── |
三浦さんは
家って、どういうものだと思われますか。
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三浦 |
そうですね‥‥むずかしいですが
たとえば、先祖からの長い歴史の果てに
今の自分が、いるわけですよね。
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── |
ええ。
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三浦 |
父や母、あるいは
おじいちゃんやおばあちゃんくらいまでは
わかりますけど、
その両親や、そのまた両親が
いったいどういう人だったのかについては
わかりません。
でも、知りたいし、興味があるんです。
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── |
はい、あります。
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三浦 |
実際、言葉を交わすことはできないけれど
先祖の人たちのことを、知りたい。
そのとき、ぼくらは
先祖が代々、住んできた「家」をつうじて
対話することができると思うんです。
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── |
なるほど。
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三浦 |
柱や、壁や、手すりや、床をつうじてね。
木や石、土というのは呼吸する素材ですから、
長く受け継がれてきた家には
そこに住んできた人たちの「何か」が、
染み込んでいると思うんです。
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── |
ひいお祖父さんや、ひいひいお祖父さんが
この家に住んでいた、
たしかに存在していた痕跡‥‥みたいな?
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三浦 |
木や石や土は、先祖の「何か」を吸収していて、
折にふれて、その「何か」を受け渡してくれる。
同時に、自分も、そこに「何か」を与えていて、
次の世代も、
きっと、その「何か」を感じ取ることができる。
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── |
はい。
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三浦 |
それは
「手触り」や「艶」のようなものとなって
ぼくたちに、訴えかけてきます。
きっと「家」というものは
そういう、時代を超えたやりとりのできる
「媒体、メディア」だと思うんです。
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── |
前の時代に生きた人のしるしを
次の時代に生きる人に伝える、メディア。
たしかに、
会ったことのないひいお祖父さんたちも
「この階段のツルツルした手すりに
さわっていたんだろうな」
とか思うと、不思議な気持ちになります。
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三浦 |
いまの家の「表情」は、
先祖がよく手入れをしてくれた結果だし、
自分も手入れを怠らなければ
その家の「表情」を
さらに、よいものにしていくことができる。
そういう意味でも
月日とともに「劣化するもの」ではなく
「だんだん、よくなっていくもの」を
手元に置いておくことは、
やはり、すごく重要なことなんですよ。
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── |
本当ですね。
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三浦 |
自分が、父母から受け継いだ時点よりも
さらによいものにして
子や孫など、次の世代に渡すということ。
その気持ちが、大事だと思います。
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── |
柱一本でも、いいわけですもんね。
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三浦 |
そう、屋敷ごと受け継ぐことができたら、
伝わりやすいとは思いますが
それが難しかったら、
ひと部屋だけでもいいし、
一本の柱だけだって、いいと思います。
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── |
ええ。
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三浦 |
木や石や土というのは、
ぼくらの寿命よりも、ぜんぜん長いから。
ぼくらの命を超えて、
ずっと遠くまで続いていくものですから。
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── |
時代を経てきたものに
言いようのない「すごみ」を感じるのは
そのあたりのことに
心が震えるのかもしれないですね。
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三浦 |
そうだと思います。
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── |
リサイクルという語感以上に
「次を見据えてものをつくる」ことって、
素敵なことだなと思いました。
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三浦 |
ですから、そのためにも
次の代が修正しやすいようにつくることや
極力、再利用できる素材を選ぶことが重要。
これ以外の大きさ・かたちにはなりません、
という素材やつくりでは
結局、いずれ壊されてしまいます。
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── |
うまく引き継ぐことができなくて。
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三浦 |
先ほど、数寄屋建築というのは
「オーナーの好みに、徹底的に付き合う」
ことだと言いましたけど、
同じくらい
知恵を絞らなければならないのは
その住まいや店舗や会社が
何を引き継ぐことができて、
この先、どう展開していくかということ。
つまり「代継ぎ」の‥‥。
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── |
ダイツギ?
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三浦 |
そう、建物の「代を継ぐ」ということに
ぼくたちは
とても大きな意義を見出しています。
木や石や土という生きた素材を使って
将来的に住まいかたが変わっても
対応できるようなつくりにしてあげれば、
家って、
長く受け継いでいくことができるので。
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── |
はい。
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三浦 |
先代が、どういう経緯でこの家を、
どういう思いでこの家を建てたのか知っている
次の世代の人が
今度は、自分たちに合う家を発想していく。
そういう循環でうまくまわれば、
結果的に、家の寿命は延びていくんです。
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── |
なるほど。
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三浦 |
それはつまり、その家を建てた人の思いが
長く残るってことじゃないですか。
ぼくたちは、
そういう仕事をしていきたいなと思います。
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── |
家を後世に残すということ、
人の思いを、つなげていくということ。
すごーく、おもしろいです。
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三浦 |
逆に、もしもいま、ぼくらが
そういう仕事をできていなかったとしたら
「生きた素材を扱う資格」がないと思う。
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── |
資格?
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三浦 |
木でも石でも土でも、
数百年、数千年という歴史を持っていますね。
そういう素材を扱うときには
「たまたまいま、預からせてもらっている」
という気持ちになるんです。
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── |
そうなんですか。
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三浦 |
ぼくらが、たまたま預からせてもらっていて
「嫁入り」にふさわしい先を探している。
そうすることの「資格」が
ぼくらには、問われていると思っています。
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── |
なるほど。
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三浦 |
すぐに壊されてしまう家でなく
長く、いい状態で使ってもらえる家にこそ、
素材を、手渡していきたいので。
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── |
以前、荒俣宏さんに取材したとき、
まったく同じことを、おっしゃってました。
何世紀も前に、
貴族のためにたった一冊だけつくられた、
価格をつけたら数百万円もするような
希少本を手にしながら
「いま、この本は
たまたま自分がお金を出して買ったから
ここにあるけど、
自分がいなくなったあとも
どうにか次の世代の人に渡していきたい。
それまでは
大切に預かっているような気持ちだ」と。
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三浦 |
わかりますね。
たしかに、お金と交換してはいますけど
何千年という歴史あるものを
引き受けたときに、
「何千年ぶんを、いくらいくらで買った」
とは思わないですから。
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── |
でも、資格ということで言えば
三角屋さんのところへ
物語のある素材が集まってくるのって
まわりの人たちが、
そのように見ているってことですよね。
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三浦 |
三角屋になら
この素材の命を託してもいいだろうと
思ってもらえているとすれば、
それは、ありがたいことだと思います。
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── |
あらためてですけど、
家を建てるって、おもしろいです。
そりゃあ、映画にもなるというか。
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三浦 |
何百年も続く家族の歴史のなかで
もし、いま、新しく家を建てるのであれば
そういう選択を任された代なんです。
で、そうでない場合には
受け継いだ家を、きちんと手入れをして
よりよいものにして
次に渡す‥‥という代なんでしょうね。
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── |
それぞれの世代に、お役目があると。
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三浦 |
人って、家によって変わってきますよね。
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── |
ええ、ええ。
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三浦 |
朝、玄関を出ていくときに
まちがって
変な方向に扉をつけてしまったために
薄暗いなかを出て行くのと、
明るい太陽の光にぱあっと迎えられて
行ってきますというのとでは、
絶対に、何か変わると思うんです。
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── |
長い年月のうちには、そうでしょうね。
毎日のことですものね。
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三浦 |
一度や二度では気づかないかもしれないけど
明るい玄関から出かけることを
何年間も続けていたら、きっと変わります。
何かが、きっと。
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── |
じゃあ、三浦さんご自身は、
どのような「家」に、住みたいですか?
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三浦 |
ぼくはね、
将来、自分が90歳になったときのことを、
よく考えるんです。
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── |
90歳。
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三浦 |
そのとき、どういう空間に包まれていたいか。
答えは、そこにあると思います。
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── |
なるほど‥‥。
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三浦 |
いろんな考え方が、あるとは思います。
でもぼくは、自分が年老いたときには、
それ自体で呼吸をしていない、
ピカピカでツルツルした素材のなかにいたら、
息が苦しくなりそうな気がして。
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── |
ええ。
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三浦 |
やはり、年老いた自分自身と同じように
落ち着いて、しっとりしていて、
生きて呼吸をしている素材に囲まれたい。
そう思うんです。
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── |
つまり、木や、石や、土と。
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三浦 |
自分といっしょに年をとってくれるような、
そういう素材に囲まれて
暮らしていけたらいいなあと思うし、
そういう素材でできた家こそが
住む人の思いを、
次の世代につなげてくれると思っています。
<おわります> |