第3回 なくてもいいものがある。

糸井
さきほど小林さんは
「周囲を困らせるほど旅をした」
とおっしゃいましたが、いまは、
そういう人っていないんじゃないかな、と思うんです。
家の中で閉じこもってる人はいます。
でも、「外に出て困らせる人」は
どんどん少なくなっているような気がします。
ぼくは、可能性としては、
「外に出て困らせる人」が
世の中を変えると思っています。
小林
そうですね。
外に出るといっても目的もないので‥‥
目的がないからこそ、
大きな流れではない、枝葉のところに行きついて、
気がついたら漂流して、
離れると滝に落っこっちゃって、やり直すと
なぜ自分はそこにいたのかさえ忘れてしまう。
そんな状態です。
だから、ぼくという人間は、ここまで
とっても時間がかかりました。
いま思えばその枝葉のひとつひとつや
漂流してた時間も、
自分を構築していると思います。
しかし当時は、高度成長期の後半あたりでしたから、
やればやっただけ「なにか」になるのがふつうでした。
いいところに就職して偉くなっていき、
新人だった奴が課長になり、
ADはディレクターになり‥‥、
そのなかでぼくだけはなにもないんです。
糸井
しかも、いる場所も
よくわからないわけで‥‥。
小林
人ん家だったり、
当時の彼女のおうちだったり、寮だったり。
居場所もない感じ。
逆に言えば、居場所にしたい場所も
自分の中では見つからず‥‥つまり、
日本が嫌いでした。
糸井
ちなみにいまはどうですか。
小林
いまは、日本はすてきな国だと思います。
人もすてきですし、国土もすてき。
材料は全部好きです。
だから、糸井さんの世代、ぼくの世代、
その先に若い連中がいるということを考えれば、
そろそろ次の世代に舵を託すようにして、
いまいる子どもたちが大人になったときに
「まぁまぁいいもの残してくれたんじゃないかな」
と言えるようなことはやりたいです。
糸井
さきほど、ツリーハウスについて
ヒッピーカルチャーという言葉が出ましたけど、
ぼくが年取ってからいろんなおもしろい人に会うと
どこかでヒッピーカルチャーの洗礼を受けてる方が
多いんですよ。
小林
そうかもしれないですね。
糸井
アンリ・べグランさんや、
シルク・ドゥ・ソレイユのジル・サンクロワさん
彼らと話をしていると、根っこに
ヒッピーカルチャーがあるのがわかります。
ヒッピーカルチャーって、つまりは
居心地の悪さから作っていった文化だと思うんです。
小林
そうだと思います。
なにか、ちがうんじゃないかな?
という違和感を持ってた人たちが
作りあげたものでした。
しかし、ぼくはその世代じゃないんで、
その世代のことを知って
「え、そんなだったの?」
という驚きのほうが大きかった。
糸井
それでいいわけ?
みたいな(笑)。

鹿児島県日置市 NPO法人「ふく松」のツリーハウス
限界集落にて地域ぐるみで子供達、高齢者を交えて
互いに支えあるコミュニティーを作る活動をしているNPO法人ふく松が、
全国で初めて、100%森林環境税(木のあふれる事業)の助成によって制作したツリーハウス
小林
そうです。
ぼくらは、学生運動の残り香があったぐらいの頃に
学生時代を過ごし、
サーフィンやスケートボードをしながら
でも、これだけじゃないなにかが
きっとあったんだろうなということは感じていました。
そういうものを求めて、
ぼくはいつも旅をしていたように思います。
その「なにかわからないけどすてきなもの」が
ストーンズやピンクフロイドなどの音楽にあったり
ファッションの中にも潜んでいました。
しかし、ぱっと振り向くと、
自分より若い世代にはもうそれがないんだな、とも
思いました。
糸井
社会の中に確かにあるんだけども、
それは社会とは言えないもの、ですね。
「全部を納得して生きてる人」には、
ツリーハウスのようなものって、
ちっとも魅力はないでしょう。
小林
なぜなら、なくてもいいものですからね。
そう、あれはなくてもいいんです。
むだなことを一所懸命やっている奴が
たくさんいると困りますけど、
少しであればいたほうが
生物多様性という意味を含めて
いいんじゃないのかなと思います。
糸井
大失敗をやったことのある自分と
それをやったことのない自分、
どっちがおもしろいかと言えば、
大失敗をしたほうの自分です。
それと同じような感覚で、
ツリーハウスのある日本とツリーハウスのない日本、
どちらがいいかと考えたら、
どれだけ役に立たないかは別として
ぼくはツリーハウスがある日本に住みたいんですよ。

兵庫県神戸市 甲南女子大学のツリーハウス
神戸伝統の女子大学の敷地内に、環境と芸術を考えるシンボルとして制作したツリーハウス。
巻貝をモチーフに全体が構成されている。
小林
ええ。そのほうが豊かです。
「あ、そんな連中もいるんだ」
「あんな怪しい、リスクのあるものを、
 台風や雪のなかで懸命に
 作ったり滞在したりしてるんだね」
そういうふうに、いろんな人に思ってほしい。

ぼくはもともと臆病で小心者なんです。
だから、作るものに自信があったことは一度もなく、
「どう考えても風が来ればダメだろうな」とか、
「台風のようなものに勝つツリーハウスはできない」と
わかっています。
チャレンジはしてますけど、
自然に歯向かえるとは思ってない。
糸井
そのあたりも、小林さんは
ちょっとヒッピーっぽいですね。
小林
そうですね。
自然は、歯向かって勝てるものではないといういことが
過去20年でわかりました。
風で飛んじゃったツリーハウスが、実際にあります。
でも、その臆病さが自分にあるうちは安心です。
「もう大丈夫だ、
 俺に任せればどんな木にでも作りますよ」
と言うようになったら、もう
ぼくのことは信じないほうがいいです。
糸井
それはよくわかるな。
小林さんとは年代は違うんだけど、
ほとんどぼくも同じこと言います。
「俺についてこい」って
デカい声で言えるようになったら、危ないと思う。
小林
やっぱりそうですよね。
糸井
ついてこないほうがいいぞ、
ついてこないほうがいいぞ、って言ってんのに、
「いや、ちゃんと逃げますから
 ついていかせてください」
「んー、ならいいか」
そんな距離感ですね。
この考えそのものがツリーハウスっぽいですね。

(つづきます)

2014-04-18-FRI

はまぐり浜のツリーハウス。

この対談は、1月に福岡のヤフオク!ドームで開催された
リユース!ジャパンプロジェクトのイベントで
行われました。
このイベントに来場されたみなさまが
お持ちくださった古着と
チャリティオークションの費用で建設されているのが、
石巻のはまぐり浜のツリーハウスです。
古着を寄付してくださった福岡のみなさまのメッセージは
はまぐり浜のツリーハウスの開始式で披露されました
いま、ヤフー石巻復興ベースをはじめ
たくさんの方々の力を借りながら
はまぐり浜のツリーハウスを作っています。
いつか、小林崇さんともいっしょに
ツリーハウスを作れればうれしいなぁ、と思います。

小林崇
(こばやし たかし)

1957年生まれ。ツリーハウスクリエーター。
1994年にツリーハウス建築の世界的権威として知られる
ピーター・ネルソンに出会い、
オレゴン州で開催される
ワールド・ツリーハウス・カンファレンスに
日本代表として参加をはじめる。
2000年、ジャパン・ツリーハウス・ネットワークを設立。
2005年、ツリーハウス・クリエーションを立ち上げる。
世界各地の風土、樹木に適した
ツリーハウス制作を続けている。

小林崇さんのWEBサイト

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN