プラハからヘルシンキの旅は、
フイルムでの撮影という目的とともに、
「写真にまつわるものを探す」
とうテーマの旅でもありました。
とくにプラハでは、毎日朝はやく宿を出て、蚤の市へ。
そして午後からは市内のBAZAR(がらくた屋)と、
古本屋をめぐりました。
蚤の市を探して、
ときには郊外の町まで出かけたりもしました。
パリやロンドン、ウイーンなどにも(東京にも京都にも)
もちろん蚤の市はありますが、
旧共産圏であったチェコの蚤の市はまた格別です。
ほとんどが(ぼくらの目から見たら)「がらくた」?
でもそこかしこに「たからもの」が混じっているのです。
ぼくの収穫は、
ベークライトでつくられている、古いカメラでした。
ベークライトというのは
「元祖・プラスチック」ともいうべき人工樹脂です。
まだカメラというものがとても高価で、
なかなか一般の人の手に入るものではなかった頃、
ベークライトの発明で、
カメラをずいぶんと安く製造できるようになり、
一般の人や、あるいは子供たちも手に入れることが
できるようになりました。
そういうカメラはチェコでもずいぶんつくられ、
いまもよい状態のものが、蚤の市に並ぶことがあるのです。
ぼくが見つけたのは1940年台から50年台のものと思われる
「エフェクタ(efekta)」や
「ピオニール(pionyr)」などのメーカーのもの。
現地でさっそくチェコ製のフイルムを買い、
ためし撮りしてみたものが、1枚目の写真です。
使い方については謎の部分もあって、
日本に持ち帰っていろいろと試していますので、
またご報告したいと思います。
古書店の話も、またいずれ。
さて、今回は「画角」の話です。
前回は、一度“自動”というせっかくの便利を捨てて、
“露出”を意識してみましょう、というお話をしましたが、
もしかしたら難しい話になってしまったかなあ、と
ちょっと反省しています。
前回、あれだけ書いておいて言うのもなんですが、
そもそも“露出”など、気にしすぎることはありません。
たまたま「あかるく」撮れてしまったものが、
思いのほか、その時の感じにフィットすることもある。
なんだか「暗く」写ってしまった写真も、
そのことで、かえって被写体の“質感”を強く感じたり、
そこに存在していた“光”そのものの
魅力を見つけることもある。
結果として、より印象的な写真になる場合がありますよね。
そして、そんな自身の気分に一番合っている
露出(あかるさ)こそが、本当の“適性露出”です。
ですので、平均的な“適性露出”とはなにか、
を考える前に、
むしろ、「なんとなく違うんだよなあ」という時にこそ、
「これがもう少しあかるく写っていたら」
「ここがもう少し深く写っていたら」
と考えてみて欲しいのです。
「写ルンです」は、露出が固定されている分、
失敗というか、「ちょっと違うなあ」ということも
たくさんあるはずです。
そして、きっとその「ちょっと違うなあ」から
写真の、いろんなことが始まります。
そのことは“画角”にも当てはまります。
たとえば“構図が大事だよ”という言葉。
きっとみなさんも聞いたことがあると思いますが、
ぼくははっきりと言います。
写真にとって“構図”は大切ではありません。
もちろん、“美しい構図”というものはあって、
それは1枚の写真を、心地よく見せてくれる。
でも、写真が一番伝えたいことはなにかと問われれば、
あたり前の話ではありますが、
そこに写し出されている「被写体」そのものです。
そして、“構図”というのは、
たまたまある画角を持ったレンズが、
その「被写体」を切り取った結果でしかないのです。
“構図”という技術を必要とする場合は、
たしかにあります。
ぼくたちの目には、四角いフレームが存在していないので、
目が見ている世界と同じ世界を、
カメラという四角いフレームを持ち合わせた道具を使って、
見つめて、写し出すわけですから、
その感覚を近づけるために“構図”を決めるわけです。
しかし、それは最初に意識することではありません。
写真を撮るとき、いちばん最初に行う動作は、
「見る」ことなのですから。
最近では、カメラからファインダーが消えていますよね。
デジカメにしてもスマホにしても、
のぞくための機能がなくなり、
いきなり「世界を切り取る」。
ぼくは、そのことで写らなくなっていることが
たくさんあるということを、
「写ルンです」から教えてもらったような気がしています。
「写ルンです」には、
ガラスではないにせよ、しっかりとした、
ただの枠ではないファインダーが付いています。
今、ファインダーなしで写真を撮られているかたは、
一度「写ルンです」で、
「ファインダーをのぞいて写真を撮る」ことを
体験してみてください。
それだけで、ちょっと新鮮な気分になれるはずです。
「写ルンです」のファインダーは、一眼レフのように
正確な画角をあわらすことがない反面、
被写体と向かい合うという感覚を強く生みます。
自分と被写体の間に、一本の線が引けるような感じ。
これが、あるかないかで、
写し出された写真の印象は大きく変わります。
カメラは、写真を撮るための道具です。
今では、それ以外の多機能に埋もれて、
本来の写真を撮るという本質が、
なかなか表面に見えてきません。
そんな現在のカメラと真逆にある「写ルンです」。
その不便さに触れて、
あらためて、大切なのは
スペックではないと確信しています。
2014-09-19-FRI