「建築めぐりを楽しめるようになりたい」
そう思ったことはありませんか?
実はそんなメンバーが多かったほぼ日、
ご縁あって「東京建築祭」のみなさんと
入門記事を作らせてもらえることになりました。
建築にわかのみんなで8つの建物を訪れ、
気になった部分をそれぞれ写真に撮る。
その写真を「東京建築祭」実行委員長であり
建築史家の倉方先生に解説いただく。
そんなことをやってみたら、これがもう、
すばらしくおもしろかったのです。
毎日がより楽しくなる建築めぐりの世界に、
あなたも足を踏み入れてみませんか?

【企画協力/登場順】
慶應義塾 三田演説館、三越劇場、
パレスサイド・ビルディング、
国際文化会館、東京大学 理学部2号館、
東京都美術館、カトリック築地教会、
明治生命館
(みなさま、本当にありがとうございました!)

>倉方俊輔先生プロフィール

倉方俊輔(くらかた・しゅんすけ)

1971年東京都生まれ。建築史家。
「東京建築祭」実行委員長。
大阪公立大学大学院工学研究科教授。
早稲田大学理工学部建築学科卒業、
同大学院博士課程修了。博士(工学)。

建築の価値を社会に広く伝える活動を展開。
2014年に開始された日本初の建築公開イベント
「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪
(イケフェス大阪)」、
「京都モダン建築祭」などの実行委員を務め、
全国的な建築公開イベントの牽引役として、
建築家のみならず、市民や行政を巻き込んだ
都市の魅力再発見に尽力している。
日本建築学会賞(業績)ほか、
建築文化の普及に対する受賞多数。

『東京レトロ建築さんぽ』
『京都 近現代建築ものがたり』
『悪のル・コルビュジエ』
『建築を旅する』など、多くの著書がある。

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(4) そういう時代。 [パレスサイド・ビルディング]

下尾
続きまして、「パレスサイド・ビルディング」。
パレスサイド・ビルディング(1966年竣工)

(こんな感じで行ってきました)
皇居そばの「パレスサイド・ビルディング」。ほぼ日の本社からも近くなのに、ちゃんと訪れるのははじめてです。2つの円柱が印象的な建物は、毎日新聞社の本社ビルでもあります。一歩踏み込むと、エレベーターホールや長い廊下の未来的なかっこよさに心が躍ります。軽く全体の説明を受けたあと、建築を見る定番コースを案内いただきました。エントランスの手すり、外の雨樋(あまどい)、大きな庇(ひさし)、警察官詰め所、地下の階段、アルミ製の鳩の像など、見どころがあちこちに。広い屋上にのぼり目の前が皇居の見事な景色を堪能したのち、ダンジョン感のある地下まで見せていただきました。あまりの情報量に、みんなでぼーっとしながら会社に帰りました。

下尾
まずこちら、私ですが、
建物の外にあったポリスボックスです。
「交番ってデザインできるんだ!」
と思いました。

田中
実は、特別好きだなと思ったのが、
ここは屋上だったんです(笑)。
なんだかドラマに出てきそうだなと。
広くて、気持ちよくて、撮影もしやすそうだし。
働いてるビルにこんな屋上があったら、
お昼休みに毎日来ちゃうなと思いました。

かっこよくおさまっていた
消火栓があったので、つい(笑)。
これぞ「見せる収納」みたいな。

赤間
地下のフロア表示が数字優位で
なんだかかわいいなと思って撮りました。

石井
これも地下で見た、手づくり感のある、
フォーク書体っぽい案内板です。
このビルは昔のタイポグラフィが
随所にあって、グッときました。

エレベーターホールが
すごくかっこよかったんですけど、
「△」「▽」ボタンのあるポールが、
押して何が起こるのかわからない怖さが
いいなと思って。

エントランスを入ってすぐの場所ですが、
手すりと手すりが交差してて、
異素材の組み合わせがなんだかいいなと。
しかも、上の鉄っぽい手すりの側面には
削ってるような仕上げがされてて、
すっごい大変だったんじゃないかなと、
苦労を思って撮りました。
あとこの建物は、いろんなところに
この豆の断面みたいな形があって、
それも気になりました。

