糸井重里は「ほぼ日」をはじめてから、
コピーの手法や技術についての話を
積極的に伝えようとはしてきませんでした。
でもやっぱり、一時代を築き上げた
広告コピーの話はじっくり聞いてみたい!
そんな機会をずっとうかがっていたら、
「前橋BOOK FES」の新聞広告で
糸井さんがひさしぶりにコピーを書くことに。
ほぼ日の編集者であるぼく(平野)は、
コピーライター出身なので興味津々です。
新聞広告を振り返りながら教わりました。
糸井さん、あのコピーってどう書いたんですか?

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7 糸井重里がコピーを書くなら。

――
新潮社の「想像力と数百円」の頃から、
糸井さんは本との縁がありましたよね。
糸井
ぼくは昔から「本好き集まれ」とは言わないけど、
本について考えていたことが
昔あったのはよかったですね。
――
1987年のコピー年鑑のコメントで、
「死ぬまで肩書は
コピーライターであり続けるつもりです」
とおっしゃっていたようです。

糸井
ああ、結局そうされちゃってますよね(笑)。
ぼくは昔からコピー年鑑に載せるために
上手なコピーを書こうなんて意識はことさらなくて、
いい広告で、いいビジョンを
いっしょにつくりたかったんです。
岡本太郎が「太陽の塔」をつくって、
それと比べるようなことじゃないけれど、
ああいうふうに、
なんでもない人に見上げてもらいたかったんです。
岡本太郎は売るための絵じゃなくて、
壁画とかそういうのばっかりやっていた人だったから。
前橋には「太陽の鐘」を持ってきたけれど、
地元の人に「鐘を突いてみせます」みたいな気分を
この広告には入れられたんじゃないかな。
――
この広告、もしぼくが任されていたとしたら、
それこそ1回目や2回目にあったような
「この情報は入れてくださいね」という要素を
入れなくちゃなあと考えてしまいそうなんです。
特に、イベントが近づくにつれて、
「こういうゲストが来ますよ」とか、
「参加の仕方をもっとわかりやすく」とか。
そこをかなり省いていたのも、
やはり意図されていたわけですよね。
糸井
ああ、それはやっぱり
ぼくがクリエイティブディレクターだったから。
この仕事を下請けでやっていたら、
そういう要素も入ると思うんです。
強みだから出そうって話はよくありますよね。
いわゆる強みだとか得だとかに合わせて
人が動くものだって思うよりは、
せっかく本の話なんだし、
読んでうなずいてくれる人と会いたかったんです。
広告を読んだ全員がわかってくれなくてもいいの。
たとえば、このシリーズ全体のデザインも、
文字のフォントは同じだけど、
袋文字にしたり黄色も黒もあったりして、
じつはデザインがバラバラなんですよ。
その全体像を最初から計画していたら、
そのバラバラさは許せないはずなんです。
ただ、それはデザイナーが自分でやったことで、
その統一感みたいなものよりも
大事なことがあるって考えたからなんですよね。
――
ちなみにこの広告のシリーズって、
群馬県民の方々が読んでいたときに、
糸井さんが書いたってわかっていたんですかね。
糸井
いや、それはわかってないんじゃないかな。
上毛新聞
我々も正直、知りませんでした。
おそらく、県民も知らなかったと思います。
糸井
そこに「糸井重里」はいらないと思ったんです。
ぼくの名前を出しちゃうやり方も、
発想としてはあるんですよ。
――
糸井さんはこのイベントの発起人でもあるから、
「エグゼクティブプロデューサーの
糸井重里さんにインタビューしました」
という広告でもよかったわけですもんね。
糸井
うん、それもできますね。
でも今回の広告では、
コピーライターに戻りたかったんですよ。
ぼくがマイクを持って言っているんじゃなくて、
町から湧いてきたようなことばにしたかったから。
ただ、プレッシャーはありましたね。
ぼくはもう長いこと、
「コピーライターはもうしないよ」と言っていたのに、
「これは、おれがやる」と言ったからには、
隠れるわけにいかないじゃないですか。
いま、糸井がコピーライターをやるとしたら
こういうことやるんだよって考えて、
後になっても恥ずかしくないものをつくりたくて。

