第14回
By definition,「楽しい仕事」などない!
その2
(前回からの続きです。これをお読みになる前に その1、をお読みください)
『今回のトピックは反響が大きく、
読者の方から何通もの「批判メール」が届いている。
これらの方々には、ディスカッションパートナーとして
貢献してくださったことに対し、真摯に感謝したい。
反響のうち大半は、
「自分は楽しく仕事をしているけど、
だからといって仕事を甘くみている訳ではないし、
仕事のアウトプットが悪いわけではない」とか、
「仕事がきつい、しんどい、といっている友人がいたら、
すぐにその仕事をやめろとアドバイスする」
といった趣旨のものである。
予想していた通りの反応である。
恐らく文字情報でのやりとりの限界であろうが、
ここには大きな誤解があるように思う。
要は言葉の定義の問題。
まず「楽しい」は「好き」とは違うし、
「辛い」「どこかに消えてなくなりたい」
「もっとうまくやれた筈だ」は
「嫌い」「やりがいがない」とは違う、ということ。
「仕事が楽しい」というのはどうみても
「お気楽すぎる」、ということである。
そういうことを言っている人を客観的に見ると、
まだまだ「伸びしろ」があって、ポテンシャルからみると
甘えているとしか思えないことが多い。
「好き」で「やりがい」のある仕事なら、
限界までやって自分にドライブをかけて
成長したほうがいい、と思うのである。
「しんどい」と思えないような仕事こそ、
早くやめてしまうべきである。
ただし、
これはあくまで人生のひとつのオプションにすぎず、
生き物としての生き方は他に山ほどあるので、
自分で選べばよいということ。
ちなみに、そういう方はもうこれ以上私の文章は
読まないことをお勧めする。
気分を害さなくて済むからだ』
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(以下、前回からの続きです。)
これにはこっちもかなり参った。
自分のことを全く理解されていないことに傷ついたのだ。
と、同時に、こいつも
「充実している仕事は楽しいものだ」
という甘えた考えを持っている人間なのだ、と思うと、
急に冷めてきたものだ。
では、なぜ人間はそこまで「仕事」をするのであろうか。
これは、うまく言えないが、
「動物が生殖活動を行なうことと同じだから」、と考える。
要は、「人間として生まれてきた証」としての
「自己確認」のために、
自らが設定した目標の達成に勤しむというわけだ。
もしかしたら、
性行為を「快感」「愛情確認」のためではなく、
純粋に「生殖行動」として
本能的に行なっている人間がいるとしたら、
その人は、仕事が「楽しい」と思うのかもしれない。
時節柄、就職活動を始めている学生の方々も
読者の中にはいらっしゃるのではないかと思う。
皆さんはどうやって仕事を決められるのであろうか。
最近は「買い手」市場だろうから、
「選んでなどいられない」のかもしれないが、
ここで今一度考えていただきたい。
「将来を見通して自分のやりたいことを見極めて選べ」
などという、意味のないありきたりのことを
言うつもりはない。
なぜなら「本当に自分のやりたいこと」など、
学生あがりで就職する時にわかっているわけはないからだ。
「いや、そんなことない」という人がいたら、
今すぐここで再度問いただしたい……、
「本気で言っているのか」と。
あえて言うとしたら
「人間としての『自分』のためになり『そうな』
仕事を選べ」ということだろうか。
そして、「自分のためになる」仕事というのは、
自分の成長のドライバーとなるものであり、
「しんどい」「辛い」仕事であるはずだ。
逃げてはいけない。
多少の無理はすべきだ。
常に「少しできない=しんどい、
と思う程度やらなければ実現できないこと」
を目標において生きていくのだ。
これはどんな分野・レベルの仕事にだって
当てはまると考える。
そしてその目標は10年先のものであってはならない。
よく、入社試験の面接で
「10年先の自分はどうあっていたいですか」という、
人事部のただのオヤジが内心
「ちょっと気の利いた質問だろう」と
ほくそ笑むような類の質問をよく耳にするが、
私に言わせれば、まったくもって意味のない質問である。
(人事をする人間というのは、生来、能力的にも
人格的にも尊敬される人間であるべきだが、
このようなスペックの人に会ったことは
数えるほどしかない)
そもそもどういう答えを期待しているのかがわからない。
10年先のことを考えて今を生きているようでは鈍すぎる。
これだけ急速にすべての外部環境が変化している今日では
まったく意味がない。お遊びだ。
「10年先のことまで考えているから
自分はしっかりしているのだ」
と自己満足するには足るが、
本当の目標を設定したことにはならない。
そんな意味のない目標では、
かえって demotivate されるのではないか。
3年先が限度だ。
(つづく)
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