小学生のころ、お隣りさんの寝タバコが原因で、
実家が全焼してしまったこと。
お母さんが蒸発し、お父さんが亡くなり、
中学生以降、親戚の家を転々として暮らしていたこと。
そんな生い立ちをはじめ、
人生に訪れるさまざまな「切ないできごと」を
クスッと笑えるユーモアに変えて届けてきた、
「実家が全焼したサノ」さん。
今回ほぼ日はサノさんに、
「『自分の人生をコンテンツにする』って、疲れませんか」
と、質問をしてきました。
日々の暮らしの中から
「コンテンツ」になりそうなものを探してみたり、
自分の人生を「コンテンツ」として捉えてみたり。
いつの間に染みついていたそんな感覚に、
ふと疲れてしまう瞬間が、今の時代にはある気がします。
気になるんです。そんな中、たくましく、面白く、
「自分の人生をコンテンツにし続けている人」の、
頭の中や、心の中が。
そんな問いに、心の奥深くから、
丁寧に丁寧に言葉をすくいあげるように応えてくれた、
サノさんへの全4回のインタビュー。
聞き手は、ほぼ日のサノです。ややこしくて、すみません。

>実家が全焼したサノさんのプロフィール

実家が全焼したサノ プロフィール画像

実家が全焼したサノ(じっかがぜんしょうしたさの)

広告代理店で働くサラリーマン。
「実家が全焼したサノ」という
X(旧Twitter)アカウントで、
毎日切なかった出来事を投稿している。
幼少期に実家が全焼したことを機に、切ない人生を送る。
学生時代にホストクラブで働き、卒業後はバーを経営。
その後、事業拡大を目指し大学院でMBAを取得するも、
バーは潰れてしまう。
著書に『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』
(KADOKAWA)がある。

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第4回

いつか、


なくなっちゃってもいいように。

サノ
あの、今日話していてひとつ、
気づいたことがあるんですけど。
さっき僕、「執着が薄い」って話をしたじゃないですか。
SNSにも、趣味にも、仕事にもとくべつ執着してないって。
――
はい。
サノ
それ、「ずっと家庭が転々としてた」
っていうところが影響してるのかもしれません。
どれだけ「家族」というものに執着しても、
どれだけ自分が離れたくないと思っても、
結局離れるものは離れていくし、
家族以外の人間関係も、仕事とかも全部そうですけど、
やっぱり人生、
「ずっと続くもの」のほうが少ないというか。
そうすると、何に対しても
「それがなくても生きていける」ように、
何かひとつに執着しないポートフォリオを
無意識に作ってきたのかもしれないなって。
つまり、逆に言うと、
もともとはめちゃくちゃ「執着しやすい人間」だからこそ、
そういうふうにしてるのかもなって、
今日、サノさんと話してて思いました。
――
ああ。

サノ
病院とか行ったことないから何とも言えないですけど、
なんかこの、やっぱりちっちゃい頃に両親がいないと、
愛着障害だったりとか、過度に人から愛情を求めるとか、
そういうことがあると聞いたことがあって。
日常であんまり感じたことないですけど、
例えば、恋愛のときだったりとか、
親友とケンカしたときとかに、
なんか‥‥めっちゃさみしいというか。
もちろん誰だってそうだとは思うんですけど、
まわりの話を聞いていると、
どうやら自分は人より「さみしい」と感じる気持ちが
強いんだろうなと思う瞬間も、あったりするから。
だから、ひょっとしたら、そういう自分を守るために、
バランスを取ってるのかなって。
もともと人が離れても大丈夫なように、
もともとSNSがなくなっても大丈夫なように、
「それがなくなっても大丈夫な自分」を、
いつも事前に作ってる気がします。
――
それはすごく‥‥
サノさんの根っこになってる部分かもしれないですね。
心の真ん中にはどうしようもなく
「本当は手放したくない自分」がいるからこそ、
そうはいかない人生を生き抜くために、
「執着しない生き方」を選んだと。
サノ
はい。そうなってる気がしてます。
そう思って生きてきたわけじゃないんですけど。
僕がSNSを続けられてる理由は、
「SNSに執着してないから」。
でも、なんで執着しないかっていうと、
本当はめちゃくちゃ「執着しちゃう自分がいるから」。 
だけど結局、この世の中、
自分がいくら執着しても離れていくものは離れていくから、
1つに依存しないようにどこにも人生を懸けず、
バランスを取りながら生きているという、
そういう流れだったんだなと、今日、思いました。

