- 糸井
- いま、ティールさんは、ご自身の経験を重ねて、
わかったことをみんなに話したり、
本に書いたりしているわけですが、
「賛成する人がほとんどいない、
大切な真実はなんだろう?」
という問いかけに至るまえの自分、
そこでいう「大切な真実」に賛成しなかった自分、
という時代があったんじゃないかと思うんですが、
そのころの自分について、
なにか語っていただけますか。
- ティール
- まず、重要なことだと思うので
先にお断りしておきたいのですが、
大勢のひとが共通に理解していることが、
いつも間違っているとは思っていません。
大勢が理解していることに
反することを考えるのが成功の方程式だ、
というような単純なことではありません。
たとえば、多くの人が1+1=2だと考えるとき、
単にそれに反対するだけ、
というのはよくないと思います。
さらに、1+1=2をどんなふうに扱っても、
なにもおもしろくない。
そのようなことに異を唱えても、
なにも得るものはないと思います。
- 糸井
- そうですね(笑)。
- ティール
- 「大勢の考えに背を向けろ」
と言ってるわけではないんです。
背を向けるのは、
大勢の人たちが間違っていると思ったときです。
みんながよくわかってないことを発見した。
みんなが信じていることが
間違っているとわかった。
あと、よくあるのが、みんなが
あまりちゃんと考えていなかったことを、
ちゃんと考えてみた。
そのようにして自分の考えが確立したら、
結果的に、大勢の人たちの考えとは異なる、
新しい考え方に至った。
そういうことだと思います。
大勢の考えに背を向けること自体が
大事なのではない。
- 糸井
- うん、うん。
- ティール
- また、成功するために重要なことは、
「自分がとても得意で、
ほかにやっている人がいないものに集中する」
ということです。
自分がすごく上手であること。真実であるもの。
あと、あまり競合相手がいない分野であること。
こうしたものを組み合わせないと、
「賛成する人はほとんどいないが、
自分だけはつかんでいる真実」
だけでは成功しません。
以上のようなことをお断りしておいて、
糸井さんが質問された、
自分がいろんなことを経験する前のことを
お話ししますけれども‥‥。
誰しも似たようなことを感じるかもしれませんが、
年齢を重ねてから振り返ると、
競争にとらわれていたな、対立に悩んでいたな、
いま振り返るとたいしたことがないのに、
と思うことがあります。
さまざまなことを経験したうえで
振り返って初めて得られる視点というものがある。
- 糸井
- はい、よくわかります。
- ティール
- 本のなかにも書いていることなのですが、
10代や20代のときに、なにか大失敗をしたり
競争に負けたりすると、その経験が、
心に深い傷をもたらすことがあります。
私は、アメリカの大学の法学部を出たんですが、
「最高裁の法務事務官になる」というのが
非常に名誉なことで、
学生にとっては超一流の就職先なんですね。
最高裁判事は9名いて、
それぞれ4名ずつ法務事務官を選びます。
法務事務官の任期は1年。
判事は8人の候補者と面接します。
私は2人の最高裁判事と
面接するところまで行って、
きっと受かるだろうと思っていたんですが、
両方とも最後の面接で落ちてしまいました。
そのとき25歳でしたが、
もう私にとってはたいへんな悲劇で、
この世の終わりかと思うくらい打ちのめされました。
まぁ、見方によっては、そんなことで
打ちのめされるなんておかしいんじゃないか、
とも言えるのですが、実際、私の心の中では、
そこでの競争に負けてしまったことが
大きなトラウマになってしまったわけです。
私の古い友人で、そういった過程を
すべて知っている人がいるんですが、
その面接に落ちてから10年が経って、
私がPayPalである程度
成功を収めているころに会ったとき、
その友人は「久しぶり!」という挨拶も抜きに、
「ピーター、あの最高裁の法務事務官の
面接に落ちて、よかったと思わない?」
と言ったんです。
- 一同
- (笑)
- ティール
- というのは、もしも最高裁の道に進んでいたら、
それはそれで大成功のキャリアだけれども、
常識的な範囲を出なかっただろうな、と。
ですから、そういったすべての経験を経て、
いま自分自身のことを振り返ってみると、
やはり、若いころは、
競争の力学にとらわれすぎていたし、
さして大切でないものにとらわれすぎていたな、
というふうに思います。
とりわけ私は、そういった競争に
とらわれすぎるタイプだったようです。
英語にミッドライフ・クライシス
(mid-life crisis)という表現があります。
人生半ばにおける危機、
いわば「中年の危機」を40代で迎える、
というような意味なのですが、私の場合は
クォーターライフ・クライシス
(quarter-life crisis)、
つまり人生のはじめの4分の1、
20代で大きな危機を迎えたわけです。
- 糸井
- どのようにしてそれを乗り越えたのですか?
