本木 |
納棺師という職業が生まれたのは
札幌に「納棺協会」が設立された1969年頃のこと。
1954年の洞爺丸などの沈没事故が
きっかけのひとつだったと言われています。 |
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糸井 |
そんなに最近のことなんだ? |
本木 |
その事故で、たくさんのかたが
亡くなってしまったらしいんですね。
多くのご遺体を棺に納めるさいに、
地元の人が
ご遺族への引き渡し作業を手伝ったことが
のちの「納棺師」という職に
つながっていったという説があるんですよ。
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糸井 |
へぇー‥‥意外だなぁ。 |
本木 |
そして‥‥遺族になりかわって、
その「旅立ち」を手伝う役割として、
作法的にも
じょじょに「納棺師」がかたちづくられ、
東北地方へ伝わっていたったんだと。 |
糸井 |
へぇー‥‥海峡をこえて。 |
本木 |
だから、今回、山形の庄内平野で
撮影をしたんですが、
わたし演じる主人公・小林大悟の幼なじみで‥‥。 |
中沢 |
杉本哲太さん。 |
糸井 |
ああ、あの、役場につとめる、風呂屋の息子の。 |
本木 |
彼が、わたしに、面とむかって
「納棺師」の仕事を非難する場面があります。 |
糸井 |
「もっとマシな仕事をしろ」とね。 |
本木 |
あの場面について、
ある山形出身のアナウンサーのかたに、
いわれたんですよ。
かりにも山形に住んでいて、
「納棺」という儀式を知っている人間なら、
あんなことは言わないはずだって。 |
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中沢 |
納棺師をさげすむ人間はいない、と。 |
糸井 |
それとは逆に、主人公の妻を演じる広末涼子さんは
納棺師という仕事について、
しっかり偏見を持って、非難し、誤解してましたね。 |
中沢 |
納棺のことを知らない、都会人だからね。 |
本木 |
ええ、でもあれが、一般的な反応です。 |
中沢 |
この映画の企画を立てるきっかけとなった
『納棺夫日記』の青木新門さんって、富山でしょう? |
本木 |
はい。 |
中沢 |
あのあたりは、一向宗なんですよ。 |
糸井 |
というと? |
中沢 |
一向宗、つまり浄土真宗の村というのは、
「毛坊主」が、一切合切をとりしきります。 |
本木 |
ケボウズ‥‥毛の生えた坊主? |
中沢 |
あたまは剃らないし、
妻帯も、肉食も、農作業なんかもする。 |
糸井 |
つまり、ふつうの人? |
中沢 |
そう、その人が、出生からお棺まで、
村に起こる生死の一切を、とりしきるわけです。 |
本木 |
へぇー‥‥。 |
中沢 |
ですが、この人は、純粋に坊さんかっていうと
そうじゃなくて、神さまのことも管理する。 |
糸井 |
つまり‥‥。 |
中沢 |
神さま仏さまに仕える役目の人。
ようするに、神官みたいなものですから、
死を「けがらわしい」とは考えない。
だから、その考えかたの伝統が
浄土真宗の影響のつよい富山には残っていますし、
東北あたりにも、
同じような考えかたをする地方が、あるんです。 |
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糸井 |
つまり、死に関わるものを
「けがれ」として「排除しない」場合もある? |
中沢 |
ふるい考えかたの残る地域では、そうですね。 |
糸井 |
映画のなかでは、
都会から越してきた広末さんと
何十年もつづく実家の風呂屋をつぶそうとする
お役所づとめの杉本さんが、
納棺師の仕事のことを
おんなじように、嫌ってましたよね。 |
中沢 |
ええ。 |
糸井 |
あれは、つまり「近代人」の反応‥‥つまり
「新しい考えかたをする人たち」なんだね。 |
中沢 |
そう、そうですね。 |
本木 |
ぼく自身は、こうして納棺の世界を知って
「けがれ」にたいする考えが変わりました。 |
糸井 |
ほう。 |
本木 |
つまり、死とは「けがれ」どころか
「ありがたいこと」に思えます。
「生と死の交わり、つながり」を教えてくれる、
とても、大切なできごとなんだって。
でも、そういうことって
この現代の日本で、ふつうに生きているだけでは、
なかなか感じられないことですよね。 |
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糸井 |
こころのレベルでは、わかるかもしれないけど、
あたまというか
理性的な部分では、ダメなのかもしれないね。 |
本木 |
あの、チベットの有名な‥‥。 |
中沢 |
鳥葬‥‥のことかな? |
本木 |
そう。あれは鳥に与えるために‥‥。 |
中沢 |
砕いてね。‥‥頭蓋を。 |
本木 |
ちいさなころから、
そういう光景をまざまざと見せつけられたら、
「死」とは、もう言葉以上のものとして‥‥。 |
中沢 |
みんな、こうなるんだという事実として。 |
本木 |
それこそ、誰もが
「おくり、おくられびと」になるんだという現実以上の
深い死生観が身に付くんでしょうね。 |
糸井 |
うん。 |
中沢 |
うん。 |
本木 |
でも、都市生活をしていくなかでは、
そういう「死」の「知」を得ることって
むずかしいですよね。 |
糸井 |
まず、都市というのは、
あらかじめ、そういうものが入り込まないように
設計されてますからね。 |
本木 |
この映画をやってみて、思ったんです。
納棺師は世のなかのすき間を埋めてくれる‥‥と。 |
糸井 |
ほう。 |
本木 |
納棺師のおこなう「納棺の儀式」とは、
「葬送」というサービスのなかの一貫として
現場のニーズに応えて、
人々のこころの不安を、静めてくれますよね。 |
中沢 |
そのとおりです。 |
本木 |
目の前のご遺体は、
数時間後には焼かれてしまう直前の、
人間の最後の状態。
まだ、棺に納められていませんし、
数時間前までは生きていたわけです。 |
糸井 |
ええ。 |
本木 |
だから、実際は冷たいんですけど‥‥
まだ「生あたたかいような感じ」がする。 |
糸井 |
へぇ‥‥ご遺体が。 |
本木 |
なにより、その場の空気があったかい。 |
糸井 |
ははぁ‥‥。 |
本木 |
青木さんの『納棺夫日記』を読んだときには、
「冷たい遺体」との神秘的な関係が
純粋に、映画的だなと思ったんですが‥‥。 |
糸井 |
ええ。 |
本木 |
たぶん、活字からの想像では、
本当の納棺の現場をつつむ
あの「あたたかみ」みたいなものについては、
まだ、感じていなかったんですね。 |
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糸井 |
そこは「あたたかい」んだ‥‥。 |
中沢 |
死は、つめたくない。 |
本木 |
それは、実際の納棺に立ち会わせていたとき、
はじめて、わかったことでした。
<つづきます>
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