私がはじめて一緒に暮らした犬は、
ゴロという名前でした。
親戚の家の柴犬のところに通っていた
シェパードとの間に産まれた子です。
生まれた時はツキノワグマのように真っ黒だったので、
熊五郎と呼ばれていて、
そこからゴロという名前になりました。
私が7歳のとき、父親に癌が見つかり、
入退院を繰り返す日々がはじまりました。
父は私が10歳のときに亡くなったのですが、
亡くなる数か月前に我が家へやってきたのがゴロです。
ひとりっ子の私は、母が病院で
父の看病をしている間は家にひとりでいることが多く、
寂しい思いをしているのではないかと
心配してくれた親戚が、私にゴロを贈ってくれました。
残念ながら父はゴロにふれることなく
亡くなってしまったのですが、
一度だけゴロを病院の駐車場へ連れて行ったとき、
病室の窓から覗いて、
笑いながら手を振ってくれたことを覚えています。
ゴロはほんとうに賢い子で、
父亡きあと職場に復帰した母が働きに出ている間、
ずっと私を守ってくれるガードマンであり、
ひとりっ子の私の兄弟であり、よい友達でした。
中型犬ほどの大きさだったので、
その気になれば10歳やそこらの私を
下克上することは簡単だったでしょうに、
いつも静かにそばにいてくれて、
私の言うことをじっと聞いてくれました。
ゴロとの思い出はたくさんあるのですが、
その中でも忘れられないエピソードがあります。
父が亡くなって数年後、
一緒に暮らすようになった祖父が、
ゴロと一緒に近所の山へ散歩に行ったときのことです。
祖父がゴロのリードを外して
(20年以上前のことなので、
散歩の時にリードを外してる人も
まだ多かったんです)
体操をしていた間、
祖父とゴロははぐれてしまいました。
祖父は青ざめた顔でひとりで帰ってきて、
母と私はすぐ山へゴロを探しに行きました。
三日三晩、暇さえあれば山へ通い
名前を呼び続けましたが、見つかりません。
当時はまだ野犬も多く、襲われていやしないか、
道路に出て車に轢かれてやしないか、
心配でしかたありませんでした。
そして4日目の夜、
外から犬の小さな鳴き声が聞こえました。
「ゴロだ!」母と私は階段を駆け下り、
玄関から出ると、やはりゴロがいました。
母も私も大喜びでゴロを呼びましたが、
いつもなら尻尾を振って
うれしそうに近づいてくるゴロが、
険しい顔をして家の前をうろうろしています。
落ち着かない様子で、再び山のほうへ
戻ろうとさえしていました。
賢い子とはいえ犬、
4日間の間に野生に目覚めてしまったのかな、
もう飼い犬でいることが嫌になったのかな、
どうしよう、そう思ったとき、
先に寝ていた祖父がゆっくりと玄関から出てきました。
その祖父の姿を見たとたん、
いままで険しかったゴロの目が爛々と輝き、
小走りで祖父の元へ駆け寄った後、
安心したようにそっと祖父の隣でおすわりをしました。
どうやらゴロは4日間ずっと、
はぐれた祖父を探し続けていたようなのです。
私たちがゴロを探していたつもりが、
探してくれていたのはゴロのほうだったのです。
そのことがわかったとき、子どもながら、
犬の愛情深さ、無条件で信頼してくれる姿に、
胸がいっぱいになりました。
そんなゴロは16歳で、
祖父は91歳で天寿をまっとうし、
いまは空の上でなかよく山を
歩いていることと思います。
(H)
〈いつも静かにそばにいてくれて、
私の言うことをじっと聞いてくれました〉
いや、そばにいてくれたけど、
言うことは聞いてないと思う。
ぼくが「きつねうどん!」と言っても
うちの犬は聞いていないと思います。
〈父が亡くなって数年後〉ということは
すなわちこの方が13歳かそれぐらいのときですね。
〈一緒に暮らすようになった祖父が〉
おじいさんといっしょに住むようになったんですね。
(つづきます)
2015-03-21-SAT