小林薫さん主役のテレビドラマ『深夜食堂』。
2009年に最初のシリーズがスタート、
地上波で3作、Netflixオリジナルとして2作、
さらに2度の映画化を経て、
この秋、7年ぶりとなる
第6シリーズの地上波での放送が決まりました。
なんと足掛け17年! の、息の長いドラマなんです。

劇中の料理を飯島奈美さんのチームが
担当しているというご縁もあり、
小林さんと糸井重里が旧知の仲だということもあり、
乗組員に原作やドラマのファンが多いこともあって、
これまでも『深夜食堂』について
応援してきた「ほぼ日」ですが、
今回はちょっとすごいですよ。
飯島さんの仕事現場を訪ねて伺った
美術セットに感動したぼくら、
まず「ほぼ日の學校」でその美術の世界を紹介、
そしてその美術の一部を渋谷パルコの
「ほぼ日曜日」に持ち込んでの
再現展示を行なうことにしました。
そして小林薫さんを招いての鼎談を
「ほぼ日の學校」で収録、動画配信。
ここでは、そのテキスト編集版をお届けします。

3人の付き合いのはじまりは1970年代、
半世紀も前のことです。
糸井重里が大学を辞めて働きだした頃、
小林薫さんは「状況劇場」の劇団員で、
南伸坊さんは『ガロ』の編集者でした。
今回、南さんはほんとは
「対談の見学」にいらしたんですけど、
糸井が最初から引き込んでの鼎談になりました。
盟友・クマさんこと篠原勝之さんの話に始まり、
『深夜食堂』の話へとつづく全8回、
どうぞ、おたのしみください。

>小林薫さんのプロフィール

小林薫(こばやし・かおる)

1951(昭和26)年、京都生まれ。
1971年から1980年まで
唐十郎さんが主宰する状況劇場に在籍。
映画では1977年『はなれ瞽女おりん』でデビュー、
テレビドラマは1981年『青春戯画集』がスタート。
退団後、テレビ、映画、舞台などで活躍を続ける。
「ほぼ日」ではこれまでに
2000年「小林薫『俺はシブイか?!』対談。」や
2010年「小林薫さんと、居酒屋ごはん。」に登場。

>南伸坊さんのプロフィール

南伸坊(みなみ・しんぼう)

1947(昭和22)年、東京生まれ。
漫画雑誌「ガロ」の編集長を7年間務めたのち、
1980年からフリーのイラストレーター、
エッセイストとして活動を開始。著作多数。
エッセイに自らイラストをつける手法で
「イラストライター」を自称する。
マンガ家、装丁家としても活躍。
糸井重里ディレクションのゲーム「MOTHER」では
キャラクターデザインをつとめた。
赤瀬川原平らと路上観察学会を設立、
現在は伊丹十三賞の選考委員も務める。
著書に『仙人の桃』『いい絵だな』
『私のイラストレーション史』など。
ほぼ日には「黄昏」シリーズなどでしばしば登場。

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01 いい人になりたい。

小林
糸井さんたちがクマちゃん(篠原勝之さん)のところに
行った動画、たまたま見たんです。
本当にありがたかったなと思って。
クマちゃんの元気な姿を見られたから。
糸井
そうだよね。その話からしようか。
で、さ、これから伸坊を呼び込むとか、
そんな演出じみたことしてもしょうがないから、
最初から一緒にいようよ。
南
え? 今日は聞きに来たんだけど。
糸井
ほら、その椅子に座ってさ。
南
‥‥じゃあ。
糸井
あはは。どうもどうも。
小林
いやいや、ありがとうございます。
南
久しぶりです。

小林
伸坊さん、わざわざこのために?
南
小林さんが来るっていうから。
小林
嘘でしょ。本当ですか。
南
本当ですよ。
糸井
本当本当。伸坊と話をしてて、
「薫ちゃん来るけど、来る?」みたいになって。
小林
いやぁ、優しいなぁ。
今年に入ってクマちゃんが亡くなって、
その前に糸井さんたちは奈良に行かれたけれど、
僕、直接会えなくて。
あの動画のときは、比較的、
クマちゃん元気だったじゃないですか。
ああ、よかったなぁ、
あの動画が見れてよかったな、
と思いました。
南
眉毛がなくなってたね。
小林
本当ですか。そこまで見てないな。
南
なんか違うなと。眉毛が薄くなってるなぁと。
糸井
伸坊は、人を、絵を描く都合で見てるから。
小林
あはは。
二人が会いに行ってて、優しいなと思った。
シャレてるよなと思ったんです、会い方が。
糸井
違う違う、優しくはないよ!
小林
いや、優しいですよ。なかなかできないよ。
糸井
あれも、3回流れたんだよ。
スケジュールをダブルで入れてたけど、
どうしてもダメで、
もう1回はクマちゃんが病気で。
小林
3人でないとダメだった?
糸井
そう。それは最初からそのつもりだった。
でも、行けたね。
南
で、今年になっても
行こうってことになってたんです。
糸井
そう、今年の4月に行く予定で旅館を取ってたら、
「ちょっと入院になっちゃったんで、
残念なんですけど延ばしてもらえますか」
みたいなことがあって。
クマちゃんは「病院でやってもいいよ」
ぐらいのことを言ったらしいんだけど、
それはやっぱりそういうわけにはいかず、
その病院で亡くなった。
もし行ってたら、本当にその日だったよね。

