2024年1月の能登半島地震のあと、
石川県の事業で、コミュニティの再建の
手助けをしようと動いているチームがあります。
月100回以上のコミュニティ再建支援をおこない、
地域の方々が「外に出るきっかけ」や
「交流するきっかけ」を増やそうとされています。
復興のなかでこんな動きがあること、
いろんな方になんとなくでも知ってほしくて、
みなさんのお話を紹介させていただけたら。
担当は「ほぼ日GO!」の田中です。

※このインタビューは2026年3月に
おこなったものです。


能登、赤城、尾瀬、西興部など、
あちこちの方と一緒におもしろいことを探る
ほぼ日✕地域のプロジェクト。
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4. すべては解決できないけれど。

──
で、そうやってされてきたことを、
いま、映像と冊子にまとめられてて。
嘉門
はい。ずっと駆け抜けてきたんですけど
「これだけの活動をやりました」というのを
映像にまとめまして、
さらに64ページの冊子にもしようとしています。
──
映像は見られるんですか?
嘉門
公開されてますのでぜひ見てください。
全部で12分なのに、そのなかに
エンドロールが3分あるという(笑)。
でもこれ、ぼくらは絶対入れたくて。
──
冊子はただいま制作の最終段階?
嘉門
はい。こちらは完成したら
被災者の方々にお届け。
将来、イベントに実際に参加してみようという気になったり、
みなさんのあいだでの
お話のきっかけになったりすればと思っています。
イベントに参加されたことがある方には、
アルバム的な要素もあるかもしれません。
神元
あとは自治体の方が「うちでもやりましょう」と思う
働きかけになったり、
あとは今後、さまざまな場面で
「コミュニティをつくる過程でこんなことをしました」
という参考になればいいな、
というのも副次的にめざしています。
あと、ウェブでの閲覧ができるようにもします。

取材のあとできあがった冊子「石川ひとつなぎ」。
(デジタル版、ぜひごらんください) 取材のあとできあがった冊子「石川ひとつなぎ」。 (デジタル版、ぜひごらんください)

──
だけど映像や冊子にまとめるのも、けっこう大変ですよね。
嘉門
そこはもう若いおふたり、
日本エージェンシーの中﨑さんと、
金沢美術工芸大学4年生のデザイナー・山西さんが
相当がんばって、取材してくださったんです。

中﨑
合計30日間、参加者の方や、支援くださってる方に
たくさんお話を聞かせていただいたんです。
嘉門
石川県庁と金沢美術工芸大学って協定があるんですね。
それで「この映像をつくるプロジェクトを、
一緒にやれませんか」ってお声がけしたら、
山西さんの指導教官の方が
「こんなにやってるなら、ぜひ伝えなくちゃ!」と
4年生のエース、山西さんを紹介してくださって。
中﨑
一緒にあちこち回ったんですけど、
4年の山西さん、そして映像制作には
3年の東郷さんも入ってくださり、おふたりとも
すごく前向きに取り組んでくれたんです。
石川県も広いので、移動距離がすごくて
毎回長時間だったんですけど、
撮影の最終日に山西さんが
「もう撮れないと思うとめちゃくちゃ寂しい」
と言ってくださったのが、すごく印象的でした。