ーー
糸井さんにとって
地元だったことの影響はいかがですか。
糸井
やっぱり地元だったのは大きいですよ。
イベントの最後の挨拶で「初めて甘えました」っていう
言い方をして泣けてきちゃったんだけど、
それまで地元とか、土地の人に対して
甘えてこなかったんですよ。
「おまえはおまえ、おれはおれ」
みたいなところがあったんだけど、
このイベントは本当に信じきらないとできなかった。
その意味で「来年もやってくれるよね」というのは、
言ってみれば甘えなんですよね。
でも、そう言える関係って、
他の町でだったら言えないんじゃないかな。
「甘え」という表現をしたけれど、
信じる・信じないの部分なんです。
フェス全体にも言える話なんですが、
自分を変えるようなイベントでしたね。
ボランティアに応募してくれた人があれだけいて、
地元の人たちの意見もだいぶ聞けたけれど、
「本当に奇跡だ」って言ってくれました。
――
そうですね。
糸井
ぼくも奇跡だと思いますね。
お天気がよかったのもそうだし、
率先してこのフェスを盛り上げようとしてくれた
人たちの態度がモデルになって、
地元の人やお客さんとして来たみんなに
うつっていったんじゃないでしょうか。
お金で雇われたんじゃなくて、
自前のお金でボランティアしに来てくれた人が
あれだけいたっていうのは奇跡ですよね。
――
ほぼ日のボランティアさんだけで
延べ90人でしたからね。
糸井
ありがたい話ですよねえ。
フェスのやり方としては、
「そんなに人が集まるんだろうか」なんて
言っていたらできないですよね。
そこを信じられなかったらできませんでした。
――
しかもボランティアのみなさん、
お客さんとしてもちゃんと参加していましたし。
糸井
そうだよね。
商店街の人が言っていたことですけど、
こういう賑わいがあったとしても、
商店街にはお金を使わないのが多いそうなんです。
でも、ブックフェスではみんなが寄ってくれたみたい。
そういえば、ぼくもおもちゃ屋さんに寄ったなあ。
――
あの商店街の中で
エコバッグがめちゃくちゃ売れたみたいですよ。
ヨシタケさんのイラストの
オリジナルバッグも売っていましたが、
あれもすぐに売り切れちゃったので。
糸井
なるほど、本を持ち帰るからだね。
来年があるなら、もっと作るでしょうね(笑)。
ここに来なければ手に入れられない
たのしいものを用意しておけば、
買いたい人はいっぱいいると思うんですよね。
うーん、やっぱり「来年はどうですか?」が
いちばんの悩みかなあ。
――
あの、糸井さん。
これを聞いていいものか迷いつつ、
ブックフェスは来年もあるんですか。
糸井
うーーーっん、
ぼくと田中仁さんの気持ち次第かなあ。
一同
(笑)
糸井
そこはまあいろいろあって、
一種の経営判断ですからね(笑)。
ただ、次にやるとしたら、
宿泊のあたりが課題になるんじゃないかな。
そこは前橋の人が一所懸命に考えたらできますよ。
本からはじまって、カルチャー全体に及ぶような
人と人との貿易ができるといいなあ思うんです。
次回をやりたい理由は、ぼくの中にはあります。
ただやっぱり、本当に地元の人のことを
信じきらないとできないんですけどね。
――
また今度は、前橋のみなさんが
ちょっと試されているんですかね(笑)。
糸井
上毛新聞は十分に応えてくれましたから(笑)。
やれることは、まだいっぱいありますよね。
途中途中でプロセスを伝えていくと
地元のみんなも勇気が出ますから、
その意味で1年間いいネタができたと思って、
「来年だったら、もっとこうしようよ」
という特集もできるし、おもしろいと思いますよ。
――
次回があるかまだわかりませんが、
またたのしみになってきますね。
糸井さん、上毛新聞のみなさん、
どうもありがとうございました。

(おわります)

2023-02-27-MON

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