松家
「この外装、雨樋いなんだ!」と
びっくりして撮りました。
たぶん私、解説いただかなかったら、
ずっとただのデザインだと思っていた気がします。

下尾
こちらは本日出席できなかった
メンバーが撮った西側入り口の写真ですが、
「傘なのに人を濡らしそうなシステム」(笑)
というコメントでした。

倉方
いやあ、すばらしいですね。
このパレスサイド・ビルって
1966年に作られた、
それこそ戦後の「モダニズム」の、
いわゆる「日本を代表する名建築」と
されているものなんです。
だけどみなさん、建築の解説の本とかでは
ほぼ載らないような写真ばかり撮られてて(笑)。
「パレスサイド・ビルに行って、これ?」
みたいな。すごいなと思いました。
全員
(笑)
倉方
普通は2つある白い構造(コア)の全体や、
真ん中の抜けてる廊下を
撮ったりすると思うんです。
普通の解説本に載ってそうなのって、
ルーバー(雨樋い)の写真ぐらいかな?
あとはことごとく、載らないと思います。
でも、それがいいんですよ。
つまり、これこそがパレスサイド・ビルの
すばらしさを表してると思うんです。
「モダニズム」で「機能的な構成」で、
「全体に直線的でかっこいい」みたいなところに
おさまらない部分まで含めて、
実はこの建物の魅力なんですね。
下尾
おおー。
倉方
たとえば交番。
これは見ての通り、おまわりさんの警帽が
形になっているものです。
ただ、このビルを設計したのは
日建設計の林昌二という人なんですが、
この部分についてはほとんど述べてないんです。
見るからに警帽に決まってるけど、
「モダニズム」って、
「おまわりさんの帽子みたいにしました」とか
絶対言っちゃいけないんです。
だから、明らかにそうですけど、言ってない。
で、林昌二って文章もすごくうまい人ですけど、
皮肉まじりだったり、ちょっと毒舌だったり、
そういうスタンスの人なんです。
だからこれたぶん、言わないこと自体が
彼なりのメッセージなんです。
さきほど「モダニズム」について
「実用以外のことをやっちゃいけない発想」、
表現は機能で決まるべきだという発想だと
言いましたけど、同時に
「実際には、絶対機能だけじゃ決まらないよね」
ということも言いましたよね。
そして高度成長期って、
基本的に「表裏がある」と言うと変だけど、
本音と建前があった「大人な時代」なんです。
その意味でこれは、
大人のウィットであるわけですね。

下尾
ああ。そういう時代の表現でもあるというか。
倉方
そうなんです。
あとは、屋上の写真もおもしろくて、
まずこの時代は「百尺制限」といって、
「31m以下にしなければならない」という
高さ制限があったわけですね。
そしてぼく、こういう公共にひらけた屋上って、
日本の文化だと思ってて、
海外だと、こんなふうに屋上を
開放してるところって意外とないんです。
日本はもともと木造建築が主だし、
当時はまだ鉄筋コンクリートの建物が多くないし、
屋上自体が貴重なんですよ。
だからこういう屋上があるのは、
「貴重さ」の表現なんですね。
日本が高層建築の後発国だから
「屋上へのあこがれ」みたいなのがあった。
昔、百貨店の屋上に遊園地があったり、
屋上をみんなのものとして
けっこう開放してましたけど、
たぶんそういう感覚と繋がっているわけです。
だからこれ、私企業のビルだけど、
「みんなの屋上」として開いていることに、
昭和のこの時代の空気を感じますよね。
こんな屋上、東京以外にはないし、
当時の人たちはこんな景色をはじめて見るし、
さらに前が皇居で、
天に昇るような気持ちで見たんじゃないかな。
ある種「ドラマのような感じ」を受けるのは、
そういう当時の気分ともつながってるのかなと。

田中
たしかにそういう昔の気分、感じます。
倉方
また「こんなにせり出す必要ないんじゃない?」
という(笑)西側入口の庇(ひさし)も含め、
あちこちをドーンと科学技術っぽくやってるのにも、
時代の空気を感じますよね。
また、庇は東側入り口にもあるのですが、
いまのは実は二代目で、最初のものは
上から見ると円形に赤く塗られてて、
林昌二は「日の丸だ」って言ってたんです。
後でちょっとやり替えたんですけど。
下尾
やっぱりそこにも思いがあるんですか。
倉方
はっきりあったと思いますね。
実はこのビルって、その前にあった、
「リーダーズダイジェスト 東京支社ビル」
という戦後の名作みたいな建物を、
つぶして建てたものなんです。
設計は、アントニン・レーモンド。
チェコ生まれのアメリカ人で、
日本でもすごく偉くて重要な人ですけど。
ただ彼は、戦前の日本で活躍したあと、
戦時中はアメリカで過ごして、
戦後にまた日本に戻ってきたんです。
それで戦後、この場所に
「リーダーズダイジェスト」という
アメリカの本を翻訳する会社のビルを作った。
これはGHQの支配下のときに建ててて、
ある種、超法規的(国家が法律に規定された
範囲を超えて行う特別な行為)なものですけど。

