元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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野球ボーイズの詩

ばっちこーい!

極寒の野球グラウンド。
ライトの長男とセンターの次男が大声をはりあげた。
「ばっち」も「こーい」も、まだ意味はわかっていない。
カン、と乾いた金属音とともに飛んできたボールを
「ばっちこーい!」と追いかけていく。

息子たちが地域の野球少年団に入団した。
昔から団地が建ち並ぶ住宅街、
野球やサッカーなどの少年スポーツリーグが盛んだ。
コロナ禍が明けると方々から
一斉にスカウトの声がかかった。
当の息子たちは、虫採りや電車を眺めることに夢中で、
最初は見向きもしなかった。

息子たちとはキャッチボールもしたことがない。
わたしは学生時代、陸上競技部員だった。
専門種目は、槍投げと砲丸投げ。
肩には自信があったが、ボールコントロールは悪く、
投球フォームのクセが強い。
そもそも、運動が苦手だった。
小学生の時、ソフトボールの授業で
一度だけピッチャーを任された。
制球がまったく定まらず、
チームメイトの冷たい視線の中、
フォアボールでランナーを押し出し続けた。
わたしのフォームを覚えたら、
息子たちがみんなにバカにされるかもしれない。
キャッチボールは絶対にしない、と心に決めていた。
結果、彼らはあまりスポーツに
興味をもたずに育っていた。

ところが先日、
長男が野球チームのチラシを握りしめて帰ってきた。
世間では連日、
大谷翔平選手のメジャー日本人初
ホームラン王獲得のニュースが報道され、
今後の動向が騒がれていた。
長男はグシャグシャのチラシをパッと広げて、
「ぼく、第二の大谷翔平と呼ばれたいんだ」と
言い放った。
唐突すぎる兄の宣言に
「ぼくも!」と弟が続いた。

野球のルールを知らないどころか、
ボールにもバットにも触れたことがない兄弟。
チラシに書かれた「初心者大歓迎」を信じて、
体験会に参加した。
集まった顔ぶれを見渡すと、
幼児向け野球教室に通っていた子や、
父親が元野球部の子が多く、
根っからの「初心者」は見当たらない。
その中で、ド素人を超えて原始人のような息子たち。
渡されたグローブを手にはめず、
しばらくただ眺めていた。

そんな彼らに
「ボールをにぎって、うしろから手をまわして
ビュンと投げるんだよ」と
優しく言葉を選んでくれるコーチ。
次男はむんずとボールをつかみ、
漫画のように腕を何度も回転させた。
投げたと思いきや、ボールは後ろにボテっと落ち、
本人はキョロキョロと探している。
「消える魔球」だ。
コーチたちのほほえみが
徐々に苦笑いになっていくのが
フェンス越しにも伝わってきた。

バッティング練習では、
ピッチャーに背を向けてバッターボックスに立つ
謎の行動に出た。
もしわたしが丹下段平なら、
もうタオルを投げていただろう。
しかし、さすが千軍万馬のコーチたち。
練習の最後には、
ボールを前に投げられるようになったし、
バットに数回ボールが当たるようにもなった。
野球アウストラロピテクスたちは、
たった数時間でホモサピエンスに進化を遂げた。
すっかり自信をつけた息子たちは、即入団を決意した。

準備のための臨時出費は想定の範囲を超えていた。
はじめてのユニフォームが届くと、
胸の高鳴りで懐の痛みはやわらいだ。
黒い長袖のアンダーウェアに、
ウインドブレーカーを着て、
真っ白いユニフォームズボンを履く。
裾を内側に二つ折り込んで
黒のハイソックスを長く見せるのがキマるらしい。
仕上げは革ベルト。
マイナスドライバーでバックルの金具をこじ開けて
ハサミで切って調整するのは緊張感があった。
すべてを身につけてグラウンドに立つ息子たちは、
もう一人前の選手に見えた。

兄弟は深く腰をおとしてゴロをキャッチする
地道な練習からスタートした。
せっせと練習する長男、
地面にいたアリが気になり追いかけていってしまう次男。
マイペースを崩さない次男だが、
声の大きさだけはチームイチだった。
「よおっしゃあす!」
他の子を真似て発する意味のわからない単語が、
グラウンドに響きわたる。
ベンチにひとりは欲しい人材だ。

活気ある練習が続いた。
いつの間にか、
おろしたての白いズボンが真っ黒に汚れていた。
今どき小学校ではあまり見かけない砂利のグラウンド。
時おり風で砂ぼこりが舞いあがり、
土のにおいがする。
正直なところ、
休日に朝から夕方まで練習につき添うのは億劫だった。
気づけば、いつまでも
グラウンドを眺めていたくなっていた。

みんなでブルーシートを広げて弁当を食べる昼休み。
グラウンドの隅で、
長男がひっそりと壁に向かって球を投げていた。
壁に届かずにぼてぼてと転がる球をみては
肩をおとし、拾いに走る。
長男の背中は、
ひとり居残って練習していた
不器用な学生時代のわたしと重なった。
たまらず声をかけようとすると、
ひと足早くコーチが声をかけた。

「片足をあげてごらん。
腕は漢字の大の字をつくる。
最後は足が前に出たってかまわないから、
うんと力をこめて投げてごらん」

長男は小さくうなずいた。
子どもの飲み込みは早い。
するどく手から飛び出したボールは、
はじめてボンッと壁に当たった。
長男は、すこし下をむいて
照れくさそうに喜びをかみしめた。

続けていけば、
いつか努力が報われない悔しさを
味わうこともあるだろう。
スポーツの残酷な一面を知っている。
楽しいことばかりじゃない。
それでも、何かに本気で向き合った経験は、
きっと人生の糧になる。

グラウンドでは他の選手たちの
キャッチボールが始まっていた。
白いボールが青空に高く美しく
弧を描いて飛び交っていた。

息子たちは借りたバットを
リュックにつっ込んで帰宅した。
そして毎晩、
近所の公園で素振りをしている。
わたしも一緒になって素振りをしている。
わたしの練習は間に合うだろうか。
君たちはいつまで、
母さんとキャッチボールをしてくれるだろうか。

いつか彼らが試合に出場する日。
それはきっと、最高のショータイム。

イラスト:まりげ

2023-12-26-TUE

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