元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。
石野奈央(いしの・なお)
1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on)
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on)
もういくつ寝ると、お年玉。
なにか歌詞が違う。
ゆく年くる年、暮れの情緒と新年の寿ぎ。
そんなもの息子たちには関係ない。
つかの間の冬休みと夏休みとの違いは、
理由もなくお金がもらえることだ。
歌詞、合っている。
私が幼い頃は日本はバブル期だった。
お年玉の額もそれなり、だった。
親が預かった「あの貯金」が
どこに行ったのかは誰にもわからないが。
長男が小学校に上がるまで、
祖父母や親戚からいただいたお年玉袋には、
コロンと500円玉が入っていた。
私は内心(紙のお金じゃないんだ‥‥)と思いながら、
ほらっありがとうございますでしょ、
と息子たちの背中を押す。
そんな思いをよそに、
息子たちは一番大きな硬貨を手に、
運動会のメダルのように眺めて喜んでいた。
お小遣いシステムではないわが家では、
欲しい物を手に入れることはあっても、
お金を手にする機会がすくなかった。
このままではいけない。
お金の価値と使い方を覚えさせなくては。
まずは「自分のお金」として管理してもらおう。
棚に飾っておいたポチ袋から500円玉を取り出し、
100円ショップで買った
小さながま口財布に入れて彼らに渡した。
長男は財布の口金を
何度もいじってあっという間に壊し、
次男は財布ごとなくした。
自己管理はまだ早かったようだ。
気を取り直し、ある日の公園遊びのあと、
駄菓子屋に寄って、彼らに直接お金を渡した。
「ここに500円があります。
値段をよく見て、
好きなお菓子を買ってみましょう」
壁にかかる「ゲイラカイト」へ、
まっしぐらに向かう次男。
男子心をくすぐるデザインの凧、ゲイラカイト。
いやしかし。違うよ、それじゃない。
ゲイラカイト、500円超えているし。
同じようなものは100円ショップにもあるし。
駄菓子屋のおばちゃんの
「親子連れならそこそこ買い物していくだろう」
という期待の眼差しを背後に感じつつ、
「食べ物を買おうね」とやや大きめな声で念を押す。
長男は宙を見てブツクサと計算しながら、
消費税込みで500円ピッタリの買い物をした。
最近の駄菓子は53円、82円とか端数ばかりなのに、
さすが数字に強い男である。
問題は中身だ。
彼は食べ物の好き嫌いが多く、
特に子供らしからず甘いものが苦手。
家に帰ってから買ったものを広げたら、
食べられるものがほとんどなかった。
数字のことしか頭になかったのだ。
長男はすこし考えたあと、
「ピタリ賞で300円ください」と私に言った。
ただでは転ばない男である。
結局、ほとんど弟に譲って、
ココアシガレットを「大人の味だね」と、
ちびちび舐めていた。
すこしずつ、お金の価値を理解する息子たち。
初詣ではまわりがお賽銭を投げるのを
横目で確認したあと、
「ここはいったん母さんが出しておいて」と、
ヒモ男のような催促をされた。
お金を投げることに価値がないと思ったのだろう。
罰当たりだが素直な見解だ。
次男がなくした財布は実家で見つかった。
祖母から「ちゃんと大事にしなさい」と渡されると、
次男は「もう盗らないでね」と記憶に残る迷言を吐いた。
価値がわかれば、落とした痛みもわかる。
最近は成長とともに、
お年玉袋にはいよいよ紙幣が納まるようになった。
500円玉から1000円札へ。
金額は2倍になったが喜びは半減したようだ。
なぜなのか。
硬貨のほうが重たくてカッコイイからだ。
さっそく適当なものを買ってお釣りをもらい、
ジャラジャラと財布がふくらんで
「大金持ちだ!」と喜んでいた。
お金の価値を知るのは、かくも難しい。
毎晩9時に寝るのがルールの息子たちにとって、
大晦日は一年に一度の夜ふかしができる日だ。
なにかがしたいというより、
ただ起きていたい一心で目をつっぱっている。
深夜0時が近づくと、眠いのを耐える苦行のようだ。
寝ればいいのに、と思いつつ、母としても
たまには「早く寝なさい」と目くじらを立てず、
自分も気ままにお酒を飲んだりしながら、
時間の流れに身をゆだね、
のんびり過ごすのは気分が良い。
日中、大掃除で片付けた部屋に
ベビースターが散らばっていても気にしない。
いっそ、見なかったことにする。
テレビを賑やかそうなチャンネルにして、
一緒にカウントダウンをして、
「明けましておめでとう!!」と叫んだら、
息子たちは倒れるように眠る。
寝ればいいのに。
そういう母もひとりになったらお酒を追加し、
ゲームをつけ、限界めいっぱいまで起きている。
やっていることは子供と変わらない。
そんな調子で、親子三人、
元旦の朝はぼんやりと頭が重い。
雑煮さえつくるのが面倒で、
実家からもらってきたおせちの残りを広げ、
栗きんとんを次男と奪い合う。
長男はロースハム専門だ。
食べ終わったらテレビをつけて、
一番モコモコの毛布に3人でくるまり、
「じいちゃんばあちゃんの家に挨拶に行かなきゃねぇ」
と話しながらも、なかなか気も足も向かない。
昼を過ぎると、
あまりの怠惰ぶりに罪悪感がわきはじめる。
一年の計は元旦にありというけれど、
元旦にすら計がない。
ぐうたらな親子三人はどうしようもない
お正月ばかりを過ごしてきた。
でも、どの新年も案外、悪くはなかった。
計画も学びもなくとも、そこには笑顔がある。
「笑う門には福来たる」のだ。
暗くなる前には、
曽祖父のお墓に手を合わせに行き、
実家に新年のあいさつへと向かう。
自転車にのった息子たちは声高らかに歌う。
早くこいこい、お年玉。
イラスト:まりげ
2022-12-27-TUE