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LEICA M8 + Summicron 35mm f2
津軽地方は、おどろくほど多くのものたちが、
青色のペンキで塗られています。
ある春の日、それを背景にするかのように、
深紅のチューリップの花が咲いていました。
それはまるで一枚の絵のようにも映りました。
そこには鮮やかな色があるはずなのに、
不思議と派手な印象はありませんでした。
そんなしっとりとした光景が
ふつうに写ったことがうれしかった一枚です。
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前回お話ししたように、
映画の35ミリフィルムを使って、
小型軽量化したライカが登場し、
写真の世界は一変しました。
三脚は立てなくてもいい、
軽くなった、手持ちで撮れる、
やもすれば、2台持つことができる。
今の時代もそうなんですけれども、
写真というのは、カメラが主役ではありません。
カメラは写真を撮るための道具。
撮った写真をどこで使われるのかっていうのも、
すごく大事なところです。
個人的には、常々「プリントが写真」だと言っていますが、
こと、そんなライカが生まれた時代は、
印刷が生まれた時代と合致していて、
新聞や雑誌がどんどん活性化していきました。
ライカの登場で、ジャーナリズムの世界も変わりましたし、
その写真を一般の人々も観て、とても高価だけれど
みんなが「ほしい」と思う存在になっていったのです。
今がカメラにとって混迷の時代だというのは、
インターネットが活性化しているところで、
デジタルカメラを含めたデジタル機器っていうものが、
ちょっと混迷しちゃっているからなのではないでしょうか。
もともと写真を撮るための道具としてのカメラには、
今では、あたり前のように「動画機能」が付いています。
やもすれば、色も何もカメラの方で
簡単に変えられてしまいます。
といった具合に、あまりにも、
いろんなカメラが出てきています。
それこそiPhoneみたいなものは、デジタルの中で遊べば、
それはそれですごく楽しいデバイスです。
しかし、どこまで行っても、
けっしてカメラではないですよね。
それにしても、こんな時代の中であっても、
写真のプリントっていうのは、つくづく不思議な存在です。
まずなによりも、物質としての「大切感」がある。
それはデジタルになろうが何になろうが、
僕は変わらないものだと思っているのですけれど、
そういったものは、なかなか、
iPhoneから作っていくのっていうのは、まだまだ、難しい。
スペック的にはできるようになったとしても、
やはり、物理的にもレンズという存在のことも含めて、
「ものを見る」という観点から考えても、
気持ち的に、なんだかそぐわないのです。
これからの子たちは、もしかしたら、
できちゃうのかもしれないけど、
まだまだ、うまくピタッと来ない人たちが
多いんじゃないかなぁと思うんです。
さて、素晴らしいと言ってきたライカのような
レンジファンダーカメラにも、欠点はあります。
それは、覗いた状態と、写っている状態が、
微妙にずれること。そして、構造上、
被写体に近づけない(近接撮影ができない)ことです。
それを解決したのが、一眼レフカメラ。
ライカが世の中を席捲していた時代に、
その「M3」というカメラが、
ファインダーの構造をはじめ、
あまりにも、完成度が高かったこともあって、
日本のメーカーは、一眼レフの開発に力を入れ、
そんな中で、特にその頑丈さから、特に報道関係において
結果的に、他のすべてのカメラを凌駕するかたちとなった
「ニコンF」という一眼レフカメラが
センセーショナルに登場したのでした。
一眼レフは、レンズからの撮像を鏡でうけとめ、
反射させて、まんなかにでっぱっている山に入っている
プリズムを通して、ファインダーに届けます。
プリズムの原理で入ってくる撮像は、
ちゃんと明るく見え、
ときには実際に見ているよりも、
より光が増幅されて、しっかり見える場合がある。
「覗く」とか「しっかり見る」っていうことに、
一眼レフというカメラは、
非常に適している構造になっています。
そして、レンジファインダーカメラにはできなかった
「近づける」っていう構造上のメリットもあります。
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Nikon F + 55mmMacro f3.5 / Film Tri-X
バングラデシュの小さな学校の机の上に置かれた
