ほぼ日 | 矢野さんと吉野さん、2人の中で、 このアルバムはいずれ作られるという 確信があったんですね。 |
篠崎 | そうですね。でも、実を言うと 本当は矢野さんは、2008年夏の打ち合わせで、 2009年の春には レコーディングしたいと言ったんです。 けれどその時点で吉野さんははっきり 「ノー」とおっしゃって。 「歩けるようになるまでやらない。 1年、待ってほしい」と。 私はお医者さまの話もお聞きしていたし、 この病気の深刻さを リアリティをもって理解していたつもりなので、 「歩けるようになる」というのが どれだけたいへんなことかを考えて、 また、ボーッとなりました。 けれどそのときも矢野さんは 「そうよ、歩けるようになるまで頑張ってね! 一応、9月か10月にホール録音しましょうね」 と言って、ホールをおさえたんですね。 私はもう、キャンセル代はどうするんだろうとか、 1人でマイナーなことばかり考えてたんです。 歩けるようになるなんて──って。 けれども、吉野さん、 歩けるようになったんです。 録音がはじまる日、介護タクシーから降りられて、 開口一番、にっこり笑ってこうおっしゃいました。 「矢野さん、私は昨日、 玄関まで歩きましたよ」って。 |
ほぼ日 | 「歩けるようになる」 という確信をはじめから持ってらした。 すばらしいですね。 |
篠崎 | 彼はイメージがとても強い人みたいです。 それはリハビリの先生が 「独特の回復のしかたをする人ですね」 というふうにおっしゃっていて。 私も、よくわかってないんですけども、 いわゆるスポーツ的なリハビリじゃなく、 音楽的なリハビリを頭の中でして 体を動かしていったらしいんです。 自分にはスポ根がないからと、 最初すごく「リハビリは嫌いだ」って こぼされてたんですけれど、 ある時から、リハビリを楽しめるふうに 変わっていって、 めきめきよくなっていきました。 何か人とは違う理解のしかたを ご自身で、開発されたみたいです。 |
ほぼ日 | すごい! |
篠崎 | 私の立場としても、 ほんとうにほっとしました。 |
ほぼ日 | 今回、神奈川県立音楽堂、 というホールでの録音ですよね。 スタジオではなく、 ホールで録音するというのは、 やっぱりいいんですか。 |
篠崎 | これは、私のなかでは、とても単純な発想で、 以前のようなヨーロッパのお城で録音するとか、 吉野さんをお連れしてNYへ行くとかは、 いろいろな意味で無理ですから、 弾き語りの最初のアルバム 『SUPER FOLK SONG』をお手本にして、 国内のホールで録音しようと考えたんです。 吉野さんも賛成してくださったので、 「どこがいいですか」と伺った時、 神奈川県立音楽堂というアイディアが 吉野さんから出てきたんです。 実はその時に一応、 「サンレコ」(Sound & Recording Magazine)の 國崎編集長が、吉野さんのことに関して いろいろと助けてくださったので、 「どこかそんなに遠くないところで、 いいホールありませんか」とお訊ねしていたら、 いくつかホール出してくださった中に やはり、神奈川県立音楽堂があって。 あ、二人の意見がここで一致してるなと、 県立音楽堂にすぐアクセスしたんです。 そうしたら、休館日であるとか、 仮のスケジュールが入っているだとか、 いろいろクリアしなければならない問題が あったのにもかかわらず、 スタッフの方々がこの企画、 矢野さんと吉野さんということを、 とてもよく理解してくださって、 こころよく協力してくださったんです。 ところが。 |
ほぼ日 | ところが? |
篠崎 | 曲目が決まらないんです。 私は矢野さんに、 「カバー曲は何をするんですか。 曲目早く出してください」なんて、 いわゆる制作の仕事として、 クドクド言っていたんですが、 「う〜ん」とか言って出してもらえないんですよ。 「こういう曲をやろうとしてます」って 話すことができずに打ち合わせをするなんて 普通の制作のプロセスでは考えられませんから。 でも、矢野さんはちっともそれを出してくれないし、 吉野さんはまったくそれを要求しないしで、 私だけが無意味に慌てていたんですね。 でもそれは、彼らの結びつきの深さが その時の私には理解できていなかったんですね。 つまり、どの曲をやるとかそういうことは、 関係なかったんです。 最後の最後に、 「この人たちの音の作り方って、 こういうことだったんだ」というのが、 やっとわかったんです。 |
ほぼ日 | じゃあ、もしかして曲目は‥‥。 |
篠崎 | もちろんある程度は、決まりましたが、 矢野さんは、当日録音してるあいだにも、 やめたり、増えたりしますから。 |
ほぼ日 | ははー! |
篠崎 | 現場で、2曲増えましたね。 予定していた曲を1つやめて、2曲増えたかな。 矢野さんの頭の中では 10年間の積み重ねがありますから、 こうやってみようというテストを いろいろと、やってらしたんだと思うんです。 それはいいんですけれど、 「この曲やってみようと思うのよ」とか言って、 突然、言われたりすると、大慌て。 歌詞をきちんと準備しなければならないし、 その歌詞にしても、同じ漢字で読みが違うとか、 調べ事に追われますから、 とっても忙しかった。 だから、もっと早く教えてほしいと 言ったのに(笑)。 |
ほぼ日 | レコーディングは何日間だったんですか。 |
篠崎 | 5日間で正味4日間です。 2日間やって1日休み、2日間やりました。 |
ほぼ日 | レコーディングのあいだ、 ずっと吉野さんのご体調はよかったんですか。 |
篠崎 | そうですね、やっぱりちょっと 疲労されたかなあという気もしましたけど、 でも吉野さん、すごいんです。 例えば「矢野さんの食事の時間の割り振りが あまりよくないから、もうちょっとそれを こうしたほうがいいよ」とか、 そういうことをヒュッヒュッと言われたり、 ちゃんと物事をうまく回すために とてもこまやかな事に、気がつかれるんです。 |
ほぼ日 | プロデューサー気質。 |
篠崎 | そうです、そうです。 そして、矢野さんと吉野さんが 何度もやりとりを重ねていくなかで、 なかなか決まらなかったりすることや、 何度弾いてもうまくいかなかったりするとき、 私が心配していると、吉野さん、 「最後は必ずうまくいくから大丈夫です」 と、はっきり、おっしゃるんですね。 |
ほぼ日 | 『ピアノが愛した女。』でも驚きましたし、 今回のトレーラーでも驚いたんですけど、 矢野さん、ミスタッチをしてしまうんですね。 ぼくらから見たら、天才だと思う人が、 うまくできないということが、 いくらでもあるっていうことに驚いてしまって。 今回のトレーラーでは、 「コンビニに、才能、売ってないかな」 とまで。 |
(つづきます)
2010-02-08-MON