
ひとりの販売員として洋服を売ってきた
ライターの岩本ろみさんは、
「この人から買いたい。
ものを売る人がたくさんいるなか、
そう思わせてくれる人がいます」と言う。
短ければ、わずか数分。
ものを買う人の楽しみにそっと寄り添い、
気持ちよく導いてくれるその人は、
どういう道を歩み、何を経験して、
どんなことを知っているのだろう‥‥?
話に耳を傾け、学びたい。
ものを売る人として聞き、ライターとして書く。
岩本ろみさんの不定期連載です。
宮永有利子(みやなが・ゆりこ)
アニエスベー セールストレーニングリーダー
1999年にアニエスベーサンライズ
(現アニエスベージャパン)へ新卒入社。
立川ルミネ店ショップスタッフとしてキャリアをスタート。
その後、松屋銀座店、新宿伊勢丹店などで店長を歴任。
2019年より現職。全国約130店舗のアニエスベーの
ショップスタッフへのトレーニングを担当し
接客のレベルアップに尽力するほか、
自ら店頭にも立ち接客・販売を行う。
岩本ろみ(いわもと・ろみ)
ライター
著書に『しごととわたし』(梶山ひろみ名義、イースト・プレス、)。
2021年よりインタビューマガジン『very very slow magazine』を制作する。
URL https://veryveryslow.theshop.jp/
- 宮永
- お客様が今どんな気分で、
どういうお洋服を求めているのか。
そこに至るまでにはどんなきっかけがあったのか。
お話を伺うからこそ、できる提案があります。
話の流れで、毎週末、お子さんの
サッカーの応援に行っているとわかれば、
「これがあったらいいですよね」と自然と寄り添えます。
あれもこれもとお伝えしたいことが浮かんでも、
過剰になってしまわないように。
ちゃんと響く内容をセレクトして。
- たとえ、その日は購入につながらなかったとしても、
宮永さんは必ず商品の紹介をしてきた。
- 宮永
- ご紹介することをネガティブに捉えていたら
それはプロじゃないです。
お客様は、商品を見たくて、知りたくて、
お店にいらっしゃるわけじゃないですか。
お話は盛り上がっても、商品の話に移れないという
スタッフには、「なぜ、そこで躊躇する」と
私は常々思っていて。
それがどんなお話だったとしても、
「一緒に商品を見ましょう。
人生いろいろありますよね。気分を変えましょう」って、
お手伝いができるチャンスなのに。
プロフェッショナルだったら、
躊躇しないんですよ、ご紹介することを。
ご紹介は、私たちの仕事です。
- 2023年、研修でパリのアニエスベー本社を訪れた
宮永さんは、改めてブランドヒストリーを学ぶ機会を得た。
アニエスベーが1号店をオープンしたのは1976年。
そのわずか8年前の1968年には、
フランス五月革命が起こり、アニエスも参加していた。
その事実は以前から知っていたが、
この革命が人工妊娠中絶の合法化をはじめとする
女性解放運動の契機となったことなど、
当時の時代背景への理解が深まったことで、
アニエス、そしてアニエスベーへの想いが
さらに増したと話す。
- 宮永
- 女性が起業するということがきわめて稀だった時代に
ブランドを立ち上げ、ここまでの規模に
育ててきたんですよね。
そして、アニエスがすばらしいのは、
人生をかけて、洋服作りとそれ以外のことを
やってきているところです。
- アニエスベーがさまざまなかたちで
映画界に貢献してきたことには触れたが、
対象はそれだけにとどまらない。
たとえば、1984年には、パリのジュール通りに
「Galerie du jour (ギャラリー デュ ジュール)」を
オープンし、無名の若手アーティストと
その作品に光を当ててきた。2020年には、
パリ13区に文化複合施設「La Fab.(ラ ファブ)」を設立し、
ギャラリー デュ ジュールを同施設内に移転。
ここではアニエスの5000点にものぼる
個人コレクションを公開するなど、40年にわたり、
街とアートをつないできた立役者でもある。