教科書とノート。その机も含めて、
とても丁寧に使い込まれたものでした。
そして、その筆跡からも、ぬくもりのようなものを感じて
シャッターを切りました。
そんなひとつひとつの表情を、このニッコール・レンズは、
しっかりと写しとってくれたように思います。
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そんなわけで、「ニコンF」の登場と共に、
世の中が、そしてカメラの世界も、
一眼レフ中心へと、大きな変化を遂げました。
そのため、ライカは本当に苦しんで、
一時、半分、潰れちゃったくらいです。
ドイツの会社だったのが、カナダに移ったり、
日本のミノルタ(Minolta)と技術提携したりして、
生き延びてきたのです。
そのライカがドイツにもどって
「M6」というカメラを再生の旗印にして
ふたたび立ち上がるまでには
かなりの時間を要しました。
それでも完全に潰れることがなかったのは、
ライカ社には、やっぱり、
現代写真の礎をつくった伝統が残っていて、
そして、なんといってもレンズが素晴らしい。
そのレンズの魅力がカメラを救ったと言っても、
過言じゃないと思うほどです。
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【ニコンF】
1959年に発売されたニコン初の一眼レフカメラ。
その後、この一桁台のフラッグシップカメラは、
現在の「F6」まで続いています。
何よりもすごいなあと思うのは、その時に採用された
「Fマウント」は今でも使用されているので、
「D4」をはじめとした、すべてのニコンの一眼レフカメラで、
1959年当時のレンズも使用することが出来ることです。
もちろん、ぼくが大学生の時に手に入れた「ニコンF」は、
今でも現役ですよ。
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【M6】
1984年に発表されたレンジファインダー式フイルムカメラです。
ライカ社が、カナダからドイツに戻って、
新生ライカ社として自立し始めたのがこの「M6」から。
時代に合わせて、露出計が入ったりなど、
現代的な部分もありながらも、デザインはもちろんのこと、
フイルムの装填方法さえ、「M3」と同じという変わらなさ。
そしてそれは、現行品のデジタルレンジファインダーカメラ
「M」であっても同じです。
そして、このMシリーズに採用されたレンズの
「Mマウント」も、今でも変わることなく使用されています。
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ライカ社には、やっぱり、
写真っていうことに対して真摯というか、
変わらない強さがあると思うんです。
日本のメーカーは、技術的にも素晴らしいんですけど、
どうしても時代と共に変わっていく。
もちろん、それはそれで大切なことなのだけど、
ちょっと変わりすぎてしまっていて、
変わらなくていいところまで変わってしまう。
それに比べて、ライカがすごいなぁと思うのは、
変わらないところは、断固変わらない。
ときには変わらなきゃいけないところでも、
変わらないみたいなくらいの頑固さがある。
いま、皆さんが使うカメラはほぼ日本製だと思います。
その中で、ライカが、すごく頑張ってるなぁと思うのは、
前回も少しだけお話しましたが、
ちっちゃいズーム付きコンパクトデジタルカメラっていう、
カテゴリーで言えば、そんなにスペックの高くない、
一般的なカメラも出していて、
中身はパナソニック(Panasonic)製だったりもして、
「ライカっていう名前が付いちゃっていいの?」
っていうくらいのものだったりするんですけど、
それでもちゃんと1本筋が通っている。
Mシリーズと一緒に撮っていても、違和感がない。
それは、ライカの人に聞いてみないと、
なんともはっきり言えないのですが、
彼らの中で、「写真というのは、こういうものなんだ」
みたいなことがあるんじゃないかなぁと思っています。
そしてそれは、
「華美なことではない」ってことだと思うんです。
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LEICA M8 + Summicron 35mm f2
津軽にてある秋の日。
日本海側の鯵ケ沢を抜けて、深浦に向かう途中、
めずらしく海岸線に沿って、田んぼが拡がっています。
その黄色く染まった稲穂の向こうには、とても鮮やかな海。
そのどちらも、鮮やかではあるのですが、
自然なやわらかい色彩でもあります。
