
元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。
石野奈央(いしの・なお)
1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(8歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on)
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on)
ほんの少しの油断が、
年末年始の予定をすべて吹き飛ばした。
今年の冬休みは、
年明けすぐに控えた少年野球のトーナメント戦に向けて
練習漬けの日々を送るはずだった。
その合間に大掃除をしたり、
おせち料理の仕込みをしたり。
親戚の集まりを終えたら
友人宅でのパーティにも参加する予定で、
年始のスケジュールもぎっしり詰まっていた。
ところが、
インフルエンザウイルスがその計画を打ち砕いた。
ふだんは底なしの胃袋を持つ次男が
「お腹がすかない」と不穏なことを言い出したと思ったら、
あれよあれよという間に息子たちが高熱で倒れた。
静まり返った冬休み。
予定はすべてキャンセルされ、
想定以上に長く家で過ごすことになった。
いつもなら次々に事件を巻き起こす息子たちが、
ぐったりと寝込んでいる。
不幸中の幸いと言えるのは、
その静けさのおかげで大掃除が
かつてないほどはかどったことだ。
せっせと片づけていると、
ほこりをかぶった電車や文房具、
フィギュアなどが次々に出てきた。
息子たちがすぐに無くしては大騒ぎして
わたしが雷を落とした、いわくつきの品々だ。
今になってそれを眺めながら、
「こんな小さなことで、
どうしてあんなに怒ったんだっけ?」と、
ひとり反省した。
掃除がひと段落つくと、
おせち料理の準備に取りかかった。
これだけは毎年、他人に譲れない。
「料理好きだから」だけではない。
くつくつと煮える鍋の中で砂糖が出汁に溶け込み、
甘い香りが部屋中に広がる。
この香りこそが、
大好きだった祖母が台所に立つ背中を
鮮明に思い出させてくれる。
黙々と没頭できる包丁仕事も楽しい。
人参から切り出すねじり梅を作り終え、
ナマス用の大根と人参を千切りにして
保存瓶いっぱいに詰め終えた頃、ふと異変に気づいた。
体温計の数字は「40度」。
わたしにももれなく、ウイルスは襲いかかってきた。
結局、熱にうなされながら年明けを迎えた。
年の暮れ、野球チームの卒団式が終わり、
息子たちは「新6年生」「新3年生」と
呼ばれるようになった。
少し早い進級の響きで、誇らしげに背筋を伸ばし、
やる気にみなぎる兄弟。
一方、わたしは布団の中で背中を丸め、
高熱と格闘していた。
息子たちは先にインフルエンザから回復し、
やる気と体力を持てあましていた。
背後から「早く回復しろ」と言わんばかりの圧を感じる。
容赦ないプレッシャーに辟易しつつも、
年々落ちる自分の回復力にため息をついた。
家で過ごす時間の長さに、
息子たちはしぶしぶ宿題に着手した。
おかげで無事にほとんどの宿題を終わらせた兄弟だったが、
長男がある課題に頭を悩ませていた。
『2024年を振り返り、
あなたを漢字一文字で表現してください』
面白い課題ではあるものの、大人でも迷う内容だ。
「母さんはどんな漢字を選ぶ?」と聞かれ、
「清水寺の『今年の漢字』が『金』だったよ」と答えると、
彼はしばらく考え込んだ。
長男11歳、新6年生。小学校最後の1年が始まる。
最近は同級生たちと過ごす時間が増え、
わたしも仕事が忙しくなり、
家族で過ごす時間が減っている。
少ない時間をできるだけ笑顔で過ごしたいのに、
とくに長男とは、時間も心もすれ違うことが増えてきた。
キャッチボールをしてもどこか噛み合わず、
つい言い争いになる。
いわゆる「反抗期」なのだろう。
昨年を振り返ると、
わたしは長男のそばにほとんどいられなかった。
次男が心の不調で登校できない日が多く、
毎日学校と連絡を取り合いながら彼に寄り添う日々。
自然と、黙っていても優秀な長男を後回しにしてしまった。
野球の練習も、次男につきっきりで、
高学年になって別のグラウンドで
練習するようになった長男にはつき添えなかった。
それでも長男は、次男の面倒を見る姿を見せたり、
自分のペースで野球を頑張ったりと、
精一杯の努力をしていた。
そんな彼が初めて公式戦のスタメンに選ばれた日、
わたしはどうにか駆けつけた。
緊張の面持ちで、
地区で一番小さな5番バッターが打席に立った。
母の姿に気づいてさらに固くなり、フルカウントの末、
高めのスローボールに手を出し三振。
ベンチに戻ると、
息子はその小さな背中を丸めて泣いていた。
いつも勝ち負けにこだわらず笑顔を絶やさない長男の涙を
見たのは初めてだった。
その涙を見たとき、
何もしてやれなかった自分に胸が締めつけられた。
そして、彼がどれだけ努力してきたかを
改めて思い知らされた。
彼の成長はどんどん加速しているように感じる。
このまま心のすれ違いも加速していくのではないか、
母として焦りを覚えずにはいられなかった。
『2024年を振り返り、
あなたを漢字一文字で表現してください』
長男が選ぶ漢字は、成長の「成」だろうか、
野球の「球」だろうか。
数日後、彼が選んだのは、
「母」の一文字だった。
作文にはこう記されていた。
「この一年を振り返ると、
いつも母が隣にいてくれました。
僕が運動会で一位を取ったときも、
音楽会で緊張したときも、病気で苦しかったときも、
いつもそばで見守ってくれました。
母は野球をあまり知らなかったけど、
一生懸命調べてくれて、
僕とキャッチボールをしてくれました。
この一年間の、どんな場面を思い出しても
母の顔が浮かびます。
母にありがとうの気持ちを込めて、
2024年の僕の漢字は「母」です。」
読み終えた瞬間、胸がいっぱいになった。
「本当は一緒にいられないことも多かったよね。ごめんね」
と伝えると、長男は小さく首を振り、
「母さんがどこにいても、
僕はいつでも母さんの背中を追いかけてるから」と笑った。
その言葉にハッとした。
「もっとこうすべきだった」と、
自分を責める気持ちばかりが強く、
いつの間にか母としての在り方に迷いが生じていた。
これから、離れている時間が増えたり、
直接そばにいられなかったりしても、
わたしが見せる背中が
息子たちにとっての道しるべになっていく。
それに気づかせてくれたのは、長男のひと言だった。
身体もすっかり回復して野球練習に向かった日、
わたしは自分の昔のトレーニングウェアを引っぱり出した。
「背中を追いかけている」と言った長男のために、
そして自分自身のためにも。
彼らにもっと誇れる背中を見せたい。
どんなときも力強く走り続ける姿を見せたい。
成長し続ける息子たちと、
まだまだ一緒に前を向いて走り続けたい。
いや、母として誓おう。
いつまでも彼らの前を走り続けることを。
イラスト:まりげ
2025-01-27-MON