ルーヴルの思い出、紹介します。 ーその5ー
思い出の募集は昨日をもって、
終了させていただきました。
なんと、約300通のメールをいただきました。
それだけある、ルーヴルの思い出。
すべてをご紹介するのは難しいですが、
できるだけ、掲載していきたいと思います。
それでは、どうぞ。
思い出の募集は昨日をもって、
終了させていただきました。
なんと、約300通のメールをいただきました。
それだけある、ルーヴルの思い出。
すべてをご紹介するのは難しいですが、
できるだけ、掲載していきたいと思います。
それでは、どうぞ。
十数年前、大学の卒業旅行で訪れました。
大した知識はない身でも知っている展示品ばかりで、
日本と違って写真撮り放題だし、
友人たちと大興奮でした。
そんな私たちにニコニコと声をかけてくださった、
ルーヴルの案内スタッフ(?)のおじさま。
指さされたご自身の名札には、
ドラえもんのシールが貼ってありました。
フランス語は全く分からなかったけれど、
初めて訪れた異国の地で、異国の方から
親しみをこめて話しかけてもらえる体験は
ほんとうに嬉しいものでした。
ちなみに、記念に一緒に撮ってもらった写真を
帰国後に現像したところ‥‥。
おじさまの頭上には、はるか遠方に展示されている
「サモトラケのニケ」がちょうど写り込んでいまして、
「タケコプター!!!」と感動しました。
それから、当時の日本語の音声ガイド、使いました。
流暢な日本語が流れてきて快適でしたが、
ところどころ単語の読みがヘンテコでした。
(記憶が曖昧ですが、「音楽」を「おとらく」とか。)
それも楽しい思い出です。
(のり弁女)
生まれて初めてパリに行ったのは20歳のとき、
生まれて初めての海外旅行でもありました。
ルーヴル美術館にほど近いホテルに宿泊し、
初めて行ったルーヴル美術館で感じたのは、「絶望」。
大学では美術史を専攻していて、
行くことを熱望していたルーヴル、
スライドや画集で見たあの絵もこの彫刻もここにある。
だけど、いくらなんだって広すぎる!!!
それまで日本での展覧会に頻繁に足を運び、
飾られている作品を、「どの部屋のどの壁」にあったか、まで
記憶できることを誇らしく思っていた私ですが、
ここへきて脳内メモリーがパンクしました。
延々と続くロの字型の建物、こちらのルートを通ると、
反対側のルートは見られないし、
両方のルートを観て次に進もうとすると
ロの字を1周半歩かねばならないし。
全部見ていられない、見逃しちゃおうかと思いつつ、
ふと覗き込んだ脇の小部屋にも
大好きな画家の小品がキラッとしている。
「すべて見るには1週間かかる」
とは聞いていましたが、
こんなにクッタクタになるまで歩いても歩いても、
私は沢山の名作を見落としているのだという
敗北感のようなもの。
何日か通いましたが、
結局その思いをぬぐきれませんでした。
いやー。真面目だったなぁ。
大学を卒業し、美術史と関係ない仕事についてからも、
何度かパリに、そしてルーヴルに行きましたが、
いまは「お気に入りの作品に挨拶できればいいや」
くらいの気持ちで、気楽です。
詰め込んだ美術史のウンチクも、程よく抜け落ちて、
迷子になることを楽しみながら、うろうろできています。
そうそう、初めての海外旅行で、
まだ若くてよく考えたら日本でもひとりでは
ファストフードくらいにしか入ったことがなくって、
レストランはおろかカフェでも、
なにを注文したらいいかお手上げで、
石井好子さんのエッセイで読んだ
「オニオングラタンスープ」だけは頼めるんだけど‥‥
というような状態だった私にとって、
ルーヴルの地下のフードコートは重宝でした。
いろいろな国の料理があって、
あたたくて美味しいものが食べられて。
フランスのぐるぐる回る機械で焼いている鶏の丸焼きを、
初めて食べたのはルーヴルです。
‥‥などと書いていたら、
またルーヴルに行きたくなりました。
エジプト人の書記さんに会いたいです。
(tonami)
大学のとき、美術の先生が
「おみゃーら、ルーヴルには行ったか?」
と言ってました。
大学生でルーヴルに行ったことのある人は
ごくわずかだろうに、
あたりまえのように言うのがおもしろくて、
いまでもルーヴルと聞けば、妹と言い合ってます。
(妹もその先生の授業を受けてました)
明るくて親しみやすい先生で、いまでも大好きです。
わたしにとってルーヴルは、どんな名画より先生です。
(ゆき)
僕にとってのルーヴルの思い出は
「サモトラケのニケ」です。
1990年代の後半、
物理学専攻の博士課程(後期)の大学院生だった時、
参加していた国際共同実験の
コラボレーション・ミーティングが
フランスのナントで行われました。
(世界史では「ナントの勅令」で有名なナントです)
日本への帰路、
ナントからシャルル・ド・ゴール空港に行くまでの間に
時間があったので、
パリに着いたあとルーヴル美術館に行きました。
できた時は不評だと聞いていたガラスのピラミッドも、
意外といいんじゃないかと思いつつ、限られた時間の中、
全ての場所を見て回ったと記憶しています。
有名なものだけでなく、
いろいろな物を見ようと歩き回りました。
「モナ・リザ」の前は黒山の人だかりだったり、
イタリア絵画の部屋では壁一面の絵を見て、
ナポレオンはよくもこんなに略奪したなぁと思ったり、
という記憶はあります。
不思議なことに、見たはずのモナ・リザは
人が周りに多かった、という意外あまり記憶にありません。
いろいろ見て歩いていて、
ドゥノン翼の上の階から下の階へ
階段を下りていったときのこと。
ほとんど休まず、歩き続けていたせいか、
サモトラのニケには、最初気が付きませんでした。
気がついたのは、ドゥノン翼の階段を下りて振り返った時。
そのとき、階段の上の方に翼が見えたのです。
そしてその時、周りには誰もいませんでした。
広いルーヴルで、
自分だけがニケを見ていて、
自分だけがニケから見られている。
そんな不思議な感覚が、僕のルーヴルの思い出です。
(M.K)
はじめてルーヴルに行ったのは
ちょうどグランルーヴルに向けて大改修中の
1987年でした。
仕事で向こうにいた父に
夏休みいっぱい世話になるつもりで、
飛行機代だけはバイトで貯めて飛んだ
はじめての海外。
きらきらしたパリにうっとりキョロキョロの19歳。
ルーヴルはいわば世界の文明文化の集積するところ。
まずはびっくりしとけばいいよ、と言われ、
はじめてのルーヴルでは、
地下だったかにあった
古代文明のセクションに連れて行かれました。
薄暗くてだだっ広く、行けども行けども灰色の石に囲まれた
古代エジプトやギリシャ、オリエントのセクションでは、
何千年も前にそれらを作った文明の残像のようなものが
ホコリと一緒に漂っているのを感じ、
なぜルーヴルにこんなに集まっているのかと思うと、
それらを略奪しつづけてきたヨーロッパの歴史があり、
迫ってくる物の多さと重さに、
ふらふらになった覚えがあります。
別の日には、金ぴかの額縁に収まる神話や聖書の世界。
でっかい絵画に埋め尽くされた部屋、部屋、部屋。
一度に大量の刺激的な絵や彫刻を見て、
わたしの頭はとうに容量を超えていましたが、
きれいなものもおそろしいものも、
いろいろなものを大量に摂取したこの時が、
芸術といわれるものを観る、体験するための
基礎体力のようなものをつけてくれたような気がします。
父は夏のあいだ中、専属の通訳兼ガイドとして、
大きな美術館には4回、5回と、
小さな美術館にもあちこちと、
地方の美術館には小さな旅も兼ねて
連れて行ってくれました。
その時は、なんでかっこいい彼氏(希望)でなくて
父親と一緒なんだ、と残念に思っていましたが、
今思えば、得がたい、美しくゆたかな時間でした。
(きいろいさくらんぼ)
4年前、母を連れて訪れたパリ。
美術鑑賞が大好きな母娘、旅行の一番最初の予定は、
もちろんルーヴル美術館です。
パリに着いた翌日の朝、
早速、オペラ座付近のホテルを出て歩いて
ルーヴル美術館へ向かいました。
朝食は、おしゃれにカフェでクロワッサンとカフェオレ、
といきたいところですが、海外旅行に不慣れな母娘旅。
素敵なカフェを横目に見ながら、
なかなか店内に入ることができず‥‥。
ルーヴル美術館が見えてきたころ、
ようやく1軒のパン屋さんに入ることができました。
通勤途中のパリっこたちに混ざって、
なんとか買えたのはバゲットサンド2つとカフェオレ2つ。
本当は紅茶派の母ですが、
私がいろいろ注文することができなかったので、
「同じもの2つずつ」になっちゃいました。
目の前はぐる~~~~っとルーヴル美術館。
後ろにはカルーゼル凱旋門。
ベンチに座って、母と二人で食べたパリの最初の朝食。
バゲットサンドもちょと冷めちゃったカフェオレも、
美味しくて。
パリに来たぞ!
さぁ、これからこの中へ入るんだ、観るぞ~歩くぞ~という
気合と期待の混じったワクワクした気持ちを覚えています。
今年の夏、今度は妹を連れてパリを再訪します。
3年前より、いろいろ勉強もしましたし、度胸も付いたので、
4年前とは違ったパリを経験できるのではないかと思います。
(ナナ)
10年ちょっと前のことです。
当時勤めていた会社を辞めて、えいやっ!と1か月間、
ヨーロッパ放浪の女一人旅に出ました。
バックパックを背負っての貧乏旅行でした。
パリには旅の中盤、数日滞在したのですが、
運悪くルーヴル美術館のストがあったりして、
ようやく行くことができたのは滞在最終日でした。
しかし、うきうきと館内をまわりだしたものの、
ほどなくして、
どうもちょっと体調が悪くなってしまいました。
その日はちょうど、夜間開館している曜日でした。
そしてルーヴルはその日のうちに限り、一旦館外に出ても、
チケットを提示すると再入場できるようになっていました。
そこで、私は一度外へ出て、近くの公園のベンチで横になり、
体調の回復を待つことにしました。
(滞在最終日だったので、
ホテルはすでにチェックアウトしていたのです)
いくらか寝て元気が出てきたので、
さあ、いざルーヴルへ戻ろう!と、
起き上がってポケットを探りました。
しかしそこに入れたはずのチケットがありません。
身に着けている服、鞄、すべてのポケットを
ゴソゴソあさりましたが、どこにもありません。
あぁー、落としてしまったのか‥‥。
貧乏旅行の身には決して安くないチケット。
まだほんのちょっとしか見てまわっていないのに。
ショックでした。
でも諦めきれず、公園からルーヴルまで、
元来た道をゆっくりと、
地面を見回しながら歩いて戻りました。
そろそろルーヴルに着いてしまうというあたりで、
ふと、道に落ちていた四角い白い紙が目にとまりました。
拾い上げてみると、なんと、ルーヴルのチケットの半券!!!
日付は今日になっています。
時刻も私が入場したころの時間でした。
こんな、こんなことって!!
この街中で、一度落とした小さな紙切れが、
またこの手に戻るって!
実際、それが本当に私のものだったかどうか、
確たる証拠はないのですが、でもでもこれは多分、私のだ!!
どきどきどきどき‥‥
高鳴る胸を抑えつつ、ルーヴルの入り口へ。
チケットを見た係りの人は‥‥
なんなく通してくれました。
うおーーー!!! おっしゃーーーー!!!
歓喜の中、私は開館時間一杯、ルーヴルを満喫しました。
すっかり満ち足りて、次なる目的地、
スイス行きの夜行列車に乗るべく駅に向かいました。
そしてそこで、
国鉄がストで全線運休となっていることを知り、
駅で一夜を明かすことになったのでした‥‥。
悲喜こもごものパリの思い出です。
その時の半券は今も私のもとにあります。
(N.K)
2006年~2012年まで、パリに6年間住んでいました。
2008年に産まれた娘も一緒に家族で何度か見に行きました。
何度も見た名作もありますが、そのたびに感動がありました。
とはいえなかなか入場料もお高いので、
よく「通った」といえるのは美術館本体よりは、
ほぼ日武井さんも書かれている「Carrousel」。
(パリでもたいへん珍しく
日曜日に開いているのも高ポイントです)
日本でもメジャーな店も多いですが、
お勧めは楽しいグッズ満載の「Nature & Decouvertes」や
美術館のショップ‥‥の中でも、
子供向けグッズ専門の店。
見るだけで楽しいし、
読むのに苦にならないガイドブックも買えます。
(ぱりはなこ)
ルーヴル訪問歴は2回。
はじめは1988年の秋。
ワクワクして入館したんですが‥‥
あれだけ世界的に有名な作品群が
目白押しに展示されているのに、
なぜか作品の印象が薄いのは
いろんなメディアを通じて
既に何度も見た気になっていたからでしょうか。
本物を目前にして
感激、感動がなかった自分が少し残念でした。
何の予備知識もなく見たら
感じるものがあったかも知れません。
これでも一応、美術大学を出たのに‥‥。
ルーヴルを再び訪れたのは20年後の2008年の冬。
20年を経て変わったのはモナ・リザの防護設備が過剰になり、
マップや案内の言語も充実して、
アジア系の人がますます増えたこと。
名作の数々は名作のまま、モナ・リザはモナ・リザのまま、
訪れる人々に微笑み続けていました。
多くの人が群がる中、
やはりシックリこなくて足早に館内を移動しました。
思えば日本で美術館やギャラリーに行っても行動は同じでした。
何のことはない、ただのせっかちな人混み嫌い。
貴重な機会も台無しです。
これでも一応、美術大学を出たのに‥‥。
そんなジックリ鑑賞できない私にも
嫌な顔せず微笑んでくれる美術館。
やはりルーヴルはいいところです。
(マルコウ)
もう10年前になるなんて自分でもびっくりしますが、
当時ハワイの高校生だった私は
吹奏楽の演奏旅行でヨーロッパ7カ国めぐりの最中でした。
ハワイ中から高校生が150人くらい集まって、
初めての海外旅行の子がほとんど。
2カ国目の2日目に組まれていた
ルーヴル美術館での自由行動。
トロピカルな国から来てしまった私たちは
豪華絢爛な洋風の装飾にびびりまくり、
壁一面に飾られたドラマチックな作品を目にして
(ハワイの芸術品はだいたい陽気な作風なので)
何故かテンションがめちゃくちゃ上がってしまい
芸術的な絵画になりきろう!と
「悲劇」というテーマで廊下の一角を使って
嘆き悲しむ人、空を見上げる人、倒れこむ人‥‥などと、
おのおの考えたポーズで配置を取り写真を撮りました。
かれこれ10分くらい試行錯誤していたので
通りかかる世界中の人たちから注目を浴び、
中には勝手に写真を撮っていく人たちもいて、
ちょっとしたフラッシュモブ状態でした。
そんなことより
私は当時気になっていた彼の腕に倒れこんでいる人、
という役どころだったので、
その彼との距離の近さにドキドキしていて、
早く終わってほしいやら終わって欲しくないやらで
心中穏やかじゃなかったことを
今でもルーヴルをテレビなどで見かけるたびに思い出します。
その旅で仲良くなった子たちとは今でも親交があって、
今は世界中に散らばって色々な仕事をしているけれど、
旅行の話になると
真っ先に話題に上るのがこの絵画ごっこの話です。
結局気になっていた彼とはハワイに帰ってから
冬のダンスパーティーに行ったきり進展がなく、
彼との一番距離が近かったルーヴルは
甘酸っぱい青春の一ページです。
(ayu)
大学生の自分は、
特にヨーロッパや美術品に思い入れがあるわけでもないのに、
「ヨーロッパに行ってみたい」「美術館に行きたい」という
ややミーハーな願いだけは、持っていました。
実際にそれを叶えたのは、大学卒業前の春休みです。
マドリッド→バルセロナ→パリと行くことにしました。
この旅行では、さまざまな美術品に出会ったというだけでなく、
自分の過去に出会ったような気がします。
例えば「サモトラケのニケ」は、
中学の美術の先生が好きだったな、
授業1コマまるまる使って語っていたな、とか。
「ナポレオンの戴冠式」は世界史の資料集に出ていたな、
悪妻エピソードを教えてもらったな、とか。
「ハンムラビ法典」は教科書で知って、
なんか「ハンムラビ」って語呂が好きだったな、とか。
「モナ・リザ」は、児童向けの美術本に載っていたな、とか。
もちろん他の美術館でも
自分の過去を振り返ることになりましたが、
作品数が圧倒的に多いルーヴルでは、
思い出すことがとにかく多くて多くて。
高校生の自分、中学生の自分、小学生の自分、
はたまた幼稚園児の自分と一緒に、
ルーヴルを一日中歩き回りました。
もしまた何年かしてルーヴルに行くことがあったら、
大学卒業前の自分と歩き回ることが
できるんじゃないかと楽しみにしています。
(さとかず)
2011年の新婚旅行でフランスに行き、
ルーヴル美術館に足を運びました。
日本人の真摯なおじさまのガイドさんに連れられ、
説明を受けながら見ていました。
真摯なおじさまはそつなく説明をこなし、
「ほー」だの「へー」だの言いながら
テクテクとついていくとエジプトのコーナーに。
そこには大きなスフィンクスのような、
石の彫刻がありました。
「良く見てください、...鼻の頭。」
いたずらっぽく話す紳士につられて鼻の頭を見てみました。
そこであっけにとられる私たちふたり。
「そうなんです、ないんですよ」
おじさまの言葉通り、
スフィンクスの鼻の頭はかけていて、くぼんでいました。
「昔、フランスの兵士達が
あの鼻を的にして銃の腕を競い合っていたのです。
少しお行儀が悪い話ですけどね。
ですが、兵士がいるということは、
この作品のまわりには戦闘の歴史があるんですね。
そんなことも感じながら、見ていってください。」
「モナ・リザ」や「ニケ」も見ましたが、
この話が一番の思い出です。
(くろこ)
私のルーヴルの思い出は「ナポレオン広場」。
当時、日本とフランスで遠距離恋愛をしていた私は
パリで久しぶりのデートを楽しむことになっていて、
彼の案内で次々に王道の観光地をめぐり、
ルーヴル美術館も訪れました。
「ここがルーヴル」と言われて、
ナポレオン広場に立った時、
そのだだっ広さと周りを囲む荘厳で重厚な建物、
忽然と姿を表したかのようなガラスのピラミッドに、
まずは圧倒されて、
口が自然にわーの形に開いちゃったのを覚えています。
晴れ渡った青空の下、
冷たい空気の中でその場を動かずにいたら、
次に湧いてきたのは気持ちがいい場所だなあという感覚。
そしたら、彼が
「わし、この場所好きなんよ。
今日みたいに晴れた日にここに来て、
この場所にいると気持ちがいいんよ。
すげー好きな場所だったから、
大事な就職試験の前にここで一人でプレゼンの練習やったんよ」
とにこにこしながら話してくれました。
え?こんな大勢の人の前で化学のプレゼン???と
思わず笑ってしまったけれども、ルーヴルに入ろうと
わくわくした気持ちで並んでいる大勢の観光客や
少しでも高くお土産物を
売りつけようとしてしている現地の人たちだとか、
大道芸人やひたすらデッサンし続ける学生さんだとかに
きっとまぎれて、今みたいに
ルーヴルをにぎやかにしている一部だったんだろうなあと
愉快な気持ちで想像しました。
ルーヴルのご利益なのか、
彼は就職試験に合格しフランスで化学者の職を得て、
後に妻となった私といっしょにフランスで暮らしていますが、
ナポレオン広場を通るたびに、
希望と不安を胸に抱えて一生懸命拙いフランス語で
プレゼンの練習をする若かりし頃の
夫の姿が見える気がして
いつでもあたたかい気持ちになるのでした。
(M.K)
「おみゃーら、ルーヴルには行ったか?」
このコンテンツに、
なんてピッタリな言葉なのでしょうか。
みなさん、はい、いっせーので、でいってみましょう。
いっせーので!
「おみゃーら、ルーヴルには行ったか?」
わははははは。
ルーヴルって、たのしいなぁ。
クスッとおかしかったり、
味わい深かかったり、じーんとしたり。
そんなみなさんのルーヴルの思い出は、
9日(日)までご紹介していきます。
また明日も、どうぞおたのしみに。
※思い出の募集は終了しました。
たくさんのご投稿、ありがとうございました。
本文にあなたのルーヴルの思い出をつづってください。
掲載されたときのためのハンドルネームもお忘れなく。
件名を「ルーヴルの思い出」にして、
postman@1101.com 宛に送ってください。
(下記の「投稿する」ボタンを押すと、
宛先と件名が入った新規画面がたちあがります)
締切は3月6日(木)午前11時までです。
1行だけの短い内容や長文におよぶ内容も、
どちらも大切な思い出です。
ですから、書いていただく思い出に
字数制限は特にありません。
けれど、あまりにも長文になると
読むだけでたいへんになってしまいますので、
「常識の範囲内」ということで
ひとつ、よろしくお願いいたします。
また、掲載するときに、
少し編集させていただくことがありますので、
あらかじめご了承ください。
できるだけ多くの思い出を
掲載していきたいと考えています。
ただ、メールの数によっては
すべてを掲載することは難しいので、
「載ったらいいなぁ」くらいの気持ちで
更新をたのしみにしてくださいね。
ご投稿いただいた思い出は、ほぼ日乗組員と
「ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館」の
開発者のみなさんで話し合い、
印象深い投稿、心に残る投稿、ユニークな思い出には、
ニンテンドー3DSLLや
「ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館」の
パッケージ版ソフトなどをプレゼントします!
パッケージ版ソフトはダウンロード版ソフトと
内容は同じなのですが、
ルーヴル美術館のみでしか販売していないので、
なかなか手に入れることができない
とくべつなソフトなんですよ。