このように、日常における自然の色彩というのは、
鮮やかであっても、実はけっして華美ではない。
だからこそ、きれいなのではないでしょうか。
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デジタルの時代になれば、
画像はいくらでも脚色できる。
より鮮やかに、より解像感を高く、
よりシャープに、とかって、できるんですけど、
画像にはバランスっていうのが、やっぱりあって。
その点、ライカの作り出す画像は、
きわめて写真的ですし、しかもとてもバランスのいい画像。
ぼくの近くでも、
「見たまんまに写っている」とよく聞きます。
そして、ライカのレンズが、なぜ素晴らしいかっていうと、
たとえば、ふつうは「柔らかく」なると、
どうしても印象としても解像感が落ちるんです。
コントラストが低くなっちゃう。
「解像表現」と「階調表現」っていうのは、
相反するベクトルを持ってるのだと思います。
つまり解像感を上げると、
階調表現が減ってしまうといった具合に。
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【「解像表現」と「階調表現」】
ぼくもよくわかっていないところがあって、
詳しく説明するとおかしなことになりそうですので、
わかりやすく簡単に書いてみます。
「解像表現」とは、被写体に対して、
その輪郭をいかにはっきりととらえるかということ。
一方「階調表現」とは、その被写体に光が当たった状態で、
その陰影の部分に至るまでの調子を、
いかに表すのかということ。
それを光学的に両立させていくことが、
レンズにとって最も大切なことだと思います。
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かんたんに言うと、
白と黒がはっきりしたほうが、人間の目は、
はっきり見えるわけですよね。
そこにグレーが入ってくると、ちょっと眠たく見える。
その辺、ライカのレンズっていうのは、
バランスがすごくいいんです。
グレイッシュでもないし、
バキバキに硬いわけでもない。
しかも、柔らかいわけでもないという、
絶妙なところをアベレージで出してくるレンズは、
僕の感覚では、他にはなかなかないなぁと思うんです。
なんだか、ライカがいい、
ライカがいいという話になっていますが、
今回お話したかったのは、必ずしもそういう話ではなく、
この機会に、こんな時代だからこそ、
あらためて写真らしい写真というのはどういう写真なのかを
考えてみたいなあと思ったのです。
いずれにしても、写真にとって一番大切なことというのは、
どのように写すのではなく、
何を見て、どう感じたのかが、
少しでも写っていてくれる、
ということなのではないでしょうか。
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LEICA M8 + Summicron50mmf2
アフリカ・ケニアにて。
移動中のバスの窓の向こうに、一組の親子が歩いていました。
その上には、眩いばかりの青い空が拡がっていました。
その大きな空と、この小さな親子が
一体となっているような気がして、
思わずシャッターを切ったのですが、
するとそこには、視覚的には見えなかった、
正確には写真にもしっかりと写っているわけではないのですが、
子供はぼくの方を見ているような。
そしてそれでも母親はしっかりと前を向いているのが
印象的でした。
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【ライカのレンズ】
ライカの中には、様々なタイプのレンズがありますが、
その中で一般的に使用されるレンズにも
はっきりとした歴史があります。
「ヘクトール(HEKTOR)」、「エルマー(Elmar)」、
「ズミクロン(Summicron)」という大きな流れです。
なかでも僕は、「ズミクロン」が好きなのですが、
このあたりから、その写り方に現代的な気配が生まれてきます。
「エルマー」までは、ちょっとナローな印象があります。
昔の写真で、きれいだけどフレアーが起きているものが
ありますよね。そういうノスタルジーを求める人は
好きなレンズです。
「ズミクロン」は、60年代、70年代に生きてきたレンズですから、
現代のデジタルカメラに付けても、非常にしっかりと写りますし、
昔のフィルムに付けても、すごくよく写ります。 |
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