下尾
それを壊して、建てたビル。
倉方
はい。で、アントニン・レーモンドって、
ものすごく親日の人ですけど、
同時に戦時中、アメリカにいたときには
焼夷弾の開発にも手を貸しているんです。
要するに、アメリカは戦争のとき、
「ドイツに空襲したように爆弾を落とすのは
非効率的だから、とにかく燃やしちゃえばいい」
という発想で、日本向けの大量虐殺兵器として、
焼夷弾を開発するんです。
日本は町が、紙と木でできてるから。
そのときアントニン・レーモンドは、
日本の建築にも詳しいんで、町の模型を作って、
「どうやったら効率よく燃えるか」
という焼夷弾の実験に協力してるんです。
だから、アントニン・レーモンドって
日本では有名人だし、
ある面で恩人みたいな人でもあるけど、
そういうこともしてる。
林昌二はそうした事実を、戦後に何度も言うんです。
そこは確実に、ある種の思いがあって。
田中
ああ‥‥。
倉方
だから前のビルが
アントニン・レーモンドの名作だったことは、
もちろん林昌二も認めてるし、尊敬してるけど、
それを壊して建てたのが、これ。
だからきっと
「もっといいものを建てなきゃいけない」
とも思ったでしょうし。
「上から見ると日の丸に見える庇」は
半分冗談かもしれないし、ほんとか嘘か、
最終的にどういう思いかはわからないけど、
考えさせられますよね。
1928年生まれの林昌二は、終戦のとき17歳。
それまでみんなが
「アメリカなんて」とか言ってたのが、
敗戦で、手のひらを返したかのように
「民主主義だ」って言いはじめたときに
高校生だったわけです。
戦死した人もいっぱいいた戦争から、
まだ20年とか30年でこういうものを作るって、
もちろんアメリカの技術からも学んでるけど、
いろんな時代性があるわけですよね。

下尾
林昌二さん、この建物を作られたときに、
まだ30代の、設計会社の
一社員さんだったとお聞きして。
そういう若い人がこんな大きなビルを
任されて建てたということにも
びっくりしたんですけど。
倉方
そう、それが高度成長期という時代なんです。
そもそも戦争で多くの人が死んでしまったので、
人がいないんですね。
林昌二をはじめ、1928年生まれって、
戦後を代表する建築家がけっこう多いんですよ。
「ヒルサイドテラス」を作った
槇文彦(まきふみひこ)さんとか
菊竹清訓(きくたけきよのり)さんとか。
その人たちって、60年間トップを
走り続けるんですけど、
そんなことは後にも先にもないんです。
要するに、戦争って、
強制的に世代交代させるんです。
逆に平和が続く場合は、若い人は
頭角を現しづらい時代になっていく。
これはもう世の常で。
だから30代の一社員の林昌二が
「日本の復興を自分がやるんだ」
という気合を持って、
これだけ個性を出してやれていることが、
戦争からまだ20年しか経ってない
この時代の特徴なんですよね。
そして戦争がない限りは、
そんな状態にはならないので、
今の日本でこういうことは起こらないわけです。
もちろん、それがいい、悪いじゃなくて。
そういう時代の建物が残ってるから
この話もできるし、
「そういう時代だったんだな」と
わかるみたいなところがありますね。
下尾
背景を知ることで、建築の印象が変わりますね。
倉方
あと、このかわいらしいサイン、
「B4・B5」というのもいいですよね。
地下4階とか地下5階の表記なんて
普通ないから、これだけで
「パレスサイド・ビルだ!」とわかる。
ここは毎日新聞社の社屋ですけど、
昔はこのビルの地下3階4階5階に
輪転機(大型の印刷機)があって、
新聞を刷っていたんです。
だからあれだけ深く掘ったわけです。
高さ制限の話もありましたけど、
当時、上限はあっても、下は決められてないから、
なるべく容積を増やしたいときは
地下に掘ったんです。
いまだったら地下4階とか5階なんて、
やろうと思わないですよ。
現代の建物は、せいぜい地下2階まで。
だからやっぱりこれもまた、高度成長期の、
新聞社の社屋ならではのものですね。

(つづきます)

2026-05-12-TUE

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  • 「東京建築祭」のこと
    東京のまちに息づく建築を一斉に公開する、
    日本最大級の建築体験イベント。
    普段は非公開の歴史的建造物や、
    現代を象徴するオフィスビル、
    文化施設などの内部を特別に開放し、
    市民が直接その空間を体験する機会を創出している。
    ほぼ日の學校スタジオのある
    「神田ポートビル」も2025年に参加。
    2026年は5月16日~24日に開催。
    テーマは「建築から、ひとを感じる、まちを知る」。
    さまざまな建築を訪れることで
    つくるひと、使うひと、守り継ぐ人など、
    関わるさまざまなひとの思いに触れるとともに、
    まちの魅力を再発見してみてください。
    (ウェブサイトはこちら)