山西優心さん(写真中央)と東郷壮太郎さん(右)。 山西優心さん(写真中央)と東郷壮太郎さん(右)。

──
取材されていったなかで、
とくに覚えているお話とかってありますか?
中﨑
基本的にはみなさん「イベントが楽しい」とか、
「こういう集まりがあってよかった」とか
明るい言葉が多かったんです。
ただ能登町でのレザークラフト
ワークショップでのインタビューのときって、
最初はどの方も
「しゃべることないよ」みたいな感じだったんです。
だけど、対話していくうちに
住民の方々同士で連鎖的に会話が始まって。
ある方は地震のあと、自分の家が解体されて
瓦礫の山になってしまった。
それを旦那さんと一緒にひとつひとつ運んで
掃除しては、避難所へ戻って、
川の字で寝る毎日を過ごされたらしいんですけど、
そのときどう感じていらっしゃったか‥‥とか。
インタビュー内容の一文をすこし読み上げますね。
「戻って来てから、家を少しずつ片づけてきたけど、
周りの家がなくなっていくのは、やっぱりむなしいです。
いまも重機が通るたびに地震かとドキッとするし、
心に重たいものが詰まったまま。
でも、ワークショップに来て、
みなさんの顔見てお話すると、気持ちが盛り上がる。
一瞬でも楽しい時間をすごせて、
新しい交流ができて、情報も交換できる。
こういう場がいまは本当にありがたいね」という。
取材の前日、震度4の地震がもう1回あったんです。
それも当時を思い出して、ドキッとされたとか。
やっぱりトラウマになっているから。
──
ああ。
中﨑
それまでの取材はみなさんの笑顔を
見ることがほとんどで、ぼくらもイベント自体、
もちろん笑顔になってほしくてやってるんです。
でもこのとき、いらっしゃったみなさんから
どういう葛藤を抱えてこられたかとかを
教えていただいたのが忘れられなくて。
現地の社会福祉協議会の方ですら、
初めて聞いた話だったりもして、
親しくされている社協の方にも
なかなか話せないことがあるんだなと。
そういうのも衝撃で。

嘉門
中﨑さんと山西さんのふたりは若さもあるし、
やわらかく聞いてくださるから、
今回おふたりがまわってくださって
本当によかったなと思うんです。
中﨑
「孫に話す気分になった」みたいに
みなさんに言われました(笑)。
年齢は本当にそうだし。
──
この活動、今後はどうなっていくんですか?
嘉門
この事業は来年度も続きまして、
震災から2年経ちましたけど、
今後も被災された方々に
寄り添っていけたらと思っています。
イベントメニューもさらに拡充したいし、
モルック大会の第2回をやろうかもあるし、
「To be continued」で(笑)。
──
To be continued(笑)。
嘉門
あと、今年度になって、このメニューを
使いはじめてくださるところも増えてきたんです。
──
おっ。
嘉門
だけどそれは明るい話でもなくて、背景には
「これまでいた支援団体がいなくなったから」
という影響もあると思ってますね。
──
ああ‥‥震災から2年経って、
支援を終えてしまった団体もあるから。
神元
あとは地元の公民館とかが少しずつ動き出しているから、
そういったところでも活用いただけたら
という気持ちがありますね。
ただ、同時に私たちも
「いつまでやって、どう地元に
バトンタッチしていくべきか」は、
常に意識しながらやっているんです。
──
つまり、サポートがなくても
まわっていくのが、本当は理想だから。
嘉門
そう。だからこの活動は最初から
「すべてお膳立てする」
「全部やってあげる」みたいなことは
避けてやってきてるんですね。
たとえば「縁日キット」も、持って行くけれど
縁日を回すのは現地の人にお願いしてたり。
畑にしても、こちらで菜園をつくって渡すのではなく、
「ほしいなら一緒につくりましょう」とやる。
こちらで組み立てたものを渡すんじゃなくて、
自分たちの生活に組み入れるように活用してもらう。
「基本的にはお手伝いです」
という距離を保ちつつやるのが大事かなと。
神元
「そっと手を差し伸べる」くらいの感覚ですよね。
自分たちでやるきっかけにしてもらうというか。
被災した方たちのもともとの力を
引き出すような動きであるべきかなって。
能登の人たちって、もともとチカラのある人たちですし。
──
実行部隊として動いてきた松本さんは、
このプロジェクトについていま、
どんなことを感じていらっしゃいますか?

