前回まで「荒木経惟さんに教わったこと」として、
3回にわたって、お話してきましたが、
その最後は「うまく撮れなくなったら、カメラを変えろ!」
という話でした。
ぼく自身も、カメラを変えることで、
映画『青い魚』における色の世界観のようなものが、
偶然にも生まれたというお話をしました。
今回は、そんな写真においての“色”についてです。
世界にはいろんな色がある。
デジタルカメラが普及する以前、
写真表現においての“色=カラー”は、
フイルムとレンズの組み合わせによって決まりました。
カラーフイルムには、大きく分けて2種類があり、
ひとつは、スライド用のフイルムでもある
“ポジフイルム”。
こちらは、名前のようにフイルムの上に
写し出されている絵は“ポジ像”ですので、
そのままの状態で見ることが出来ます。
光で投射すれば、そのまま映画のように写せる。
そして撮影する時点で“色”は決定されます。
もう一つのカラーフイルムは
プリント用のフイルムでもある“ネガフイルム”。
写し出されている絵は“ネガ像”です。
こちらはプリントの段階で、
“色”を決定することができます。
余談ですが、最近のカラーネガフイルムは、
フイルムのベース面がオレンジ色をしています。
これ、昔は透明だったのです。
なぜオレンジかというと、
カラー写真は、“シアン”“マゼンタ”
“イエロー”という3色フィルターの
組み合わせによってプリントをするのですが、
その組み合わせの複雑さを軽減するために、
ベース面をオレンジ色にすることで、
“シアン”のフィルターを使用せずに
プリントが出来るようにしたものです。
ちなみに多くの映画も、
このカラーネガフイルムによって撮影されています。
『青い魚』は、ロケハンの時から、
“ネガフイルム”によって撮影しました。
そして、当時、手に入れたばかりの
ラッキーの「カラー自動現像機」によって、
カラープリントを繰り返しました。
まっ暗な暗室の中で、延々と、
その映画で描き出そうとする世界を探るように、
1枚1枚プリントを繰り返していきました。
とても気の遠くなるような作業ではありましたが、
ぼくは、その中からとても大切なことを
見つけたような気がしています。
ぼくたち人間の目は、実は想像以上に敏感に、
目の前の色世界に対して、
とても繊細に反応している、ということです。
たとえば、まさに夜が明けようとするその時の“青”。
晴天の青空の下での、すっきりした光に対して、
曇り空や、雨空の下での、なんともしっとりとした光。
そして、日が暮れようとする時ならではの“橙色”。
ひと度夜になると灯る街灯の明かりに照らされた街の色。
そして、その街灯の色も
白熱球もあれば、ハロゲン光もあれば、
ガス灯っぽいものまで、さまざまな光があります。
また、白いようでまるで白くない、
ちょっと緑がかった蛍光灯の光。
そして、それらが交じり合った時の、独特のアジアな感じ。
などなど。
実は、これらのすべてをぼくたちは、肉眼で、
驚くほど、しっかりと認識していますよね。
たとえ、日常的に意識していなかったとしても、
おそらく、今目の前にある状況に対してでも、
ちょっとだけ目を凝らして、ゆっくりと見てみると、
いろいろな、色の違いが見えてきます。
ぼくはそれを、ひとつひとつ丁寧に紡いでいくのが、
究極の“カラー写真”なのではないかと思っています。
さまざまな光の中にぼくたちはいるということを
少し意識するだけで、写真は新たな彩りを見せます。
ぼくがオートホワイトバランスを嫌う理由。
そこで問題になってくるのが、
「デジタルカメラ」における「ホワイトバランス」です。
ホワイトバランスとは、何なのか?
用語は聞いたことがあっても、
ほとんどの人は、
わからない状態なのではないかと思います。
ぼくたちが暮らしている世界には、
いろんな種類の光があふれています。
室内では蛍光灯と白熱灯、LEDが混ざるなんて、
今は当たり前ですし、
昼間だったら、外光があります。
それも直射日光だったり、日陰の光であったり、
曇りがちの日の光だったり。
いっぱいいろんな要素があるわけです。
そして、ぼくらが見ている風景が、
誰の目にも同じなのか?
