シリーズ第18弾の今回は、
福岡市美術館の近現代コレクションを拝見。
ウォーホル、ロスコ、バスキアからミロ、
松本竣介、桂ゆき、吉田博、中園孔二、
カプーア、グルスキー、塩田千春‥‥
そして菊畑茂久馬など九州派の面々など。
きらめきの所蔵作品の数々でした!
同館には見事な古美術部門もあって、
今回は取材できなかったんですけど、
2024年の
「ミュージアムキャラクターアワード」で
銀メダルに輝いた、
かの「こぶうしくん」には会えました!
お話くださったのは学芸員の忠あゆみさん。
担当は「ほぼ日」奥野です。

※展示替え等により、
現在は展示していない作品もあります。

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第2回 まずは「赤い松本竣介」から。

──
それではさっそく、
コレクション展をご紹介いただければと
思うのですが‥‥
あ、こちらは松本竣介の作品でしたか。
はい。
──
松本竣介といえば
青とか茶色のイメージだったんですけど、
こんな赤い作品もあったんだー。

松本竣介《彫刻と女》1948 松本竣介《彫刻と女》1948

竣介が亡くなる直前に描いた作品です。
36歳だったんですが、この時期は、
褐色の絵の具をよく使っていたんです。
戦時中は、防空壕に
褐色の絵の具を避難させていた‥‥
というエピソードを、聞いたこともあります。
──
へええ、そうだったんですか。
松本竣介って、
反戦の作家みたいなイメージがありますけど、
この絵のテーマは‥‥。
はい、《彫刻と女》という作品で、
最晩年、個展へ出品するために描かれた絵です。
この女性も、
ギリシャ彫刻のような優美なプロポーション、
手は彫刻に触れています。
反戦の活動のなかで「芸術への信仰告白」
とまでは言いませんが、
芸術と自分自身とのひたむきな関係を求める、
というような意図を感じます。
──
ぼく、この人のこと、けっこう好きなんです。
地元の桐生の大川美術館が、
松本竣介の作品をたくさん持っているんです。
だから、よく知らないままに、
いつの間にやら好きになっていたんですけど。
はい、わたしも前橋に住んでいたことがあるので、
大川美術館で、よく見てましたよ。
──
あ、ほんとですか。親近感!
そして、《エルヴィス》。つまり、ウォーホル。

アンディ・ウォーホル《エルヴィス》1963 アンディ・ウォーホル《エルヴィス》1963

はい。映画のポスターをもとにして、
シルクスクリーンで刷った作品です。
購入の際のエピソードですが、
担当者がウォーホルのスタジオへ行ったら、
木枠に貼られず、
丸めた状態で置かれていたそうなんですね。
で、それを収蔵したいといって‥‥。
──
ウォーホルのスタジオというと、
つまりファクトリーと呼ばれていたところ。
そうですね。1987年だったと思います。
──
この作品も、いわゆる
アートにとって複製とは何か‥‥的な?
ポスターに印刷されたスターに熱狂する、
つまり複製された存在を愛するって
どういうことなんだろう‥‥
ということを自然に考えさせる仕組みが、
ふたりのプレスリーが並んでいる、
という構成にあるんじゃないかなあ、と。
──
そっか。
そもそもポスターという複製メディアの上に、
さらに、
スターがコピー&ペーストされてるんですね。
そうなんです。
──
ぼくら見る側にしてみれば、
複製だよねっていう気持ちを突きつけられて、
でも、それ自体がアートになっている。
よくよく考えると、やっぱりすごいですねえ。
夢中になっていると気づけないことがあるし、
気づくためには冷めた視点を持つ必要がある。
そういうことを感じさせる仕組みそのものが、
ウォーホルのアートなんだと思います。
そして、こちらの映像は、
福岡市美術館のために、
飯山由貴さんがつくってくださった作品です。
当館で活動するボランティアのガイドさんが、
作品について話すようすが映っています。
作品のガイドって、
難しい話をしないといけないんじゃないかと、
思われがちなんですけど。

飯山由貴《作品の前で語られた、いくつかの会話:福岡市美術館》2016 飯山由貴《作品の前で語られた、いくつかの会話:福岡市美術館》2016

──
ええ。
でも、ここでは、
なんてことない会話が展開されているんです。
お客さんに
「どの作品が印象的でしたか?」
みたいなことをインタビューしていたりとか。
つまり、当館の作品そのものというより、
偶然一緒になった人々の間で
ちいさな交流が生まれたり、
本当にささいな、さりげない出来事が、
インタビューを通してうまれていく、
そのようすが、捉えられている映像作品です。
──
こういった作品を見ると、
「現代アートっぽいなあ」と思うんです。
いや、変な意味じゃなくて。
つまり「インタビュー」みたいなものを、
アートの手法として使うケースを、
けっこういろんなところで見かけるので。
ええ。
──
なるほど、そういう活動もアートになるのか、
おもしろいなと思うと同時に、
ぼくみたいな門外漢には、
なれないうちは、
少しわかりにくいところがあったのも事実で。
そうですよね。
──
インタビューということについては、
ぼく自身、ずーっと仕事でやってきているし、
もっと言えば
「人の話を聞く」ということなら、
どんな人でもやっているじゃないですか。
つまり、何もインタビュアーじゃなくたって、
アーティストじゃなくたって、小中学生でも。
何でもない人の話を聞くということが、
アートになったのは、いつからなんですかね。
おそらく90年代以降じゃないでしょうか。
わたしはいま35歳なんですけど、
学生時代から、
具体的には2010年代にはもう
当たり前のように、存在していた気がします。
美術史的にも、
何が描かれているかについて考察したり、
色彩や造形を分析したり‥‥ということから、
人々の問題や関心だとか、
その時代の社会的背景、
作家自身が置かれている状況などへと、
アートの関心領域は、広がっていったんです。
──
視覚で捉えるものをあつかうだけじゃなく、
ある意味不可視な「情報」も、
アートの興味の対象に入ってきた‥‥と。
そういう趨勢の延長線上に、
情報そのものが取り出されて作品になる、
という動きがあったんです。
──
たとえば、社会学者の岸政彦さんが
やってらっしゃることとか、
すごくアートっぽいような気がするし。
たしかに。
──
あるいは、戦争の資料館なんかへ行くと、
「証言集」というかたちで、
無名の人々の映像や資料が展示されてますが、
あれなんかも
「アートとしての表現です」と言って
美術館に持ってきたら、そう見える気もする。
インタビューで得られるお話も、
聞く人によってぜんぜん違うじゃないですか。
写真家によって、
被写体が、まったく違う表情を見せるように。
お話を聞くインタビュアーの人柄とか口ぶり、
はたらきかけが、
そのまま
独自の表現になっているんだと思います。

(つづきます)

2026-04-01-WED

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