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読者のみなさんから届いたお便り #10

 
連載を読んでいて思い出すことがあり、
自分の備忘録も兼ねて
こちらに送らせていただきます。
わたしはキリスト教の教会に通っています。
高校生のときにクリスチャンになり、
そのころからお世話になっている
ご夫妻から聞いた戦争の話を
この時期になると思い出します。
教会員のみんなから
「ばあば」と呼ばれていた御婦人は、
戦中は満州に住んでおり、
中国語が堪能で好奇心旺盛な方でした。
海外からの宣教報告に来る宣教師の先生たちが
Googleマップやパワーポイントを
使用しながら話すのを聞き、
その使い方を
細かく質問されていた様子を覚えています。
そんな御婦人が、
ふと満州から引き上げて帰ってきたときの話を
なんの気なしに話してくださいました。
帰国する船に何人乗れるのか、
どれくらいの船があるのかもわからない中で、
どうにか乗せてもらおうと誰もが必死だったこと。
船に渡る通路は、
細い板が渡されただけの簡素なものだったこと。
幼い妹の手を引きながら必死に板の上を渡るとき、
自分の近くにいた幼い子どもが
海に落ちていったこと。
誰もが、助けてあげたくとも
自分のことで精一杯だったこと。
淡々と話す御婦人の口調は穏やかで、
余計に、その状況の深刻さが伝わるようでした。
その旦那さんである男性は、
やはりみんなから「じいじ」と呼ばれ、
今日も教会のいちばん前の指定席に座り、
穏やかな顔で
日曜日の礼拝のメッセージを聞いておられます。
じいじからも、
「爆撃機を操縦するアメリカ兵の男性と
目があったことを覚えています」
と話していただきました。
もともとのお住まいは東京都の調布で、
そちらの教会では
アメリカ人の宣教師の先生も働かれています。
気になって、戦争が終わったあとで
アメリカの人たちに対しての恐怖心や
ネガティブな感情は湧いてこなかったのかと
尋ねたことがあります。
やはり、穏やかな口調で、個人の人を責めたり、
怖がったりという気持ちには
ならないものでしたね、と語ってくださいました。
ばあばはコロナ禍の折に亡くなられ、
たくさんお話をうかがったお礼を
言いそびれたままになってしまいました。
じいじはだいぶ聴力の衰えを感じているようで、
補聴器を使ってやっと挨拶を交わせるくらいです。
戦争を体験した世代の諸先輩から、
直接話を聞けたことが貴重なことだと感じる時代に
なったことを実感します。
連載、ありがとうございます。
毎回、興味深く拝読しております。
(秋山さん)

2025-08-20-WED

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