本木 このあいだ、先生の『ミクロコスモス』
読んでいたら‥‥。
中沢 ああ、ありがとうございます。
本木 ぼくがインドへ旅したときに感じたことが、
そのまま、書いてありました。
中沢 んー、なんだろう?
本木 岡本太郎の『明日の神話』について書かれた
文章のなかで、
現代では、「死の要素」を、できるだけ
日常生活から切り離しておこうとするけれど‥‥。
中沢 はい、はい。
本木 神話の思考方法では、
生と死は分離できないと考えてる、と。
中沢 ええ。
本木 つまり、生と死は一体であって‥‥。
中沢 そうですね。
本木 この世界の、もっとも奥ふかいところには、
生でもなければ死でもなく、
あるいは、生でありまた死でもあるような、
そんな、名付けようもない何かが
うずまくように、存在しているんだ‥‥と。
中沢 そうです。
本木 そして人間は、そういう領域に触れようとして
さまざまな冒険をしてきた‥‥んですよね?
中沢 そのとおりです。
本木 あのインドへの旅を振り返ってみると、
まさに、そういう旅だったんですよ。

なんか曼荼羅絵図のうえを
歩き回っているような‥‥。
糸井 死の領域に触れようとした旅?
本木 そのときは、まだ若かったですし、
感覚的なとらえかたばかりだったけど、
あれはきっと‥‥話長いですね、僕?(笑)
糸井 いやいや(笑)。
中沢 どうぞ、どうぞ(笑)。
本木 ある街から別の街まで、
ただひたすらに荒涼とした道路を
埃を巻き上げながら
車を走らせていたときに、
とつぜんタイヤが外れて、停車。

埃が晴れた道ばたに、自分が突っ立っている。

そのかたわらには、痩せた並木が続いている。

そこへとつぜん、きれいな衣装を身につけた
女の人が歩いてくる‥‥。
中沢 うん、うん。
本木 本木雅弘・27歳、
自分はいま、このおっきな地球のかたすみに
こうして立って生きてる‥‥みたいな(笑)。
糸井 ああ、マセた青年‥‥だったわけだ(笑)。
中沢 若者らしいともいえますね。
本木 あれはたぶん、インドで死を意識したぶん、
浮上した「生」の実感。

そんなことを、20代のときに
経験していたおかげで、
ある本と出会うことになったんです。
糸井 ほう。
本木 それが『納棺夫日記』という本。

当時、地方の出版社から出ていた本です。
中沢 青木新門さんという人のね。
糸井 それってつまり‥‥「おくりびと」の日記?
本木 ええ、そうなんです。

インドで「死を想う」ような経験をした直後、
日本で「納棺の世界」を知ることになったんです。
糸井 へぇ‥‥そんな背景が。
本木 でも、その後、
『おくりびと』という映画につながるまでには、
流れ流れて、紆余曲折ありまして‥‥。
糸井 インドからは10年以上? もっと‥‥か。
本木 15年です。
糸井 はぁー‥‥。
本木 今回、きっかけの『納棺夫日記』からは離れて、
小山薫堂さんに脚本を書いていただき、
オリジナルの物語として
ようやく、船出をしたといういきさつなんです。
糸井 でも、もともとの種火、消えない火として
本木さんのこころのなかにあったのは‥‥。
本木 インド体験と『納棺夫日記』に感じた「光」でした。
糸井 ‥‥いま、おいくつ?
本木 12月で、43になります。
糸井 じゃ、20代の後半から43歳になるまで、
そーんな長い旅のはてに、たどりついたんだ。
本木 ええ。
糸井 この『おくりびと』に。
本木 たぶん。
糸井 はぁー‥‥。
こりゃ、すごいことになるわけだ。
中沢 本木さんが『納棺夫日記』をきっかけに
映画の企画を立てたって聞いたとき、
インドに行かれたこととか、
ご自分の写真集に
ぼくの本からの引用をされたことなんかが
ひとつに結びあって、
「あ、これはたぶん、
 重要なことを表現しようとしてるんだな」って
直感的に思ったんです。

そこで、さっそく糸井さんに
本木さんと座談会したいんだけどさぁって
話を持ちかけて、
それで、ま、今日この場所にいたる、と。
糸井 なんか、急に言い出したもんね(笑)。
中沢 あはははは。ごめん(笑)。
本木 でも、ありがたいことに
映画がヒットしてくれたおかげで、
糸井さんと中沢先生という
めずらしいおふたりと
お話させていただけて‥‥。
糸井 めずらしいふたりです(笑)。
本木 でも、それもこれも「インド」がなければ‥‥。
中沢 会わなかったかもしれない?
糸井 「インドの縁」が、めぐりめぐって。
中沢 でも、これまで、いろんな仕事を
やってこられたんでしょうけど、
この『おくりびと』で、
なにか、一気にふきだしましたよね。

モックンのなかの「インド」が。
糸井 うん(笑)。
中沢 それと、もうひとつ。
糸井 うん?
中沢 日本人にとっての「お葬式」というものが
この20年くらいで
大きく変わってきているということ。

それが、この『おくりびと』という
傑作が生まれた
もうひとつの条件じゃないかと思います。

<つづきます>


2008-11-26-WED

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN