尾瀬とほぼ日。」という、
新しいプロジェクトがスタートします。

唐突に感じられるかもしれませんが、
じっくりと準備していました。
でも、順を追って説明したほうが
いいかもしれませんね。

思えば、1998年のスタート以来、
ほぼ日はすこしずつ「場所」を増やしてきました。
そんな、ほぼ日と場所の話を。

すこし長いですが、お付き合いください。
前後編でお届けします。

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尾瀬とほぼ日。
唐突な組み合わせに思えますよね、たぶん。
しかしこれは、しっかりと踏みしめる第一歩です。
ここから、けっこう遠くまで、
私たちは進んでいくかもしれません。
じつはここ数年、準備も進めてきました。
思えば、ほぼ日は、
インターネットからはじまり、
とてもゆっくりとではありますが、
自分たちの「場所」をひろげてきました。
今日はそういう、
ほぼ日と場所」の話をしたいのです。
そして、その場所の話は、
数日後に本格的にオープンする
尾瀬とほぼ日。」へつながっていきます。
尾瀬とほぼ日。
唐突な組み合わせに思えますよね、たぶん。
でも、それは唐突ではないんですよ、
という話をさせてください。
それでは、はじめましょう。
興味のあるかたは、ぜひ、おつき合いください。
ちょっと長い話になりそうなので、
まずは、私たちが尾瀬で出会った
すばらしい風景をごらんください。

 
これらの写真は、現地を訪れた乗組員が、
思わず撮った写真のごく一部です。
ああ、この風景を、実際に多くの人と共有したい。
まずは、そこへ至る経緯の話をしましょう。
どうぞ時間のあるときにお読みください。
それでは。

 
ほぼ日がはじまったのは、1998年。
もう、26年もまえのことです。
ほぼ日はインターネットのサイトとしてはじまり、
インターネット上に読み物を公開し、
インターネット上でオリジナルの商品を販売することで
すこしずつ、お客さんや、出会える人を増やしてきました。
糸井重里は、
ほぼ日というメディアが
インターネットという新しい仕組みをもとに
さまざまな活動を展開できたことが、
とても運のよいことだったとしばしば述べています。
創刊当初、私たちは実際のお店を持ちませんでしたが、
たくさんの人にほぼ日手帳をはじめとする
プロダクトを届けることができました。
私たちは劇場も倉庫を持ちませんでしたが、
いろんなコンテンツやイベントを
インターネットを通じて発表することができました。
そのころ、ほぼ日の商品を買ってくださるお客さんから、
リアルな店舗をつくってくれませんか?」
というリクエストがしばしばありました。
ちゃんとした企業から、
お店や売り場の計画を提案されることもあったのです。
けれども、規模も人数も経験もすくなかった私たちにとって、
リアルな世界に拠点を持つのは、
いやあ、とてもとても!」という感じでした。
なにしろ、乗組員の数は10人とか20人くらいでしたから。
大きな転機は、2014年。
南青山に、ほぼ日最初のリアルスペースとなる
TOBICHI(とびち)」をオープンさせたことでした。
当時の紹介文には、この場所は、
店舗であり、ギャラリーであり、イベント会場である、
というふうに書かれています。
そう、商品を売る場所としてしか考えないなら、
インターネット上で販売するほうが、
規模からいっても速さからいっても経費からいっても、
ずっと効率がいい。
けれども、そこに出会いがあったり、挑戦があったり、
発見や確認があったり、なんなら失敗があることは、
インターネットでの効率の話を
ひっくり返すような価値があるということを、
実店舗の運営を通じて私たちは実感しました。
このリアルスペースでの展開は、
2015年の「TOBICHI2」、
2017年の「TOBICHI京都」と順調に広がっていき、
2019年、渋谷PARCOにオープンし、
現在もさまざまなイベントを開催している
ほぼ日曜日」へと続いていきます。
※同時にオープンしていた「ほぼ日カルチャん」は現在閉店)
ちなみに、青山にオープンしていた
TOBICHI」と「TOBICHI2」は、
ほぼ日の本社が神田に引っ越したことを機に統合され、
現在もほぼ日の本社1階で営業中です。