――
あの、じつは僕も、子どものころに両親が離婚していて、
そういう経験が関係してるのか、寂しがりといいますか、
一度「これだ」と思ったものに
執着してしまいがちな人生を送ってきたんですけど、
僕の場合はサノさんと違って、
「これがあればもう大丈夫」って思える何かを、
今でもまだ探してしまってると思うんです。
「執着できる何か」を。
やっぱりこれって、手放すべきなんでしょうか。
サノ
まあでも、その気持ちもわかりますよ。
正直、今の僕のスタンスが正しいかどうか、
わかんないです。
僕もまだ、人生の途中だから。
「執着しないために分散させる」っていう、
その生き方が自分に最適なのかどうか、僕もわからない。
「今のところは」それがうまくいってるっていう、
そういう感覚でしかないので、
これはすみません、もうわかんないですね。
本当に執着できるものが1つあって、
それによって幸せに過ごせている人も
もしかしたらたくさんいるのかもしれないし。
それを見つけるっていうのも、
1つの正解だと思いますし、本当に。
――
とても正直に、ありがとうございます。
でも、今日の主題である
「SNSへの執着」という観点で言うなら、
野心なのか、寂しさなのか、動機は人次第ですけど、
どういう動機でやりたいにせよ、
その動機を「SNSに全ベットする」んじゃなく、
いろんなかたちで分散するというのは、
「長くがんばる」上でのひとつ、
大事なポイントになるんだろうなと思えました。
サノ
そうですね。
SNSって結局、
実生活で何かをしない限り投稿できるものがないので、
SNSだけに集中すればするほど、
SNSで何も投稿できなくなってしまうんで。
そういう意味では、SNSをやりたい人ほど、
「他のことをいろいろ一生懸命やる」っていうほうが、
結果的に長く続けられるっていうのは、あると思います。
僕みたいに、
「投稿文が面白い」ということで伸びる人もいれば、
たとえばスポーツ選手として活躍して、
SNSでたくさんのフォロワーから
応援されてる人もいっぱいいて。
実世界でがんばってる姿をフォローしてくれるケースも
めちゃくちゃあるわけで、
「SNSそのもの」をがんばってSNSを伸ばす、
みたいなことに執着する必要は、全然ない気がします。
――
ああ‥‥。
あの、さきほど話に挙げた、
自分や自分の人生を「コンテンツとしての価値」
みたいな目線で捉えてしまう、みたいな感覚って、
もし自分が今、学生だったら、
もっとしんどい気持ちになってたと思うんです。
サノ
はい、はい。
――
今ってもう中学生や高校生の「学校生活」の中でも、
踊ってバズってる子がいたり、
面白さでバズってる子がいたり、
見た目でバズってる子がいたりするわけで、
「自分のコンテンツとしての価値」みたいなものを、
おのずと意識してしまいそうだなと。
そのなかで「SNSをがんばる」みたいなところに
目が向いてしまいそうなときに、
今のサノさんのまなざしはすごく大事な気がしました。
サノ
SNSの世界ってよく、
「自分だけの強みを見つけてファンをつくれ」
みたいなビジネス的な思考が
語られがちだったりするんですけど、
その視点を学生がプライベートに持ち込むって、
だいぶしんどいんじゃないかなって僕は思うんで。
SNSでキラキラしてる人が羨ましくても
べつに、違う逃げ道っていくらでもあるじゃないですか。
輝ける場所って、「SNSだけ」では全くないですからね。
というか、あくまでも「実生活」が先にあるので。
なんかもう、当たり前すぎる話ですけど。

――
いや、今日はなんだか、
「無理をしない」とか、「執着しない」とか、
そのスタンスの根底にある「ほんとは真逆の自分」とか‥‥
SNSというテーマを超えて、
もはや「生き方」にも通ずる、とても面白いお話でした。
サノ
いえいえ。
それにしても、なんなんですかね、
「サノ」って、全員執着が深いんですかね。
――
あはははは。
え、そうなんですか?
サノ
わかんない。2分の2なんで。
――
でも、僕の一族はちょっと、そうかもしれない。
サノ
僕の一族も、そんな気がするんで。
先祖をたどれば、海賊らしいんですけど。

――
(笑)そうなんですか!
ぶん取って。
サノ
ぶん取って、ぶん取って、
執着がすごかったのかもしれないです。
――
いや、とにかく、
面白くて、切なくて、楽しかったです。
ぜひまたまったく別の企画なんかでも、
ご一緒できたらうれしいです。
今後とも、ほぼ日をよろしくお願いします。
サノ
もちろんです!
ありがとうございました。

(おわります)

2024-12-20-FRI

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