その4 飯島さんの青春のおべんとう。
ぜひ2巻に掲載したいメニューも
だんだんわかってきましたね。
餃子であるとか、
納豆をごちそうにする工夫とか、
肉じゃが、チャーハン、コロッケ、
シチュー‥‥。
あと、卵焼きはぜひにと思います。
これは、「ほぼ日」では紹介していたんですが
今回、「おむすび」をクロースアップしたので
卵焼きがこぼれちゃったんです。
なのであらためてきちんと
取材をしたいなと思っています。
今回「卵焼き」として
まとめてしまったんですが、
みなさん出汁巻きが好きなんでしょうか。
あと、甘い卵焼きもおいしいですよね。
いろいろあると思うので、
卵焼き器あるじゃないですか、四角い。
はい。
あれをちゃんと使って作るっていうの、
教わりたいです。
そうですね。そうしましょう。
いろいろあるんですよ。
出汁とほんとに塩とちょっと薄口醤油と
みりんちょろっととかと、
出汁なんだけど甘さも結構しっかり入ってるのと。
あと、江戸前みたいなのありますよね。
あれは卵に砂糖と醤油で、
ごま油で焼く。
出汁巻きができるようになったら、
それはもう夢。できたら夢。
夢? そんなに?
できませんもん。
たしかに、飯島さんみたいに、
きれいにはできない。
それは毎日作ってましたからね。
高校生のときに2年間、
作りつづけてましたから。卵焼き。
あ‥‥! その話、してくださいますか?
なんですかー(とぼける)。
飯島さんがいつから料理じょうずになったのか。
あはははは。
そもそも飯島さんはいつから
料理をしているんですか?
小学生のときです。
うちの母が給食のおばちゃんだったので、
働いてるじゃないですか。
だから何か手伝ってみたいな感じで
料理を始めました。
母は仕事でも作っているから
おうちのごはんが、
めんどうだったのかな(笑)。
じゃあ飯島さんの味のベースは
お母さんですよね?
そうですね。
ということはお母さんも料理上手ですよね。
はい、でも幼稚園の給食をつくっていたので、
薄味で、具が細かいんです。
小さい口に合うように。
じゃあ飯島家のおかずも具がちっちゃい?
はい。何かちょこちょこ。
飯島さんの料理は、
ひとくちサイズが、おっきいですよね。
どっちかっていうと。
反動かなあ?
本格的に料理に目覚めたのは、
たしか高校生のときだって
話を伺ったことがあるんですけど。
いや、わー(笑)。
え?
あ! すごくその話を
聞きたいんですけど!
きっと、あれでしょ?
あれですか? ふふふ。
飯島さんが、何でこんなに
人に食べさせるご飯をじょうずにつくるのか、
そこにはきっかけがあったと思ったんですよ。
別に小学校からご飯作ってたっていっても
料理の道に行こうっていうのとは
また別じゃないですか。
うん、別ですね。
やっぱり、人が喜んでくれるっていうことと
自分で作るのが好きということが合わさって
今の職業だと思うんです。
そうなんですよねー。
そのきっかけの話を
実はちょっと聞いたことがあったんです。
わたしが話したんですもんね。
そうです。
あれはちょっと秘密なんですけど!
(笑)
そのときの付き合ってた
ボーイフレンドに作ってあげたんですね。
お弁当を。
言っちゃいました。
すごーい。同級生に?
そうです。毎日。
毎日?
そこに卵焼きが入ってたと。
あれ? 彼はお母さんの弁当は?
わたしが作ってるから持って来ない。
つまり既に高校生にして
嫁の座を奪ってしまったということですね。
(笑)。
見えない嫁姑戦争が、
そうかも?(笑)
それで、同じクラスなのに、
わたしがロッカーに入れて、
向こうがロッカーから取って。
でも、あれー、飯島となんとかの弁当、
中身は一緒、みたいに
冷やかされたりとかは?
あ、まわりは、もう全部知ってるんです。
ただ、渡し方として。
渡し方として。
そうなんだー(うっとり)。
お昼に一緒に食べようとかいうのではなく、
受け渡しがあるんだー(うっとり)。
自分の作ったものを
人と一緒に食べるの、
ちょっと照れくさいんですよ。
美味しかったみたいな感想とかは?
ああ、もちろん毎日。
毎日! まぁ!
もうすでに料理人だったんですね。
料理人の人は、
照れくささと嬉しさが
多分一緒にあるんじゃないかなと
想像するんです。
歌を歌う人とかもそうかもしれないけど、
目の前で人が気持ちよくなってるの見ながら、
もっと気持ちよくしてやれっていうのって、
不思議な仕事だと思うんですよ。
それだけにちょっと複雑な
心境ではあると想像します。
当時、高校生ながらにそんな気持ちを!
そうですね。
恥ずかしさも。
当時、彼には何が好評だったんですか?
卵焼きとか?
そうですね。あとはからあげとかね。
からあげも作ってたんですか。
もうその頃から!
鶏のからあげは、
今回の単行本にも掲載しております。
もうすごかったです。
最初はお弁当の構成を間違えて。
若かったんで。
構成?
からあげに、ハンバーグとか。
メインのおかずばっかりだったんです。
茶色いわ、ヘビーだわ。
ちょっと何か野菜とか入れなきゃって
途中で気がついて。
自分が食べたいものばっかり入れてた(笑)。
それはどのくらい続いたんですか?
卒業までの2年間です。
そういえば、ある日ね。
はい。
朝、お米がないことに気づいて。
彼のお弁当がつくれない!
これは大変だと、父を叩き起こして
一緒にコンビニに車で買いに行きました。
当時は家の近くにコンビニがなかったので
八王子駅前まで行って。
米を買いに。
部活とかは?
最初、バトミントンやってたんですけど、
やめてしまって。
じゃあ、お弁当部として
生きてたんですね。

すごーい。
彼はお弁当箱を食べ終えたら、
またロッカーに戻してくれるんですね。
そうです。
そんな幸せな高校生が!
贅沢。
すーごい楽しそう。
ていうか彼になりたい。
あたしも彼になりたいよ。
2年間、人に食べさせ続けたって経験が
既に高校生のときにあったというのがすごいです。
しかも家族以外にっていうのが。
でも何でそれを作ることになったのかは
全然覚えてないんですよ。
ちょっと気になりますね。
何かきっかけ、ないとね、作らないですよね。
なのに全く記憶にないんです。
考えてみたらうちの親も
食費が倍かかって大変でしたよね。
ほんとですよね。
食べ盛りのね、高校生ですし。
しかもこっちが母とスーパー行って、
あ、これも作ってあげたい、あれも、なんつってね。
お母さんは、あら、そうとか言って?
母はお弁当作んなくてよくなったんで、
よしとしていたのかも。
わたしは、自分のぶんと彼のぶんと、
わたしの姉のぶんまでつくってました。
朝、じゃあとにかく朝いちばんに起きて、
お昼のお弁当用の料理をたっぷりするっていう
暮らしを2年したんだ。
そうです。で、その彼に
「栄養士なんていいんじゃない」
って勧められて栄養士になったんです。
えっ!
え、ボーイフレンドに?
そのボーイフレンドに。
しっかりしてる子で、
うちの母親が調理師だったんで、
そういうふうに女性は資格を生かして
働くっていいねって(笑)。
それで栄養士になるための学校に行ったんですね。
そうですね。
あまり考えていなかったな、弁当を作る以外。

(明日につづきます!)


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2009-02-20-FRI