中沢 |
だいたい、日本のお葬式というのは
20年くらい前から、変わりはじめたんですよ。 |
糸井 |
その話、おもしろそう。 |
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中沢 |
まずはね、葬儀屋さん業界がみずから、
ドラスティックな変革をはじめたんです。 |
本木 |
ドラスティックって‥‥なんですか? |
中沢 |
今までと同じように葬儀屋をやってたんじゃ、
だめだろうってことですかね。 |
本木 |
ああ、なるほど。 |
中沢 |
たとえば、そうですね‥‥。
これからは「お寺」を乗り越えていくくらいの
独自産業としてやっていけなければ‥‥という動きが
関西の葬儀屋さんから出てきたんです。 |
糸井 |
お仏壇のはせがわ‥‥みたいな? |
中沢 |
うん、とにかく葬儀屋さんが
そういう変革の意識をつよく持ち始めたのが、
だいたい、20数年前くらいで。 |
糸井 |
へぇー‥‥。 |
中沢 |
他方で、日本の葬儀屋さんというのは、
長い歴史のなかで
差別的な扱いを、受けてきたんですよ。 |
本木 |
ああ、映画のなかにも出てきますけど‥‥、
「けがれ」という言葉のもとに。 |
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中沢 |
そう、その「けがれ」という概念が
「死」の問題を考えるときには、とても大きい。
というのも、日本人は長いあいだ、
人の死にまつわる「けがれ」というものを
お坊さんに任せっきりにしてきた。
お坊さんに「丸投げ」にして、
思考停止しちゃってたんです。 |
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糸井 |
死にまつわる、いろんなことを。 |
中沢 |
そう、だからこそ、むかしのお坊さんは、
自分たちが「おくりびと」であるという意識を
つよく持っていたんですよね。
その「けがれ」を引き受けるという役目を
しっかりつとめてきたんですけど、
時代がくだるにつれて、
それも、じょじょに風化してきてしまった。 |
本木 |
ああ‥‥。 |
中沢 |
だから、だんだん、「お葬式」っていうと
ただ遺族が興奮してるだけの
何だか妙な集会になってきちゃったんです。 |
糸井 |
ふーん。 |
中沢 |
で、そういう時代のうつり変わりのなかで、
葬儀屋さんが
日本人の「ゆらぎ」みたいなものを
敏感に、感じ取ったんだと思うんですよね。 |
本木 |
つまり、たんなる「お葬式」では
その「ゆらぎ」を受け止められない‥‥と? |
中沢 |
そう、ひとつのセレモニーとして
「儀式化」していかなければ、と。 |
本木 |
ははぁ‥‥。 |
中沢 |
当時、ぼくは大学の宗教学科にいましたけど、
「死の儀式」についての講義を
葬儀屋さんが、受けに来てたりしたんですよ。 |
本木 |
へぇー‥‥。 |
中沢 |
そのときに、日本の「お葬式」が
大きく変わろうとしてるんだなってことを
なんとなく、感じてたんです。 |
糸井 |
それは、日本人の「死の意識」までふくめて? |
中沢 |
そう、たとえば、田舎なんかではまだ、
お葬式をご自宅でやったり、
お寺でやったりしてるとは思うんですけど、
まず、そのこと自体、
だんだん大変になってきてるでしょう? |
本木 |
核家族化ということもありますしね。 |
中沢 |
そこで、街ごとに「セレモニーホール」ができる。 |
糸井 |
で、お葬式の一切合切のとりまとめ役を
葬儀屋さんが担うようになってきたわけだ。 |
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中沢 |
そう、それはつまり「お坊さん」じゃなくて、
「わたしたちの側」で、
「死の問題」を、引き受けるということ。 |
本木 |
いまでは、そっちの「お葬式」が主流ですものね。
すくなくとも、都会では。 |
中沢 |
それまで、お葬式にまつわる一切合切は、
お坊さんに投げちゃえばよかった。
‥‥気持ちの整理も、遺体の処理も。 |
本木 |
つまり、精神的にも、物理的にも。 |
中沢 |
ところが、それができなくなってしまった。 |
糸井 |
お坊さん不在。 |
中沢 |
つまり、「死」という問題を
自分たち自身で考えなきゃならなくなったのが
現代という時代なんです。 |
糸井 |
ああ‥‥なるほどね。 |
中沢 |
「千の風になって」なんて歌が流行るのも、
われわれの「死」に対する意識の
変化のあらわれなのかもしれないですよね。 |
本木 |
うーん、なるほど。 |
中沢 |
で、死の領域というのはね、
その場にいる人間を、興奮させちゃうんです。
さっきの『納棺夫日記』の
青木新門さんなんかも書いてるけど‥‥。 |
本木 |
ええ。 |
中沢 |
とにかく、みんな興奮しちゃって困ると。 |
本木 |
納棺も、むかしは家族だけじゃなく
近所の青年団の男衆がよってたかって‥‥という
感じだったみたいですね。 |
中沢 |
それはね‥‥死というものが
生きてる人間にとって
まったく「わけがわからない」からなんです。 |
糸井 |
それで興奮するんだ。 |
本木 |
つまり「けがれ」が、人を興奮させる? |
中沢 |
そう、でも、ほんとうは
ぜったい興奮しちゃいけないっていうのが、
お葬式の鉄則なんですね。
ぼくは、インドやチベットとか、
いろんなところのお葬式を見てますけれど、
だいたい、そう。 |
本木 |
どうしてですか? |
中沢 |
たぶん、いま、生きている世界から、
別の世界へ旅立つという、
重要な「移行の儀式」とされてるからだろうと
ぼくは考えてます。 |
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糸井 |
死‥‥が。 |
中沢 |
そう。ところが、日本人の「死」の認識では
ぜんぶお坊さんに任せっきりだったもんだから、
「儀式の意味するもの」が忘れ去られて、
「けがれ」の側面ばかりが
肥大化してきてしまったんだと思うんですよ。 |
本木 |
なるほど‥‥忘れ去られたのは、つまり
「旅立ち」という側面ですか。 |
中沢 |
まぁ、そんないきさつがあって、
産業化した「お葬式」が主流となってきたいま、
「死」というものに対する
あたらしくて、でもふるい意識が
われわれ日本人のなかで、芽生えはじめてる。 |
糸井 |
死の問題を、考え直そうとしてる? |
中沢 |
でしょうね。 |
本木 |
そのあらわれのひとつが「納棺師」だと。 |
中沢 |
納棺師という職業が生まれたのって‥‥。 |
本木 |
札幌に「納棺協会」が設立された
1969年頃のことだと言われています。 |
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中沢 |
‥‥「葬儀屋の企業化」と、軌を一にしてる。
<つづきます>
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