第3回 お葬式
中沢 だいたい、日本のお葬式というのは
20年くらい前から、変わりはじめたんですよ。
糸井 その話、おもしろそう。
中沢 まずはね、葬儀屋さん業界がみずから、
ドラスティックな変革をはじめたんです。
本木 ドラスティックって‥‥なんですか?
中沢 今までと同じように葬儀屋をやってたんじゃ、
だめだろうってことですかね。
本木 ああ、なるほど。
中沢 たとえば、そうですね‥‥。

これからは「お寺」を乗り越えていくくらいの
独自産業としてやっていけなければ‥‥という動きが
関西の葬儀屋さんから出てきたんです。
糸井 お仏壇のはせがわ‥‥みたいな?
中沢 うん、とにかく葬儀屋さんが
そういう変革の意識をつよく持ち始めたのが、
だいたい、20数年前くらいで。
糸井 へぇー‥‥。
中沢 他方で、日本の葬儀屋さんというのは、
長い歴史のなかで
差別的な扱いを、受けてきたんですよ。
本木 ああ、映画のなかにも出てきますけど‥‥、
「けがれ」という言葉のもとに。
中沢 そう、その「けがれ」という概念が
「死」の問題を考えるときには、とても大きい。

というのも、日本人は長いあいだ、
人の死にまつわる「けがれ」というものを
お坊さんに任せっきりにしてきた。

お坊さんに「丸投げ」にして、
思考停止しちゃってたんです。
糸井 死にまつわる、いろんなことを。
中沢 そう、だからこそ、むかしのお坊さんは、
自分たちが「おくりびと」であるという意識を
つよく持っていたんですよね。

その「けがれ」を引き受けるという役目を
しっかりつとめてきたんですけど、
時代がくだるにつれて、
それも、じょじょに風化してきてしまった。
本木 ああ‥‥。
中沢 だから、だんだん、「お葬式」っていうと
ただ遺族が興奮してるだけの
何だか妙な集会になってきちゃったんです。
糸井 ふーん。
中沢 で、そういう時代のうつり変わりのなかで、
葬儀屋さんが
日本人の「ゆらぎ」みたいなものを
敏感に、感じ取ったんだと思うんですよね。
本木 つまり、たんなる「お葬式」では
その「ゆらぎ」を受け止められない‥‥と?
中沢 そう、ひとつのセレモニーとして
「儀式化」していかなければ、と。
本木 ははぁ‥‥。
中沢 当時、ぼくは大学の宗教学科にいましたけど、
「死の儀式」についての講義を
葬儀屋さんが、受けに来てたりしたんですよ。
本木 へぇー‥‥。
中沢 そのときに、日本の「お葬式」が
大きく変わろうとしてるんだなってことを
なんとなく、感じてたんです。
糸井 それは、日本人の「死の意識」までふくめて?
中沢 そう、たとえば、田舎なんかではまだ、
お葬式をご自宅でやったり、
お寺でやったりしてるとは思うんですけど、
まず、そのこと自体、
だんだん大変になってきてるでしょう?
本木 核家族化ということもありますしね。
中沢 そこで、街ごとに「セレモニーホール」ができる。
糸井 で、お葬式の一切合切のとりまとめ役を
葬儀屋さんが担うようになってきたわけだ。
中沢 そう、それはつまり「お坊さん」じゃなくて、
「わたしたちの側」で、
「死の問題」を、引き受けるということ。
本木 いまでは、そっちの「お葬式」が主流ですものね。
すくなくとも、都会では。
中沢 それまで、お葬式にまつわる一切合切は、
お坊さんに投げちゃえばよかった。

‥‥気持ちの整理も、遺体の処理も。
本木 つまり、精神的にも、物理的にも。
中沢 ところが、それができなくなってしまった。
糸井 お坊さん不在。
中沢 つまり、「死」という問題を
自分たち自身で考えなきゃならなくなったのが
現代という時代なんです。
糸井 ああ‥‥なるほどね。
中沢 「千の風になって」なんて歌が流行るのも、
われわれの「死」に対する意識の
変化のあらわれなのかもしれないですよね。
本木 うーん、なるほど。
中沢 で、死の領域というのはね、
その場にいる人間を、興奮させちゃうんです。

さっきの『納棺夫日記』
青木新門さんなんかも書いてるけど‥‥。
本木 ええ。
中沢 とにかく、みんな興奮しちゃって困ると。
本木 納棺も、むかしは家族だけじゃなく
近所の青年団の男衆がよってたかって‥‥という
感じだったみたいですね。
中沢 それはね‥‥死というものが
生きてる人間にとって
まったく「わけがわからない」からなんです。
糸井 それで興奮するんだ。
本木 つまり「けがれ」が、人を興奮させる?
中沢 そう、でも、ほんとうは
ぜったい興奮しちゃいけないっていうのが、
お葬式の鉄則なんですね。

ぼくは、インドやチベットとか、
いろんなところのお葬式を見てますけれど、
だいたい、そう。
本木 どうしてですか?
中沢 たぶん、いま、生きている世界から、
別の世界へ旅立つという、
重要な「移行の儀式」とされてるからだろうと
ぼくは考えてます。
糸井 死‥‥が。
中沢 そう。ところが、日本人の「死」の認識では
ぜんぶお坊さんに任せっきりだったもんだから、
「儀式の意味するもの」が忘れ去られて、
「けがれ」の側面ばかりが
肥大化してきてしまったんだと思うんですよ。
本木 なるほど‥‥忘れ去られたのは、つまり
「旅立ち」という側面ですか。
中沢 まぁ、そんないきさつがあって、
産業化した「お葬式」が主流となってきたいま、
「死」というものに対する
あたらしくて、でもふるい意識が
われわれ日本人のなかで、芽生えはじめてる。
糸井 死の問題を、考え直そうとしてる?
中沢 でしょうね。
本木 そのあらわれのひとつが「納棺師」だと。
中沢 納棺師という職業が生まれたのって‥‥。
本木 札幌に「納棺協会」が設立された
1969年頃のことだと言われています。
中沢 ‥‥「葬儀屋の企業化」と、軌を一にしてる。

<つづきます>


2008-11-27-THU

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN