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読者のみなさんから届いたお便り #08

 
父は揚子江手前の上海で終戦を迎えた。
本来はビルマに派兵される予定だったらしい。
終戦後、営舎の横にある溝の向こうには、
中国の部落の子どもたちがいたそうだ。
配給のタバコがいくつかあったので、
溝の向こうの子どもに投げると、
ほどなく向こうから
お米を叩いて平坦にした煎餅のような食べ物が
投げてこられたという。
空腹だった父はそれをむさぼりたべたらしい。
「お腹すかしとったけん食べたったい」
と言っていた。
終戦後であったのに末端にいる生活者には
戦争という意識もわだかまりも
まったくなかったらしい。
その後、
終戦からかなり遅い帰還指示であったようだが
上海から貨車に乗り、
行きは中央に戦車が乗っていたという船の
戦車なしの船底で、焼いたお米を食べながら、
博多港に帰港した。
少し雪がかかっていた脊振りの山が見えたときは
ほっとしたと言う。
父がこのエピソードを話しはじめたのは
90歳をすぎたあたりからだった。
父は鹿児島本線折尾駅のかしわめしが好物だった。
蓋についたお米を含め
一粒も残すことなくその食べ方は見事であった。
ふだんのごはんも大事に食べていた。
戦争体験を含め、お米の一粒のありがたさを
身に染みて感じていたのだろう。
その父も7年前に鬼籍に入った。
お米高騰の時代である。
父が過ごした時代を想起しながら、
1粒のお米も無駄にせず
大事に食べたいと思う今日このごろである。
(しろみ322)

2025-08-18-MON

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