第3回 おまえはもう、来なくていい。

みうら
そんな「ガロ」の編集長だった渡辺和博さんから
ある日電話がかかってきて、
「ヤングマガジン」という、当時出たての漫画誌を
紹介してくださいました。
何度か持ちこんだ末、連載していいと言われたんです。
でも、条件があって、それは
「糸井さんと」ってことでした。
糸井
そうそう、原作を糸井がやれって
言われたんだよね。
みうら
「それ、ぼくが糸井さんに言うんですか?」
「みうらさんはほら、糸井事務所の人だから」
いやいや、ぼくは
糸井さんの事務所には入ってない。
入ってないけど‥‥って、
そのままその話を糸井さんに伝えたら
「うん、したくないな」
と、軽くおっしゃいました。
糸井
うん(笑)。
みうら
即答で、かなり軽~く、おっしゃった。
でも、たぶん糸井さんはぼくをかわいそうに
思ってくれたんですよね。

「じゃな、みうら、
 『相談』ってどうよ?
 『原作』ってあるけど、
 『相談』って仕事は、これまでないから。
 どう?」
って。
糸井
それは、ほんとうに
毎回の話をふたりで相談する、
というアイデアだったんです。
みうら
はい。ですからぼくは毎週、
次の号に描く漫画の相談をしに
糸井さんとこに通いました。
みうら
「相談・糸井重里」
この肩書がね、まったく当時「ない仕事」でしたね。
いまもないんでしょうか(笑)。
『「ない仕事」の作り方』は、すなわち
こういうことです。
ぼくのメジャーデビューはこれだったんです。
その漫画で、ぼくは
はじめてのギャラをもらいました。

▲『見ぐるしいほど愛されたい』1986年5月発売(講談社)
 現在は文藝春秋により電子書籍化

糸井
あのとき、いろんなネタを考えたなぁ。
「みんな何でも電気でやってるけど、
 かわりにガスじゃダメなのかなぁ」
なんて言って「ガスギター」というのを
漫画にしたこともあったね。
みうら
楽屋からガスのホースが
ステージのギターにつながってるんだけど、
楽屋で誰かがホースを踏んじゃうんですね。
すると音が出ない、ってだけの漫画だった。
糸井
いいなぁ。
それも30年前ぐらいになるよね。
みうら
そうですね、ちょうど30年前ですね。
そのあとで、一般誌も
いまで言うサブカルのような漫画を
載せようという
動きになっていきました。
ひさうちみちおさんや渡辺和博さんが
「ジャンプ」に描いたりする時代もありました。
ぼくはもともとイラスト漫画のような作風だったので、
だんだんと漫画より
文章を頼まれるようになっていって‥‥。
糸井
ああ、そうだったんだよね。
みうら
漫画を描かなくてすむから
文章はとても楽で、
当時のぼくはものすごく得意げだったんです。

ある日、糸井さんに新宿のサウナに
誘っていただいたとき、
いつものように騒いでたら、糸井さんがとつぜん真顔で
「みうら、いま、文章書いてるんだって?」
と声をかけてくださいました。
「あ、そうなんですよ。書いてるんです」
と応えたら、
「うん、おまえ、ダメになるな」
と。
糸井
そうだったね。
みうら
「ダメになるな~ダメになるな~
 ダメになるな~」
と、ぼくの頭に響き渡りました。
現場にいた人たちも凍りついてシーンとしました。
「そうなんですかね?!」と、
ぼくはいちおう陽気に振る舞ってみたんですけど、
帰り道、また、糸井さんの声で
「ダメになるな~ダメになるな~」
と響いていました。

なんでダメになるんだろう、ということすら
わかんなかった。
家に帰って、当時の嫁さんに
「今日、糸井さんに
 サウナに連れてってもらったんだけど、
 『おまえ、ダメになるな』って言われたんだ。
 どう思う?」
と訊いてみました。
「あ、糸井さんが言うんだったら、
 きっとダメになるね」
って(笑)。
糸井
(笑)
みうら
で、そのあとに、とうとう糸井さんから
「おまえはもう来なくていい」
と言われてしまったんです。
来なくていいっていうか、
呼ばれてもいないから、
しょうがないんですけど(笑)。
糸井
もともとね(笑)。
みうら
「来なくていいから、
 これからおまえは
 かまぼこ板に『みうらじゅん』って書いて
 商売しろ」
と言われました。

そう言われたら、当然、
かまぼこ板を探しますよね。
糸井
(笑)
みうら
糸井さんが言うかまぼこって
いったい何なんだろう?
また考えましたが、当時、
さっぱりわかりませんでした。

それから5~6年、
糸井さんにお会いしない日がつづきました。
でも、雑誌を見ると、
糸井さんが写ってらっしゃるわけですよ。
「もう来なくていい」と言われた人間としては
それがとても怖かった。
でも、糸井さんにいつも言われてた
「漫画をなめてはいけない、読者をなめてはいけない」
「おまえは絵が下手だから、たくさん描け」
ということは、頭に残ってたんです。
挿絵の仕事をもらったとき、
糸井さんはぼくに
「運動会の絵を描くんだ、おまえは」
と言ったもんです。
糸井
そうね。
あっちで玉ころがしやって、
こっちで徒競走とか、そういう絵。
運動会を描けばいっぱい人を描くから。
みうら
面倒くさいんですよね。
でも毎回、糸井さんに言われたとおり、
運動会の絵を描きました。
それも、まちがい探しみたいな企画で、です。
上と下に同じ絵を描いて、
3箇所ぐらい間違っているので探してね、
という、あれです。
昔はスキャンがないから、
上下2枚を似てるように手で描いたんだけど、
ぜんぜん違ってて、読者から
「全体が間違ってます」という意見が来ました(笑)。

そんなふうに、絵の画面を埋めないと
糸井さんに叱られるんじゃないかと思ってたんで、
とにかく絵が真っ黒に見えるように描いてました。
糸井さんに会えなくてもそうしてました。
思えば、それがいまの「ない仕事」に
なったんだと思います。

▲雑誌「宝島」、
 『カリフォルニアの青いバカ』(JICC出版局/河出書房新書より文庫化)より