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糸井 |
中沢くんが言うには、
仏教は宗教ではないんだよね?
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中沢 |
宗教のようで宗教ではない。
仏教って、
仏様ご本人が言ってるんだけど、
「自分の教えが最初ではない」
というものなんです。
七代前からあるもので、
一代がだいたい千年ぐらいだから、
五〜六〇〇〇年ぐらい前からあるという。
別に自分が
発見したものでも
発明したものでもなく、
最初からあるし、
昔の人は知っていた、
とご本人がいうというところは、
宗教ではありません。
おおきい哲学体系が
六つぐらいあったんですが、
仏様はぜんぶ勉強してるんですよね。
ヨガの行者にも
けっこういろんな人についてみて。
でも、どれもダメだったという……。
弟子も、他のところの学者が
ブッダのところにきてるんですよね。
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糸井 |
つまり、
釈迦という人の位置づけは、
ある時代の
加速器のようなものなの?
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中沢 |
アジア系の考えかたと、
インド系の考えかたのちがいが
やっぱりあると思うんです。
ブッダのご先祖さまはヒマラヤにいた。
ブッダだけが
ガンジス川をこえてインドにいく。
そこで、ああいうことが起きたんです。
いろんな哲学がぶつかって、
本来の思想の表現に辿りつくわけですよね。
ご先祖さまはインドにいかなかったから、
哲学と合わない民俗宗教のままだった……。
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糸井 |
こすりあわさなかったわけだ。
今も、宗教は
こすりあわせてはいけない時代に
入っちゃったよね?
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中沢 |
そこそこ。
それがいちばん
問題を作っちゃったんです。
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糸井 |
そうだよね。
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中沢 |
本来、宗教はぜんぶ
おたがいこすりあわせも可能だし、
翻訳もできなきゃいけないわけで。
イスラム教の考えかたも
即座に
キリスト教に翻訳できなければ
いけないはずなのに、
いま、その翻訳を
ぜんぶたちきっているわけです。
あれがいけないの。
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糸井 |
研究ってさ、
外国をあてにできなくなった時代が
どこかからきたから、
おもしろくなってきたよね。
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中沢 |
神話なんかたいへんですよ。
量が多いし。
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糸井 |
共有できる情報が増えたから、
それこそアイデアは重要になるし。
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中沢 |
今は、
アイデアだけですよね。
インターネットを見れば、
ふつうの情報は
出まわっているわけだし、
そんなものに頼るわけにはいかないのよ。
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糸井 |
学術論文もネットで読めるんでしょう?
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中沢 |
そうそう。
だから、
ぼくらの同年代は
だいたいダメだね。
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糸井 |
知の貿易商みたいな役目は終わったんだと。
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中沢 |
商売あがったりでしょう。
だから、
アイデアで勝負するしかない。
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糸井 |
これからの学者なら、
なんでもない人にも
ドーンとこさせるようなものを
書かないとね。
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中沢 |
昔は思想の雑誌も
インパクトがあったけど……。
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糸井 |
いま、
思想の雑誌って
グチみたいになってきたもんね。
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中沢 |
そう。みんなグチだね。
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糸井 |
なんで昔は
ああいうものがおもしろく見えたんだろう?
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中沢 |
おもしろく見えた時期は、
「ちょっとグチはやめようぜ」
というのがあったでしょ。
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糸井 |
それは、きっと、食えていたからですよ。
食えなくなると、俺のせいじゃないと思うから
グチになるんです。
だから、学者の利益率が落ちてるんだと思う。
その意味では、
学校でやっていることが本になって
しかもすごくおもしろかったという、
中沢くんのやりかたは、最高の形態ですよね。
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中沢 |
講義なんて、そうでもしないと、
時間のムダだもんね。
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糸井 |
「学生相手にはこんなもんでいい」
と思ってやってると
そこの時間がぜんぶムダになるもんなぁ。
中沢くんが
『カイエ・ソバージュ』
という大冒険に賭けて、
そうじゃないことをやっているのは
ショックだったなぁ。
学者にも道があった、と思ったから。
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中沢 |
うん。
この道を、
いまけっこうマネしてる人いるよね。
ただ、芸がない場合が多いけど。
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糸井 |
詩がない。
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中沢 |
そう。
のっぺりしたことを言っても、ダメなのよ。
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糸井 |
それではカタログだもん。
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中沢 |
やっぱり意外なことをやんないと。
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糸井 |
ねぇ!
そうだよなぁ、ほんとに。
(明日に、つづきます)
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