松本
実はこういった復興のお手伝いって、
ぼくらももともと全然知らなかったんです。
それまで感じていた「支援」って、
物資の支援とか、家が崩れた人に新しい住宅をつくるとか、
そういうイメージでしたから。
だけど、県の方からご連絡をいただいて
「こういうコミュニティ再建の支援があるんだ!」
からはじまって。
でも、人が生きていくにはコミュニティというものが
本当に大事で、行政の方々がその必要性を
はっきり認識して、実際に動いていらっしゃる。
そのことにすごいなと思いました。
いまも関わらせてもらいながら、
人の気持ちに寄り添いながら動くことの大事さを
すごく感じてます。
具体的な部分では、実際に仮設住宅で
「お隣にどんな方が住んでいるのかわからない」とかも
やっぱりたくさん聞くんですよね。
そこは少しでもご近所づきあいが増える
追い風になればいいなと思ってやっています。
──
神元さんは災害支援の現場を
たくさん見てこられたかと思うんですけど、
どんな思いがありますか?
神元
過去の地震でも、こんなふうにコミュニティが
ダメージを受けることって、よく起きてるんです。
だけど住民感情ってやっぱり複雑なんですね。
同じ地震で、同じ支援を受けてても、
ひとりひとり状況はまったく違う。
在宅と仮設住宅の違いだけでも、
「でもあの人たちはなんだかんだ家に住めてるじゃない」
とかの言えない思いは出るものですから。
それはもう、もとのコミュニティが
いくら強かったとしてもダメなんですよ。
こういう被害が起きたあとって、割れちゃうものなんです。
それを中の人たちだけで回復させていくのって、
たぶんかなり大変なんですね。
そのときに外部が入ることで、きっかけができて、
少し集まりやすくなる面はある。
だから、こういったお手伝いは
必要じゃないかと感じながらやっています。

──
ああ、外部だからこそできるところがある。
神元
ただ同時に、この動きがすべてを
解決するわけではないのもわかっておくべきで。
こういうプログラムをいろいろやっていても、
外に出ない人はやっぱり出ないんですね。
集まれている人たちのほかに漏れている人が必ずいて、
たぶんその人たちは、コミュニティでは救えない。
これだけだとそういう人たちが取り残されていくから、
そこはたぶん福祉の視点で、
別の対応を考えていく必要があるかなと思います。
──
天災って、日本で暮らしていると
今後どこにどう起きるかもわからないですし、
コミュニティについての意識って
みんな持っておいたほうがいいんでしょうね。
神元
そうですね。
記事を読んでくださる方への思いとしては
「いざというときのために、
近所で顔見知りぐらいはつくっておこうね」
という思いはあるかな。
嘉門
しかも、超高齢化社会ですから。
地震が起きなくたって、
コミュニティの話ってみんな関わるんですよ。
ぼくも年をとることを身構えている人間として、
この事業に関わりながら、
「仲良くなるってこういうことか」
「草刈りとかの作業があると出てきやすいな」
「自分が出ていくなら麻雀かな」
とか、考えさせられることは多いです。
やすな(ほぼ日)
この記事を読んでくださった方が、
こういったバックグラウンドも想像しながら
石川を旅行してくださったり、
能登のものを買ってくださったりするといいですね。
神元
「行ってみてほしい」はありますよね。
実際に行って、住民さんに声をかけて話してみて、
現地の様子を感じてほしい。
嘉門
合わせて、観光とかだと輪島市や珠洲市、
七尾市を目的にされる方が多いですけど、
よければ穴水町や志賀町などにも
目を向けてもらえたらなと思います。
報道されていないような場所にも
被害はありますし、仮設住宅もありますし。
神元
穴水町には「いこいのば」の畑があるから、
ご覧になると、感じられることがあると思います。
やすな(ほぼ日)
そういえば一昨日、嘉門さんと、
イベント取材のあとの夕暮れどきに
車で菜園をのぞきに行ったら、
ずっとおしゃべりされてる方がいらっしゃって。
嘉門
ふたりでずーっと、立ったまま、
漫才のネタ合わせみたいな感じに
おしゃべりに花が咲いていて(笑)。
あれはよかったですね。
神元
ちょっと嬉しいですね。
みなさんの場所になってきてるなあと。
──
ああ、いいですね。
そんなふうに少しずつ活動が実って、
あちこちにコミュニティが育っていけば。
嘉門
そうなんです、ほんとに。
少しでも追い風になれるように、これからも
事業を続けていけたらと思っています。
神元
そうですね。これからも能登に関わり続けます。

(おわります。みなさん、ありがとうございました!)

2026-07-11-SAT

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