南
そうだね。
小林
動画はどのぐらい前なんですか。
南
寒い頃だったね。
糸井
11月とか。
特集をしていた「老いと死」の話をしに行ったんだ。
クマちゃんはいつも以上に優しく、
そのテーマを丁寧に語って。
南
俺、ちょっと気になってたのが、
一緒に歩くと、時々座るんだよ。
あまり元気でもないのかなって。
見た目は元気だったんだけどね。
東大寺に行って大仏殿から回ったところに、
お菓子屋さんか牛乳屋さんかのベンチに座ってさ、
けっこうハァハァ言ってるなぁと思って。
何も言わないから、どんどん歩かせちゃったけど。
糸井
なんせね、複数回入院してるんだよな。
小林
そうですか。黙ってるもんな、あの人。
糸井
うん。「平気だよ」って言うけど、
けっこうくたびれてたと思うよ。
南
そうだね。
「会いたいと思ったときに、
そんなに簡単に会えないよ」
みたいな話をしたらさ、
「そうそう!」ってものすごく賛成してた。
糸井
ものすごく言ってた。
すっごくいい人になっちゃって。
小林
分かるな、それ。
僕も以前大腸ガンの検査をした時に、
「あ、小林さん、ポリープがあったから取っといたよ」
って写真を見せてくれたことがあったんですよ。
「年取ったらね、誰でもポリープができるんだよ。
あんなの残しておいても何の得にもならないから、
小っちゃいうちに切っといたよ」と言われて。
そんなことが2回ぐらいあったのかな。
そしたらあるとき、一円玉大ぐらいで、
円盤状になってるやつがあると。
「こういうのもあるんだよ。
でもこれはすぐに除去できないんだ。
そこに水みたいなのを入れて膨らませて、
糸でキュッと縛って、膨らませたところを切除する。
ちょっと手間がかかる。出血もいっぱいする」
と言われて。
糸井
回りくどい言い方をする。
小林
「だから、ちょっと時間置くよ」と言われて、
やってもらうことになったんです。
それが去年の12月の頭ぐらいだった。
それで「術後については院長から
正月明けにお話があります」と言われたんです。
そんな言われ方したら、すごく気にならないですか。

南
うん、それはね。
糸井
あらゆる「お話があります」は嫌だよ~。
小林
え、なんで院長から? って。
僕、院長と話したことないんです。
担当の方からでいいじゃん、話は。
十分ですよ、僕はって。
糸井
十分ですよ。
南
そのほうがいいよね。
小林
担当医が一番分かってらっしゃるし、
わざわざ院長からって、
どういう病院側の対応なのか分かんなくて。
それまで3週間ぐらいあったんですよ、
正月明けて1月4日まで。
僕そのとき、先輩に大腸ガンで亡くなってる方がいて、
晩年はこうだったな、あれ意外と痩せるんだよなとか
いろんなこと思って、
「そうか、俺にも来たかぁ」
みたいな心境になるんですよ。
そのときにね、僕、
「最後はいい人になろう」と思いました。
南
あはは。
糸井
ほう。
小林
今までの生き方を改めて。
糸井
院長と話をする前に。
小林
今までの生き方というのもあって、
いろんな理由もあったかもしれないけど、
いい人でいたいと思いましたね。
糸井
なんかちょっと、感動させるね。
小林
そういうことを思って、3週間ぐらい過ごしたんです。
それで年が明けたらね、
お父さんから、30代後半ぐらいの先生に、
院長先生が2代目に代わってた。
で、話というのはですよ、
「ご挨拶にと思って」。
1月4日にわざわざ院長からお話がございますって、
その挨拶なんですよ。
南
あぁ~。正月早々ねぇ。
糸井
あぁ~!
小林
それまでは本当に、
すーっごい、いろんなこと考えたし、思いました。

糸井
今の話、なんか二重にすり抜けたね。
南
最初のあのポリープ除去の難しい方法のところが、
すごくよかったし。
糸井
途中で1回感動するシーンがあって。
ちょっと涙ぐみそうだった。
名優がやったら感動するよ!
南
名優じゃん! ははは。
小林
黒澤さんの『生きる』みたいな感じだった。
そういう気持ちになったな。
なんかこう、現役感がなくなるって感じなんですかね、
いい人になりたいというのは。
生きていくことの必死さみたいなものがなくなって。
糸井
あぁー。ちょっと、けっこういいね。
小林
クマちゃんがいい人になってたって話と、
ちょっと通ずるところがあるのかなと思って。

(つづきます)

2026-10-06-TUE

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