- ティール
- 私は、自分のことをよく考え直しました。
こうした力学があることを自覚するだけでは、
競争にとらわれる自分を
克服することはできないと思います。
でも、よくよく考えれば、
客観的な視座を得ることはできる。
「自分はなにかに過剰にとらわれていないか」
「これは、ほんとうに戦って
勝ち取る価値のあるものなのか」
「ほんとうに、人が言うほど大切なものなのか」
私は苛烈な競争にすっかりとらわれていたために、
競争に負けた経験は、
ある種のカタルシスをもたらしました。
- 糸井
- そのとき、競争に負けたという経験が、
その後のあなたの原動力になった、
ということはありますか?
- ティール
- 私は、失敗というのは
決していいことだとは考えません。
私は、しばしば、
「あなたの失敗談をきかせてください。
そこから何を学びましたか?
失敗後、どうしましたか?」
という質問を受けます。
しかし、私はこんなふうに思います。
なにかで失敗したときに、
実際に失敗から学ぶことはできません。
もしも、自分の事業が破産したとき、
どれだけ反省したとしても、
そこで思っている失敗の理由は
ただの決めつけでしかないんです。
- 糸井
- ああ、なるほど。
- ティール
- 破産した要因は6つあるのかもしれないのに、
把握できるのは1つあるかどうか。
たとえば、実際には、共同事業者がよくなかった、
技術が実現しなかった、営業が下手だった、
ビジネスアイディアが悪かった、
誰も投資したがらなかった、
というふうに5つの要因があるかもしれないのに、
失敗を経験した人は、
「一緒に仕事を始めた人がクレイジーだったんだ」
で終わらせてしまう。
そうすると、2回目の起業では、
その要因は回避できるかもしれないけれど、
残った4つの要因でまた失敗するんです。
つまり、多くの場合、私たちは
失敗からはあまり学ぶことはできないんです。
この点で、私はシリコンバレーの人たちと
意見が異なります。
シリコンバレーには、失敗を礼賛し、
「すばらしい学びの機会だ」とする
「うそ」が横行しているんです。
失敗したときに大事なことは、
「いつまでも引きずらないこと」です。
失敗から何か学ぼうとすることではありません。
さっさとつぎに行くことです。
──Just move on.
あまりそのことにとらわれず、つぎに行くことです。
とても難しいことだとは思いますよ。
でも、失敗にとらわれてしまうと、
心理的なダメージが大きく、
モチベーションが損なわれてしまいます。
なんとかして、過去のこととしてかたをつけ、
つぎに進まなくてはいけないのです。
- 糸井
- 失敗はモチベーションにつながらない、
ということですね。
- ティール
- モチベーションどころか、
失敗直後は失意のどん底、
モチベーションが損なわれている状態ですから。
たとえば、若いころの私でいうと、
自分が思っていたほど
よい法律家になれそうにもない、というふうにね。
失敗をモチベーションの源にするには、
大きく文脈を変えなければなりません。
事業が失敗したケースを見ていて
私が難しいなと思うのは、
失敗を経験した人がつぎのことに取り組むとき、
「つぎは、もっと失敗しにくいことをやろう」、
「もっと楽をしよう」
というふうに思ってしまいがちなことです。
失敗はモチベーションを損ない、
成功はモチベーションの源になる、
と私は思います。
成功すればやる気がさらに湧いて、もっとがんばる。
成功はさらなる成功をもたらし、
失敗はさらなる失敗を呼ぶ。そういう面があります。
ですから、失敗したら、
悪循環を早く断ち切ることがとても重要です。
失敗が失敗を呼ぶ悪循環にとらわれないように。
(つづきます)
協力:株式会社タトル・モリエイジェンシー
2015-04-28-TUE