おそらく違うと思うのです。
色というのは、生物によっても違うし、
人によっても違います。
目の大きさが違ったり、瞳孔の大きさが違ったり、
水晶体の大きさも違います。
動物によってはモノクロームで見えていたり、
画角がちがっていたりもしますよね。
本来の光がどういうものなのかっていうのは、
たぶん、みんなのなかにずれがある。
光というものが(世界というものが)
そのくらい微妙なものだからこそ、
「基準」がないと、わからなくなるわけです。
その、写真における「基準」が、ホワイトバランスです。
フイルムにおいては、
“晴天の下でのすっきりとした光”を標準として
色が設定されています。
要は、この晴天の光の中において
「白いものを写した時に、白く写る」
ように設定されているのが、カラーフイルムです。
(ちなみにこの普通に、雲1つなく、
太陽光がパーンと当たった、
青い空の中で測った時の色温度が、
5,500ケルビンです。)
デジタルカメラにおいて、
「その光の中において、白が白く見える状態にする」
のがオートホワイトバランス。けれどもこれ、
ぼくら(写真を仕事にしているもの)にとっては、
時として、すごく邪魔になる時があります。
フイルムの時代を経験してる人には
わかると思うんですけれど、
朝早く撮ると、ちょっと青くなったりとか、
夕方撮ると、赤くなったりとかするものでした。
それがいい時がけっこうあるのです。
朝に撮ったら、なんとなく感じる青い光を写したい。
夕方だったら、あたたかな赤い光を写したい。
ところがデジタル時代のホワイトバランスは、
青い光で撮ったのに、青さがなくなってしまったりとか、
赤い光のはずなのに、赤さがなくなったりする。
とにかく「白く見える場所」が、
センサーによってどんどん変化するのが
「オートホワイトバランス=AWB」。
ぼくはだからこの「AWB」が、
あまり好きではありません。
ほとんどのカメラメーカーのオートホワイトバランスは、
夕方だろうが、朝だろうが、
なんとなく昼間撮ったみたいな感じになる。
電球の下で撮っても、電球のあの赤味は、
あまり感じさせないで、補正してしまう。
それが一般的なオートホワイトバランスです。
(最近、一部のメーカーはそれに気付いて
雰囲気のある色再現をしようと
試みているようです。)
ではじっさいぼくはどうしているかというと、
ほとんどの場合、仕事であろうがプライベートであろうが、
ホワイトバランスの設定を“太陽マーク”にしています。
これはフイルム時代の「デイライト」にあたります。
そして、これにはもうひとつ、大きな利点があります。
あくまでも写真というのは、
“撮影者”がある種の意志を持って
写そうとするわけですから、
とても“主観的”な行為と言えます。
しかし、そこに「オートホワイトバランス」という
“撮影者”の基準とは、まったく別の基準を持った機能が、
目の前にある色世界を決めていってしまうのですから、
その時点で、とても無理があるように思います。
ですので、それを一度“太陽マーク”という
固定の色温度機能に設定して撮影してみる。
「おっ、すごくいい感じ!」
と思う時もあるかもしれませんが、
「あれ、ちょっと違うな」と感じる時もあるはずです。
フイルム時代、ぼくが『青い魚』の時に、
カラーフイルムで撮影して、
カラープリントを制作する過程の中で、
「もう少し青くかな」とか
「もう少し黄色かな」とか、などなど
延々と探求したようなことが、
今では、もう少しスマートに出来るようになりました。
次回は、そのことについてお話したいと思います。
まずは“太陽マーク”で撮ってみる。
たったそれだけのことで、
大きな変化が見られるはずですので、
ぜひ一度、試してみて欲しいと思っています。
2014-10-17-FRI