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読者のみなさんから届いたお便り #58

 
わたしが同居していた祖父(父方)と、
母方の祖父の話を送らせていただきます。
わたしが同居していた祖父は、
毎日夕方4時ごろからはじまる晩酌で
少しお酒がはいると、
いつも戦争で体験したことを話してくれました。
軍服を着て走った運動会。
靴がとても重くて、あの靴を脱いで走ったら、
おじいちゃんはきっと1等賞だったという話。
フィリピンから日本へ帰るとき、
死体の山があって、
みんなの手帳を持って
帰って家族へ届ければよかったと後悔している、
という話。
毎日、夕方になると繰り返し話される話で
耳タコだったけれど、たぶんわたしは
戦争体験を生で聞く最後の世代なんだろうなと、
ぼんやり思っていたことを覚えています。
おばあちゃんや母に手をあげる祖父でしたが、
いつもいろんなことを教えてくれた祖父のことを、
いま、とても思いだします。
母方の祖父は真逆で、
戦争のことをまったく話さない人でした。
いま写真をみると目が深い色をしているな、と感じます。
いまも母が大切にしている、
母方の祖父(母にとっては父)にいつも言っていた
「すべてはよいほうにいくから大丈夫」
の言葉の重みを感じます。
両祖父とも教員でした。
いろいろな葛藤があったのではないかなと想像します。
大学の友人の祖父は、逆に底抜けに明るすぎて、
そのさまが怖かったとか、
最近、話した知人は、あるお蕎麦屋さんで
おじいちゃんが聞いた事のない声をあげたと思ったら、
戦地で一緒に戦った仲間の方と再会した瞬間だったの、
と話して下さいました。
因みに、同居していた祖父が言っていた手帳は、
後に史学科の学生さんから「軍事手帳」ではないかと
教えていただき、祖父の想いを知りました。
とりとめもなくて申し訳ありません。
太平洋戦争戦争の孫の世代には手触りがあり過ぎて、
恥ずかしながら、
戦争ものに触れるのが未だにヒリヒリします。
でも、おじいちゃんのこと、知りたいです。
(河北さん)

2025-10-07-TUE

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