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松原さん、3冊の本の出版、
おめでとうございます。
おどろいたのは、
ノンフィクションのコラムの新刊、
そして文庫化のもののほかに、
「書き下ろしの小説」があったことです。
おそらく「ほぼ日」では
報道やノンフィクションの松原さんは
おなじみだと思うので、
きょうは「小説を書いた松原さん」のことを
お聞きしたいと思っています。
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松原 |
はい、ぜひぜひ。
僕も正直、こっち(小説)のほうに
力を入れていきたいなと思ってるものですから。
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それが、とても意外なんですけど!
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松原 |
僕もね、仕事場や、いろんな人に、
「報道やりながら、なんで小説なの?」と。
「え、小説?」みたいな、
ちょっと危ないものを見るような‥‥
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(笑)
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松原 |
ある女子アナなんかと、
仕事場ですれ違った時に、
「松原さん、恋愛小説書いたらしいですね。
キモチワルイ! 50の男がっ」
と言い捨てられて去っていったというのが、
ちょっとショックだったんですけど(笑)。
考えてみると、この年になって恋愛小説なんて書くと、
「何考えて生きてんの?」
みたいな感じに見られるんでしょうね。
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拙い感想ですが、
まずは「とても面白かったです!」。
ジャンルで言うと、エンターテインメント?
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松原 |
純文学とエンターテインメントの
真ん中ぐらいに、
中間小説って分野があるんですってね。
そのあたりじゃないかといわれるんですけど。
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どこに感情移入して読むかで変わりますよね。
帯に「渾身の恋愛小説」とありますが‥‥
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松原 |
それは、林真理子さんが
「恋愛小説」っておっしゃってくださったので、
「これ、恋愛小説だったんだ?」というふうに
編集者も僕も思ったんですよ。
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主人公であるさゆりを軸に読むと、
たしかにそうかもしれません。
けれどもぼくは恋愛小説というよりも、
ジャンという男の人生の話だと思って読みました。
それをさゆりさんの側から見ているんだと。
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松原 |
ありがとうございます。
いろんな読み方ができるというのは、
もしかしたらその小説にとっては
最大の褒め言葉かもしれないですね。
小説って1たす1は2とかじゃなくて、
こうだからこうという論理立ったものだったり
哲学だったりするのとはまったく違う世界だから。
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物語のなかに、知らないことがいっぱいあって、
そういうところも面白かったです。
イスラエルの入国のことだとか、
国連の人はパスポートを
2冊持ってるだとか‥‥
そのあたりの緻密さは、
報道の世界に生きてこられた
松原さんならではなのかなと思いました。
NGOというのも、非政府団体、みたいに
ことばの知識としてはありますけど、
実体がどうで、国連とどういうふうに絡んでて、
そこに一体どんな人たちが
どんな思いで活動してるのかなんてこと、
全然知らないでいましたから。
ましてやクライシスジャンキーなんて人がいるとか、
そのへんは、ノンフィクションみたいに読みました。
そもそもは、どんなふうに
書き始められたものだったんですか。
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松原 |
もともと、小説を書くということとは別に、
この物語を書こうと思った瞬間があるんです。
それはニューヨークに赴任している時でした。
エルサレムに旅行に行ったんですよ。
空港に降りたら、もうすさまじいセキュリティで、
しかもプライベートも聞かれれば、
同じ質問を3回繰り返される。
その時一緒にいた僕の嫁さん、
彼女が国連に勤めていたんですが、
「何やってんだ。もう1冊パスポートあるだろう」
って訊かれていて。
「え、2冊持ってるんだ?!」みたいな、
だから、この物語の最初は
一緒に旅行行ったあとに、
「あのシーン面白かったなあ、あの空港のシーンは」
というところから始まっているんです。
エルサレムの空港に
国連の日本人の女性が降り立った物語が
できるんじゃないか、ということだけだった。
それ以外何も決まってなくて始めたんです。
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えー!
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松原 |
そこから物語を始めて、
エルサレムに1人で行くの変だな、
感傷旅行かな、何か思い出があるんだろうなとか、
行ったらちょっと1人、サイドの登場人物欲しいから、
運転手さんはどうかなとか、
プロットがまったくないまま、
動き出すまま書いたんですよ。
書き進め方で言うと、
たとえばもう登場人物の1人1人、
すべての履歴書を全員書いて、
全部のプロットを細かく何十枚も書いたうえで
始めるかたもいらっしゃるとお聞きしました。
僕も、プロットって先に
書いたほうがいいのかなと思ったんですが、
それはしませんでした。
人生もそうだけど、
次の日は何が起きるかわからないし、
そこのドア開けたら何か待ってるかもしれないし、
ワクワクして書かないと、と。
自分の頭の中で組み立てると、
話を無理やり転がしていくような気がして、
多分書くほうもつまんないし、
読むほうもつまんないんじゃないかなと勝手に思って。
だから、自分がワクワクするために
次何が起きるかわからない状態で書き進めました。
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さらに「そもそも」なんですが、
ノンフィクションではなく、
小説を書こうと思われたのはなぜですか。
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松原 |
はい。長くなるかもしれませんが‥‥。
『勝者もなく、敗者もなく』を書いた時、
冒頭に父親の話があるんです。
それを読んでくれた直木賞作家の方が、
酔っぱらった席でぼくの勤務先のTBSのある人に
「松原君に伝えてくれ」とおっしゃってたことを
メモで手渡されたんですね。
そこには「君、小説を書きなさい」とありました。
その伝えられた人間も酔っぱらってるんで、
もうぐじゃぐじゃでよく読めないんですけど、
とにかく「小説を書きなさい」とおっしゃっていたと。
でも、その時には、
小説なんて別の世界の人が書くもので、
僕とは違う頭の構造の人なんだと思っていたから、
うっちゃってたんです。
そしてしばらくして、ニューヨークに赴任した時に、
アメリカをテーマにしたノンフィクションを
書こうと思ったんですね。
ところがもうあまりに忙しくて、
独自の取材を続けて
系統立てて1冊書くってことは、
とても無理だろうと自分で諦めました。
でも、そこで思い出したのがその人の言葉で、
都合よく引き出しを開けて、
「あ、そう言ってもらったな。
俺も書いていいのかもしれないな」と思い始めました。
「何か書きたい」という思いだけは
もう強烈にありましたから。
人間を描きたいという思いは、
コラム、ノンフィクションにかかわらず、
ずうっと、あったんです。
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そうか、人間を描きたいって気持ちは、
ノンフィクションも小説も同じなんですね。
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松原 |
そうなんです。
その延長線上で、
ノンフィクションが書けないならば、
よっしゃ、小説書いてみようかと。 |
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(つづきます) |