提供写真:ギャラリーと書店を併設したラ ファブは1400平米の広さを誇る。建物の上階には、公営住宅が組み込まれている。
アニエスベー青山店地階にディスプレイされたTシャツ。「アーティストTシャツは、作品やアイディア、ジョークを表現する素晴らしい媒体であり、自分自身を確認するためのものでもあるのです」とアニエス。
- 宮永
- アニエスベーではアーティストの作品を
Tシャツにプリントしたシリーズを展開しています。
アーティストTシャツを着た人が街を歩くことによって、
多くの人がアートに触れることができるんです。
ギャラリーも運営しながら、
「アートって、美術館でお金を払って鑑賞したり、
高いお金を払わないと買えないものではないよね」というメッセージでもあります。
- ラ ファブは、アニエスベーが取り組む社会活動、
慈善活動の報告の場としても機能している。
チャリティ商品の売上を世界の紛争地帯、
HIV/エイズ感染と闘う団体に寄付してきたほか、
海を愛する気持ちから立ち上げたプロジェクトでは、
息子とスクーナー船を購入し、
世界の専門家とともに気候変動が
海洋にもたらす影響を研究する財団として活動している。
- 宮永
- 初めて彼女を見たときに、
小柄なのにすごく大きく感じられたのは、
そういった全てがつながっていたんだろうなって。
- 2024年は、私が初めてデヴィッド・リンチ作品を
鑑賞した年だった。
立て続けに作品を観ていた時期に、
映画館で『マルホランド・ドライブ』(2001)が
上映されることを知り、嬉々と出かけたところ、
エンドロールには「WARDROBE BY agnès b.」のクレジット。 - 作品に携わること、それは作者との連帯を示す。
鑑賞者によって、幾通りもの解釈をさせるこの作品が
世に出ることを、アニエスは衣装を通して
後押ししたのだと理解した。
提供写真:デヴィッド・リンチとアニエス
- 年が明けて、デヴィッド・リンチはこの世を去り、
アニエスベーのWebサイト上に公開された
追悼ページによると、
デヴィッド・リンチは、アニエスと出会った以来、
アニエスベーの白いシャツをスーツと合わせるのが
定番になっていたとある。
そんな背景を知ると、なおさら、
創作の一部をアニエスが担ったことは、
彼にとって大きなエールになったはずだと思えてならない。
その日、偶然にもアニエスベーのワークジャケットを
羽織っていた私は、この作品とすでに結ばれていたような、
誇らしい気持ちで映画館を後にした。 - アニエスベーはこうして、
アーティストや芸術を、苦しい環境で生きる人を、
自然を守ってきたのだと、ようやく理解できた。
宮永さんのいう「情報ではなく、実感」とは、
きっとこういうことを言うのだろう。 - 宮永さんが全国のスタッフとお客様に、
スピリットとクリエーションを全力でシェアする姿勢は、
常に分かち合うことを続けてきた
アニエス・トゥルブレとアニエスベーの
それに重なって見える。
- 宮永
- 接客やプロジェクトを通して、お客様やスタッフが
「元気をもらった」「笑顔をもらった」と
言ってくれます。
ついこの間も、九州のお店で接客したお客様に
「また来てくださいね」とお伝えしたら、
「来るわ、絶対。楽しいから」って言っていただいて。
もう、そういうことが、毎日、毎日、あるんですよ。
ときには「本当に辞めてやる!」って思ったことや、
「あぁ、もう続けられないかな」という、
人生の節目もありましたけど、
不思議とそれらの問題を
回避させるような何かが起こってきたんです。
そうやって、ここまで四半世紀。
誰にも見られていないところでは、
大変なことになっていますけどね、
仕事においては、常にポジティブな発信が
できる人であろうと思っています。
(おわります)
2025-03-28-FRI
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取材・文:岩本ろみ
イラスト:岡田喜之
編集:奥野武範(ほぼ日刊イトイ新聞)
デザイン:森志帆(ほぼ日刊イトイ新聞)