- みうら
- そんな「ガロ」の編集長だった渡辺和博さんから
ある日電話がかかってきて、
「ヤングマガジン」という、当時出たての漫画誌を
紹介してくださいました。
何度か持ちこんだ末、連載していいと言われたんです。
でも、条件があって、それは
「糸井さんと」ってことでした。
- 糸井
- そうそう、原作を糸井がやれって
言われたんだよね。
- みうら
- 「それ、ぼくが糸井さんに言うんですか?」
「みうらさんはほら、糸井事務所の人だから」
いやいや、ぼくは
糸井さんの事務所には入ってない。
入ってないけど‥‥って、
そのままその話を糸井さんに伝えたら
「うん、したくないな」
と、軽くおっしゃいました。

- 糸井
- うん(笑)。
- みうら
- 即答で、かなり軽~く、おっしゃった。
でも、たぶん糸井さんはぼくをかわいそうに
思ってくれたんですよね。
「じゃな、みうら、
『相談』ってどうよ?
『原作』ってあるけど、
『相談』って仕事は、これまでないから。
どう?」
って。
- 糸井
- それは、ほんとうに
毎回の話をふたりで相談する、
というアイデアだったんです。
- みうら
- はい。ですからぼくは毎週、
次の号に描く漫画の相談をしに
糸井さんとこに通いました。
- みうら
- 「相談・糸井重里」
この肩書がね、まったく当時「ない仕事」でしたね。
いまもないんでしょうか(笑)。
『「ない仕事」の作り方』は、すなわち
こういうことです。
ぼくのメジャーデビューはこれだったんです。
その漫画で、ぼくは
はじめてのギャラをもらいました。

▲『見ぐるしいほど愛されたい』1986年5月発売(講談社)
現在は文藝春秋により電子書籍化
- 糸井
- あのとき、いろんなネタを考えたなぁ。
「みんな何でも電気でやってるけど、
かわりにガスじゃダメなのかなぁ」
なんて言って「ガスギター」というのを
漫画にしたこともあったね。
- みうら
- 楽屋からガスのホースが
ステージのギターにつながってるんだけど、
楽屋で誰かがホースを踏んじゃうんですね。
すると音が出ない、ってだけの漫画だった。
- 糸井
- いいなぁ。
それも30年前ぐらいになるよね。
- みうら
- そうですね、ちょうど30年前ですね。
そのあとで、一般誌も
いまで言うサブカルのような漫画を
載せようという
動きになっていきました。
ひさうちみちおさんや渡辺和博さんが
「ジャンプ」に描いたりする時代もありました。
ぼくはもともとイラスト漫画のような作風だったので、
だんだんと漫画より
文章を頼まれるようになっていって‥‥。
- 糸井
- ああ、そうだったんだよね。
- みうら
- 漫画を描かなくてすむから
文章はとても楽で、
当時のぼくはものすごく得意げだったんです。
ある日、糸井さんに新宿のサウナに
誘っていただいたとき、
いつものように騒いでたら、糸井さんがとつぜん真顔で
「みうら、いま、文章書いてるんだって?」
と声をかけてくださいました。
「あ、そうなんですよ。書いてるんです」
と応えたら、
「うん、おまえ、ダメになるな」
と。
- 糸井
- そうだったね。

- みうら
- 「ダメになるな~ダメになるな~
ダメになるな~」
と、ぼくの頭に響き渡りました。
現場にいた人たちも凍りついてシーンとしました。
「そうなんですかね?!」と、
ぼくはいちおう陽気に振る舞ってみたんですけど、
帰り道、また、糸井さんの声で
「ダメになるな~ダメになるな~」
と響いていました。
なんでダメになるんだろう、ということすら
わかんなかった。
家に帰って、当時の嫁さんに
「今日、糸井さんに
サウナに連れてってもらったんだけど、
『おまえ、ダメになるな』って言われたんだ。
どう思う?」
と訊いてみました。
「あ、糸井さんが言うんだったら、
きっとダメになるね」
って(笑)。
- 糸井
- (笑)
- みうら
- で、そのあとに、とうとう糸井さんから
「おまえはもう来なくていい」
と言われてしまったんです。
来なくていいっていうか、
呼ばれてもいないから、
しょうがないんですけど(笑)。
- 糸井
- もともとね(笑)。
- みうら
- 「来なくていいから、
これからおまえは
かまぼこ板に『みうらじゅん』って書いて
商売しろ」
と言われました。
そう言われたら、当然、
かまぼこ板を探しますよね。
- 糸井
- (笑)
- みうら
- 糸井さんが言うかまぼこって
いったい何なんだろう?
また考えましたが、当時、
さっぱりわかりませんでした。
それから5~6年、
糸井さんにお会いしない日がつづきました。
でも、雑誌を見ると、
糸井さんが写ってらっしゃるわけですよ。
「もう来なくていい」と言われた人間としては
それがとても怖かった。
でも、糸井さんにいつも言われてた
「漫画をなめてはいけない、読者をなめてはいけない」
「おまえは絵が下手だから、たくさん描け」
ということは、頭に残ってたんです。
挿絵の仕事をもらったとき、
糸井さんはぼくに
「運動会の絵を描くんだ、おまえは」
と言ったもんです。
- 糸井
- そうね。
あっちで玉ころがしやって、
こっちで徒競走とか、そういう絵。
運動会を描けばいっぱい人を描くから。
- みうら
- 面倒くさいんですよね。
でも毎回、糸井さんに言われたとおり、
運動会の絵を描きました。
それも、まちがい探しみたいな企画で、です。
上と下に同じ絵を描いて、
3箇所ぐらい間違っているので探してね、
という、あれです。
昔はスキャンがないから、
上下2枚を似てるように手で描いたんだけど、
ぜんぜん違ってて、読者から
「全体が間違ってます」という意見が来ました(笑)。
そんなふうに、絵の画面を埋めないと
糸井さんに叱られるんじゃないかと思ってたんで、
とにかく絵が真っ黒に見えるように描いてました。
糸井さんに会えなくてもそうしてました。
思えば、それがいまの「ない仕事」に
なったんだと思います。


▲雑誌「宝島」、
『カリフォルニアの青いバカ』(JICC出版局/河出書房新書より文庫化)より