こんにちは、ほぼ日の奥野です。
尊敬する編集者にしてゆかいな大先輩、
宝島「VOW」二代目総本部長・古矢徹さんとともに、
ちいさな連載をはじめたいと思います。
スマホや携帯を持たない“丸腰人”人生65年の
古矢総本部長と、スマホは愛用するが
ときどき海に投げ捨てたくなるわたくし奥野が、
世界の片隅にひっそり存在するであろう
愛すべき“丸腰人”を探しに行く‥‥という企画です。
まず手はじめに、“丸腰人”ご本人さま、
もしくは“丸腰人”のまわりにいるみなさまから、
スマホや携帯を持たないがゆえの
困難とペーソスに満ちた日々のエピソードを、
送っていただきたいなと思ってます。
それらを、当連載で紹介していきたいと思います。
投稿どしどしお待ちしてます!
採用された方には、素敵なプレゼントも考え中。

>宝島「VOW」二代目総本部長・古矢徹さんとは。

古矢徹(ふるや・とおる)

「止れま」「まさる死ろす」「聞け、わだみつおの声」などのおまぬけネタで知られる、雑誌『宝島』の読者投稿企画“VOW”(バウ)二代目総本部長。『宝島』休刊後、女性誌『sweet』(宝島社)に拾われ今も連載継続中という知る人ぞ知る事実は、21世紀雑誌界の奇跡と言っても過言と言えなくもなくなくない? 声優の古谷徹さんとは別人。最近「久しぶりにVOWのサイトを見たら、二代目総本部長がお元気そうで何よりだった。東秋留の辺りを通りがかるたびに古矢さんっぽい人を探すんだけど見つからないなぁ」との読者のSNSへの書き込みあり。古矢さんっぽい人は、今は西東京市あたりで探すと見つかるかもよ。

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ある丸腰人の物語 04

わたしの叔父は丸腰人でした。
3年前の春に69歳で亡くなりましたが、
生涯慎ましく暮らしていました。

叔父は「もとん」と呼ばれていたので、
ここでもそう呼ばせていただきます。

もとんが持たなかったものは、
スマホだけではありません。
もとんは、家族を持ちませんでした。
もとんは、家も車も持ちませんでした。
もとんには、友人もいませんでした。

もとんが持っていたものは、
30年続けた料理屋の仕事、
毎朝読む新聞、
お気に入りのポマード、
24インチのテレビ、
そして、セブンスターでした。

もとんは人と話すことができませんでした。
少年時代は明るく話していたそうですが、
10代で板前修行に出たあと、
言葉を話せなくなって帰ってきたそうです。

それからは、短い相づちや頷きだけで
コミュニケーションをとるようになりました。

もとんは、
わたしと同じ家に住んでいました。
いちばん隅の小さな部屋がもとんの部屋で、
家にいるときは、
ほとんど、
その部屋から出ることはありませんでした。

まだ幼いわたしは、
ひっそりと暮らしている「もとん」が
どんな存在なのか理解できず、
知らないおじさんが
「妖精」のように住み着いているのだと
思っていました。

わたしにとって言葉を話さないもとんは、
どこか非日常的な存在で、
その暮らしをこっそりのぞくことが
日々の楽しみになっていました。

もとんは、いつも早く起きて新聞を読み、
顔を洗って歯を磨き、
決まった時間にトイレを済ませ、
タバコを吸い、ポマードを付け、髭を剃り、
缶コーヒーを飲み、
部屋のごみを拾って仕事へ行きました。
そして夜遅くに帰ってスーパーの惣菜を食べ、
風呂に入り、またタバコをふかしながら
テレビを見て眠りにつきます。

もとんは、どんな日も仕事に行き、
生活に必要な少しのお金を稼ぎ、
必要なものだけを買い、暮らしました。

もとんは新聞を隅から隅まで読むので、
読み終わった新聞紙はいつもくしゃくしゃで、
わたしは、
それをカサカサ鳴らすのが好きでした。

そしてもとんはわたしを見つけると、
本当にたまに、
柿の種の小さな袋をくれました。

わたしが小学生になっても、
中学生になっても、
高校生になっても、
もとんの生活は変わりませんでした。

次第にわたしは年ごろになり、
肉親が言葉も出せず、
何も持たずに暮らしていることを
恥ずかしいと思うようになりました。
友だちが家に遊びに来たとき、
わたしはもとんに
「部屋から出てこんで」と言いました。

もとんの表情は変わりませんでした。

わたしが大人になって上京したころ、
さまざまな事情もあり、
もとんは小さなアパートを借りて
一人暮らしをはじめました。

家が変わっても、
もとんの暮らしは変わりませんでした。
引っ越しの荷物は
お気に入りの服と靴下、髭剃りとポマード、
小さなテレビと灰皿だけでした。

唯一違ったのは、ベッドが新しくなったこと。
もとんは貯金を使って、
少しだけいいベッドを買いました。
母から、ベッドの上に
ちょこんと座ったもとんの写真が
送られてきました。
そこに写るもとんは何となく、
嬉しそうな顔をしていました。

それから数年後のある朝、
もとんの家に
お弁当を配達してくれる配達員さんから
電話がありました。

「昨日のお弁当が食べられずに残っています」

母がアパートに行くと、
もとんはベッドの隅で冷たくなっていました。

肺炎でした。

コロナではなかったそうですが、
似たような症状で亡くなったとのことでした。
突然の出来事でした。

とても慎ましやかな最期でした。
涙は出ませんでした。
感じたのは季節の変わり目のようなもの悲しさと
少しの安心感でした。

それから、一年、また一年が過ぎ、
少しずつ日々の生活のなかに、
もとんが顔を出すようになったのです。
顔を洗うとき、疲れて眠るとき。
お気に入りの香水を見つけたとき。
そんな何でもない瞬間にふと、現れるのです。

もとんは、
何かを得ることはなく、
何も持つことがなく、
けれど誰からも奪わず、
文句も言わず、
称賛されることも、非難されることもなく、
ただじっと、毎日を生きていました。

もとんは何も持たずに生きて、死にました。
わたしは、もとんを可哀想だと思いました。
惨めだと言う人もいました。

わたしはもとんに比べれば、
ほしいものをたくさん手に入れてきました。
羨まれる仕事、おもしろい恋人、
行きたい場所にだって行きました。
だけどわたしは悲しいし、惨めです。
自分には何の価値もないと思えるときもあります。

もとんが、
どんな気持ちで日々を過ごしていたのかは、
わかりません。
けれど、もとんはいつも同じ、
まるで草木のように、生きていました。

草木にも水は必要ですが、
いつもお腹をすかせている動物と違って、
とても穏やかだと思いました。

わたしにはまだ、
やりたいことも叶えたいこともあります。
慎ましく生活するなんて、
やっぱりできそうにありません。
だけど、ときどき、
あのくしゃくしゃになった新聞紙を思い出します。
わたしが持っているものは、
まだほとんど、新品のままです。

最後に、この文章を書きながら、
わたしはもとんのことを、
誰かに自慢したいのだと思いました。

もとんの存在はたぶん、
わたしが持っているものの中で、
とても大事なものなのだと思います。

(匿名さん)

(つづきます)

2024-10-10-THU

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