーツ関係でした。
やはりそれがあまりうまくいかず、
旅に出ることになりました。
それからはもう、ミッシングピースみたいな、
「ぼくを探しに」という感じで(笑)。
- 糸井
- 哲学的な青年だったわけですか?
- 小林
- 世の中のいろんなものが
自分に合わないな、ということが
かなり幼いときからわかっていました。
つまり、自分はいつも
マイノリティなんだと気づいてたんです。
日本だと、大多数の人がマイノリティじゃないから
このマイノリティをいかして生きていくのは難しいな、
と考えていました。
だったらもっと違うところを見てこようと、
世界中、出かけました。
海外にいちど行ってみると、
行った先ではけっこうハッピーなんですが、
成田に帰ってくるとシュンとなってしまう。
そうこうしているうちに年齢が30を越えて、
「あんた、なにしてんの?」
と、まわりのプレッシャーも増えてきて、
収入もろくにないから、生活も成り立たない。
そういうところに、
道端に落ちてるものを見つけるように
「なにこれ?!」
と出会ったのがツリーハウスだったんです。 - 糸井
- ‥‥小林さんは、まわりを困らせるほど
そんなに旅をしてたんですか。 - 小林
- はい、もう、困らせるほどです。
実家の親とも音信不通で、
「なにか連絡があるときは
警察か弁護士かと思って、待ってる」
と言ってましたから、
おそらくだいぶワイルドな‥‥。 - 糸井
- フーテンの寅さんの海外版みたいな‥‥。
- 小林
- 海外版の、
ちょっとひねくれちゃった
バージョンみたいな‥‥(笑)。 - 糸井
- なるほど(笑)。それが原点で。
- 小林
- はい。そこから一気に、
木と出会うことになりました。
もとはぼくが住んでいたアパートだったんですが、
原宿にHIDEAWAYというカフェがいまもあります。
最初、あの木のまわりに、
なにかしたらおもしろいな、と思って。 - 糸井
- HIDEAWAY、こないだ見に行きましたよ。
伝説の場所がまだあるのかと思って行ったら
ちゃんとあった。すごいですね。 - 小林
- 壁をぶち破って、
外にある木を囲んだんです。
あれがぼくのツリーハウスの第1号でした。
それがもう、すっごく、おもしろくて。 - 糸井
- いいですねぇ。
- 小林
- ぼくには大工さんのような技術もなければ
もちろん、建築の知識もありませんでした。
のこぎりもはじめて持ったような状態で
やってみたらとてもおもしろかったんです。
- 糸井
- 真ん中を、木がぶち抜いた家。かっこいいよ。
カフェにもなってて、
原宿に行けば、みなさんも見られます。 - 小林
- あれを建ててはじめて
ああいうものをツリーハウスというんだと知って、
アメリカの旅の途中で
『TREEHOUSES』という、
ピーター・ネルソンの写真集に出会って持ち帰り、
いろいろ調べはじめました。
しかし、情報が少なくて
なんだかよくわからない状態でした。
ある雑誌のイベントでピーター・ネルソンが
来日することになり、彼と会い、
はじめて日本でピーター・ネルソンが手がける
ツリーハウス作りにも参加しました。
「今年の秋にオレゴンで世界的な
ツリーハウスのイベントをやるから
お前も日本代表で来い」
「いや、日本代表つっても、なんも知らないし」
と言いながら、それから毎年
オレゴン州でやる
ツリーハウスのイベントに行くことになりました。
樹木学にふれて、木のことを学んだり、
ツリーハウスがヒッピーカルチャーの
フリーダムの象徴なんだと知ったり、
木のクライミングをおぼえたりしながら、
気がついたらいま、というような感覚です。
神奈川県茅ケ崎市 「市民の森」のツリーハウス
海のイメージが強い茅ヶ崎市の公園内に、森に興味を持ってもらいたいとの
市民ボランティア団体の強い要望から実現した公共のツリーハウス。
運営管理も市と市民ボランティアの共同で行っている。
(つづきます)
2014-04-17-THU
この対談は、1月に福岡のヤフオク!ドームで開催された
リユース!ジャパンプロジェクトのイベントで
行われました。
このイベントに来場されたみなさまが
お持ちくださった古着と
チャリティオークションの費用で建設されているのが、
石巻のはまぐり浜のツリーハウスです。
古着を寄付してくださった福岡のみなさまのメッセージは
はまぐり浜のツリーハウスの開始式で披露されました。
いま、ヤフー石巻復興ベースをはじめ
たくさんの方々の力を借りながら
はまぐり浜のツリーハウスを作っています。
いつか、小林崇さんともいっしょに
ツリーハウスを作れればうれしいなぁ、と思います。