
- 太平洋戦争の時のわが家の話です。
- 今は亡き祖父母は
ほとんど目が見えず(その後全盲に)、
町内で家を借り、住んでいました。
そして昭和20年、わたしの母が生まれました。 - その途端、家主から出ていってほしいと
言われたのだそうです。
障害を持ち、子どもを持った家族が厄介だと
思われたのだろうと、
祖母は言っていたようです。 - 祖母は乳飲み子の母を抱き、
ほとんど見えない状態で町内を回り、
住まわせてほしいと懇願して回ったそうです。
でも、なかなかよい返事をもらえず、
途方にくれていたとき、
うちにおいでと親切な方が現れました。
その家には他にも間借りしている家族があり、
身を寄せ合って住んでいたようです。 - そんなとき、町に空襲がありました。
戦争に疲れた祖母は、
母を抱き
「〇〇(母の名前)と一緒にここで死ぬ」
と家を出ようとしなかった。
見かねた祖父や近所の方に引きずられ、
防空壕に逃げました。
逃げなければ、
わたしはいなかったかもしれません。 - そして終戦。
近所の方々とラジオで
あの玉音放送を聞いたそうです。
祖父は目は不自由でしたが、
よく勉強をした人だったらしく、
玉音放送で何を語られたのか
わかったようです。
近所の人に「何と言ったのか」と問われ、
「日本は負けたんだ」と一言つぶやき、
みんなで泣いたそうです。 - 母はそんな祖父母の話を
よく聞いていたようで、
わたしにも伝え聞く機会をくれました。 - (東北の嫁)
2025-08-24-SUN