 
このようにして、
ほぼ日は「リアルな場所」を獲得していきました。
そしてもうひとつ、
ほぼ日にとって大切な「場所」がうまれます。
生活のたのしみ展」です。
はじめての「生活のたのしみ展」は、
2017年、六本木で3日間のイベントとして開催されました。
ほぼ日に関係するブランド、ショップ、
アーティストの方といっしょにつくった
お買い物」を中心にしたイベントだったのですが、
初回からたいへん多くの方にお越しいただき、
今年、2025年1月まで、8回開催されています。
開催期間も約1週間、ショップも数も57と拡大し、
生活のたのしみ展」はいまや
ほぼ日にとってなくてはならない
大切なイベントに成長しています。
また、「生活のたのしみ展」は、たくさんのお客さんと
お買い物を通じて接点を持てるだけでなく、
リアルな場所ならではの、
思いがけない出会いをほぼ日にもたらしました。
それは、お客さんとしてだけではなく、
アルバイトとして」このイベントに参加する人が
たくさんいらっしゃったということです。
もちろん、対価として賃金は発生するのですが、
それを第一義としてではなく、
生活のたのしみ展という場を、
はたらくことでたのしむ」ように
参加してくださる方が、毎回、いらっしゃるのです。
そんな出会いがあるなんて、
実際に新しい場をつくるまでは、
思ってもみないことでした。
そう、だからこそ、私たちは、
新しい場所に興味があるのだともいえます。
新しい場所は、新しい出会いにつながり、
ほぼ日を思いがけず新しくしていくのです。

 
ほぼ日と「場所」を語るとき、
忘れてはならない出来事があります。
2011年の東日本大震災です。
毎日の生活が滞り、
予定していたコンテンツもイベントも
立ち止まらざるをえない状況になりました。
そして、被災地のためになにができるのか、
ほぼ日は考えました。
できることをしよう」
光のさす方向へむかおう」といった
コンセプトを手にするまで、
しばらく時間がかかりました。
そして、ゆっくりとではありますが、
ほぼ日は被災地へと足を運びました。
宮城県、福島県、岩手県‥‥。
もっとも強く結びついた場所は、気仙沼でした。
気仙沼にいた人たちとの出会いは、
きれいごとでなく、実際に、リアルに、
私たちを成長させました。
そして、この場所にしっかり関わっていく、
という強い意味を込めて
気仙沼のほぼ日。」という、
いってみれば、ほぼ日の支店をつくりました。
東京と気仙沼は、
簡単に行き来できる場所ではありません。
そして、「気仙沼のほぼ日。」は、
これとこれとこれをやる、といった、
明確な目的を持ちませんでした。
にもかかわらず、
ほぼ日はそこに場所をつくりました。
部屋の契約をして、リフォームをし、予算を割き、
切り盛りしてくれる人を仲間に加えました。
はっきりした目的はなかったのですが、
そこを起点にしていくつものことがはじまりました。
東京からもしばしば人が行きましたし、逆もありました。
気仙沼のほぼ日は2011年にはじまり、
8年後の2019年に一旦の役目を終えてクローズしました。
けれども、いまだに糸井重里は
3月11日を気仙沼で過ごしますし、
気仙沼で出会った斉吉商店さんは、
ほぼ日の食にまつわる企画に協力してくださっています。

 
気仙沼とのかかわりは、
ほぼ日を大きく進歩させました。
会社を人としてとらえるなら、
気仙沼を通してほぼ日は、
視野が広がり、足腰が強くなり、行動範囲が広がり、
自分たちとは関わりのないようなことも
自分たちのこととして考えられるようになりました。
背ものびたし、筋肉がついたと思います。
2024年、能登を大きな地震が襲ったときも、
私たちは落ち着いて
なにをするべきか考えることができました。
そして、能登のことをレポートし、
きっとこのふたつの場所はつながるべきだと思い、
珠洲の信子さんと気仙沼の和枝さんが
対話する機会をもうけたりしました。
そういったアクションは、
たぶん、急にはできなかっただろうと思います。
ほぼ日の創立時と同じように、
インターネットのなかだけで活動していたら、
どんなときにどんな場所でなにをすればいいか、
咄嗟には判断できなかったでしょう。
たとえば、すべての場所に、
平等にアプローチすることはできないということ。
こうするべきだという理屈よりも、
人と人とのつながりが行動につながるということ。
おもしろいことをおもしろがることや、
たのしいことや、おいしいことは、
場所がどこであろうが変わらないということ。
こうして駆け足で振り返ってみると、
ほぼ日は「場所」を広げながら、
歩みを進めてきたのだということがよくわかります。
そしてここまでを前編として、
後編では、ここ数年のほぼ日の動きをお伝えします。
東京から、尾瀬へ。

(後編へつづきます)

2025-04-01-TUE

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